さんたいみょうじんやま。前橋市下大屋町、県道前橋西久保線沿いにある産泰神社の本殿の後ろの巨岩の集積です。赤城山の流れ山で、福田浩さんの「南麓からみた赤城山信仰の変遷」に山名が記載されていました。
新里村教育委員会が平成3年に発行した「資料集赤城山麓の歴史地震」にも記載があります。“明神山遺跡は赤城山南麓の末端部に位置し、県道伊勢崎大胡線と今井前橋線とが交差する「下大屋」信号の東にある産泰神社境内の北に接して所在する。産泰神社周辺には火山性の泥流丘が所々に認められ、地名にも「山」が付されるものが多い。産泰神社も泥流丘の頂部に鎮座しており、社殿の背後には安山岩の露頭が観察できる。神社の北西方向200mほど離れた所にも地元で石尊山と呼ぶ丘陵があり、さらに、その北方400mの所には水口山という泥流丘が残っている。”

読む人が読めば、得る所の多いご本なのでしょうが、私にとっては小山を探す手がかりに過ぎません。産泰神社はお産の神様だとばかり思っていましたが、山体や三体の神を祀る神社だという説があることを知りました。石尊山と水口山、登ってみたいものです。

アプローチは書くまでもありませんが、国道50号線の西久保の信号を右方向、斜に入り前橋西久保線を進んでゆきます。三本辻と呼ばれる産泰神社入口を右折すると左側に大きな駐車場があります。駐車場の近くには大きな石灯籠があり、下部には道標が刻まれています。

「南麓からみた赤城山信仰の変遷」には“産泰神社の後ろには赤城山から流下した巨大な岩があります。赤城を一望する小山で、岩は岩座(磐座)であって、三夜沢の赤城神社とは関係なく発生した赤城山信仰の社であったろうと考えられます。”と書かれています。岩を見ると昔はお産とは関係のない神社であったことがうなずけます。
残念なことに岩は立入禁止になっています。

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