こまるやま。長らく登頂不能としていた山の一つです。古墳の類いではないので(太田市の文化財HPによると遺跡ではあるようですが。以下“太田市の北部、金山丘陵と茶臼山丘陵にはさまれた、県道足利・伊勢崎線の南約200mにある、弥生時代から平安時代にかけての複合遺跡である。
この遺跡からは、平安時代の瓦塔の出土が知られている。これは、遺跡頂部の一角から発見されたもので、全形を復元し得た数少ないもので五重塔をきわめて写実的に表現している。総高は推定140cmである。 ”)、いつか登ろうと考えていましたが、密生した篠薮と枯れた蔓草に覆われているので、二の足を踏んでいました。これまでに二度ほど、登頂を試みたのですが、隙間なく生えた篠竹の中に突入する勇気がでませんでした。

ま、蛮勇と篠薮を泳ぎきる腕力があれば登れる山で、登ったからどうだという山ではありません。山麓から隙間なく生えた篠竹を平泳ぎのように両手でかきわけ突破していった先も篠竹の海。「掻き分けても篠」。山頂と思しき辺りも360度の篠の海。体の前後左右が篠に密着しています。これは、まあ、山と名の付くものがあったから登っただけで、良い年をした大人のする所業ではありません。
登る方は皆無でしょうが、田圃の中を通り、南の雑木の疎林を抜け、複雑にからみ合った枯れた蔓草を踏み越え、密集した篠の中を押し通って行けば。
途中の蔓草の墓場からは北関東道や北にある丸山、桐生の山並みの奥の袈裟丸山などが望まれ、すぐ下の民家からは炊煙、目の前には篠の密生、俺は何処に行こうとしているんだ、などと酔狂ここに窮まれりの愚行でした。若い?うちにしかできないことです。

で、登頂不能としていた太田市吉沢町の岩神山、小丸山と二つ登ることができました。もう一つの足利市今福町の立岩山は難関です。羞恥心を捨てないと登頂は不可能です。いつか紹介することができると良いのですが。

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