赤地山〜谷山〜八幡神社

*○思わぬ邂逅
今回はあにねこさん、桐生みどりさんのいつものメンバーに桐生周辺の郷土史に詳しいげきさかさんにも加わっていただいて、川内の赤柴山脈・赤地山(あかっちやま)から石祠を巡りながら山稜を歩いてみます。

下山予定の八幡宮に一台車を停めておくために神社の駐車場へ。先に停まっていた車から山歩きらしい支度の方が降りて来て、ナンバーが遠い所、こんな寒い日に地元のひとも登らないような地味な山へいらっしゃるとは。思わず声をお掛けすれば、なんと当HPをご覧になって来たのだとか。余りの嬉しさに、え〜、実はあれは皆さんに助けられながらわたくしめが、と自己紹介すれば、なんと相手の方は扁平足さんではありませんか!

09年に三峰の三十六童子を歩く途中知った岩屋の不動明王を中心とした八大童子、ネットを検索してたったひとつヒットしたサイトが扁平足さんのページでした。広範囲の石仏中心の山歩きをされていて、桐生の小さな山の石仏・石祠の記事が他にもあり、それもそのはず日本石仏協会の副会長さん。図々しいおばさんである代行は恐れも知らずコメント欄にお邪魔し、メールで教えを乞い、ご本を読み、あれからすっかり石仏ファンになったのでした。
今日は雷電山へご夫婦で登るそうで、まさかこの時間この場所でお会いできるとは。奇遇に一同すっかり感激、しばらくお話をした後わくわくと記念撮影などして、スタート地点の赤地に向かう車中でも興奮状態が続きました。

昨年は浅間のそばですめらみことに遭遇したし、今年は初のちゃんとした山歩きで思わぬ方とお会いできたし、やはり山の神さまはいずこかにおわすのかもしれません。

○赤地山〜駒見山・高倉山
赤地の砂防堰堤のそば、休日なので公共の工事現場へ駐車して、堰堤沿いの作業道がスタート。山陰の小さな砂防ダムは厚い氷に覆われて、冬ってこんなに寒かったっけと毎朝訝るような日々ですが、空は真青に晴れ上がり木の芽はいくらか丸みを帯び、もってこいの里山日和。作業道はすぐに踏めばざくざくと崩れる山道に変わります。小沢に沿って石混じり、霜混じりの道を進めば沢の向こうに岩窟がひとつ。朽ちかけた木橋を渡って桐生みどりさんとげきさかさんが早速探検しますが、残念ながらこれはどうも作業用に使われているようです。

太い幹に無数の棘をつけた樹木に驚き、両側に迫る山肌の大岩に感嘆しているうちに道は杉の植林地に消え、石組みの上の苔むした石殿のあるあたりから斜面はひたすら急になります。狩猟のひとが入っているのか犬の吠え声がだんだん近づいて、犬が苦手な代行はみなさんに遅れてはならじと大汗をかきながらついていきます。足元は杉の枯れ枝と石で不安定、見上げれば斜面はあまりに急で、泣き言をこぼして左手の尾根に向かって進路を変えてもらいますが、そちらも崩れやすい細いけもの道。やはりびいびい泣きながら細い木に縋ったり、木の根っこに掴まったりしてようやく主稜線へ。赤城から吹き付ける風が冷たい。

一休みして息を整え、ここから北へ向かって稜線を辿ります。深い落葉に覆われているとはいえやはり稜線は歩きやすい。登り詰めればひょろひょろとした木に囲まれた赤地山山頂です。看板のたぐいはありませんが、北側に緩やかに鍋足沢の頭に向かう稜線が延び、枝の間から鳴神への山並みが見える静かで広い天辺です。
すぐ西側の小さなピークには三つ石祠が並び、真中が少し大きくて両端にお供を連れている風情で石尊宮ではないかと推察。落葉に埋もれたいかにも山の神さまらしい佇まいで、祠の向きを見ると大間々・小平のあたりのひとがお祀りしたものかもしれません。

稜線に戻り、来た道を下って駒見山を目指します。時々強い風が吹きつける尾根道は途中広々とした平らな場所を過ぎ、細く変わるあたりからは右に冠雪した赤城山、振り返れば後にしたばかりの赤地山のシルエットの向こうに雲を纏って真白な袈裟丸山が眺められ、これぞ稜線歩きの醍醐味です。
次の少し開けたピークが駒見山。小さなプレートがついた木があります。
この東斜面で風を避けてお昼。陽射しが暖かく、例によってビールで乾杯。熱いヌードルをいただき、あれこれお腹に詰め込み、どうしていつも山に来て食べ過ぎてしまうのか、我ながら呆れます。

さて、昨年踏まなかった高倉山の三角点を今回こそは踏もうと西の高まりを目指しますが、それはそれは急降下。どうして低い方に三角点があるのだとぶうぶう文句を言いながら到着すれば、雪混じりの冷たい風が強く、そそくさと三角点を踏んで急いで駒見山へ戻ります。帰って確かめればこちらにも直下に石祠が三基あったのだと判り、あんなに近くまで行ったのに、と少し残念ですがなにしろ山稜の西側は赤城颪がまっすぐに吹き付け滅茶苦茶寒かった。

○駒見山〜谷山〜雷電山
ここから南に稜線を辿ればすぐに駒見峠。いかにも峠らしい静かな明るい峠です。現在はしっかりした作業道が青空に向かって延びていて、そちらを辿れば石尊山への尾根へ出られますが、今回は忠実に尾根道を。
一度堀切の跡と側にある祠を越え、小さなピークを過ぎればつい最近榊をあげたばかりのようなしっかりした祠が現れます。こちらは川内の集落の方を向き、前には落葉がかぶさった古びた石段がかなり長く続き、注連縄も張ってあって、これが三本木峠の神さまではないでしょうか。銘などはありませんが多分お正月にどなたかが榊をお供えしたように思えました。
代表幹事が描いた地図とはいささか場所が違うのですが、写真は同じ祠のものだし、なんと言っても彼が歩いた時は地図だけが頼り、今回は文明の利器がついているので、多分こちらの地図の方が正しいのだろうと思いますし、やはり神さまは峠に立つのが似合っています。

快適だった山道はここから急に篠竹が生い茂る曖昧なものに変わります。細い灌木をかき分け、篠竹を撓らせ、倒木を跨ぎ、暫く苦行を続けると、もう土や枯葉に覆われてはっきりしなくなった堀切跡があり、越えればすぐに三角点。谷山(やつやま)あるいは雷電山と呼ばれる山頂です。
三角点の先は広く切り開かれた平坦地で、ここが伝説では里見上総之介が自刃したと言われる谷山城址。山城というより砦であったとも聞きますが、三段ほどの郭(くるわ/とげきさかさんに教えてもらいました)を切ったかなり大きな規模のものです。真中の小高い場所に石祠があり、説明板も設置してありますが、これは文字が雨で流れてしまってほとんど読めません。

四人でああでもない、こうも読める、と覗き込んでいるうちにげきさかさんが当てるライトが不意に年号を浮かび上がらせ、正徳六年(1716)三月吉祥日。それまでわけが判らなかった模様が突然文字になる歓びで、みんなで声を上げてしまいました。奉造雷天神宮とも判読して、そうだよ、雷電より雷天の方が神さまっぽい、なんて思ったり、やはり何人かで見る方が新しい発見があって面白い。
あにねこさんが祠右側に深い穴を発見し、さてこれは山城だった時の貯水のためのものなのか、それとも最近誰かが山芋でも掘ったものなのか。
桐生みどりさんが里見兄弟の悲劇をひとくさり語ってくれましたが、語る本人がきっと後世のひとが作ったものに違いないと言って、確かに如何にも日本人好みのお話ではあります。

長くなり始めた影を曵きながら、南の八幡神社を目指して下山です。
ここからの道はもう道とは言えない。みっしり生える篠竹を右に左にかき分け、折り重なる倒木をくぐったり跨いだりよじ登ったり。少し遅れるともう先へ行くひとが見えなくなり、篠竹の海に取り残されて不安にかられ、おーいおーいと呼びかけながら進みます。油断するとぴしぴし顔を叩く細い竹を呪いながら、扁平足さん、こんな道を歩かれたのかしら、それとも巻き道があるのかしら。地元民としてこの荒れた稜線を少し恥じてしまいました。
ひとつ祠を越え、桐生市基準点NO.70を過ぎ、雷電さまと愛宕さまのいるピークにようやく到着。ここは奇麗に整備された山頂で、明治の年号が刻まれたふたつの祠は今でもお祀りする方がいるようで幣束が上がっていました。

あとは道が一直線に八幡神社まで続きます。深い落葉に覆われていて、滑るのが怖いへっぴり腰の代行をよそ目に、三人は楽しそうに軽々と走り降り、ああ若い子が羨ましいとため息ひとつ。運動神経が鈍いのを歳のせいにして、ようやく下り着けば寒そうに身を竦めて待ってくださったみなさんにひたすら感謝。
ほんとうに思いがけない方と会え、一日を山の神々に遊んでもらい、今回も実に楽しい山行でした。

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