赤萩丸山〜萱野山〜笹久保山

*○庚申道から赤萩丸山へ
田沼の庚申信仰の山をいくつか歩いて、桐生にはこんな山はないなんて書いたのに、ありました、庚申信仰の山。川内の赤萩、赤萩丸山への途中の、当HPでは金刀比羅山と名づけた小さな山の平坦地への登りです。
名久木への道が柳原へ分岐する小橋のたもとに古い石の道標が残っています。「右庚申道、左三峯」と記されて、江戸時代織物で栄えていたという川内、きっと遠来の参詣者や修験者がこれを見ながらこの辺りを歩いていたのだと思うとなんだか面白い。正面にぽっこりと赤萩丸山が名前の通り丸い形で柔らかな曲線を見せ、そちらへ向かって直進、民家の脇を登り始めればすぐに古い石像や庚申碑がまとまっています。笠つきの立派な青面金剛は宝永の年号が刻まれ、1706年といえばもう300年も前、その頃のこの道のひとの往来はきっと今より格段に多かったに違いありません。

道ともいえないような踏み跡を辿れば両脇にところどころ庚申と刻まれた石が転がり、平地から立ち上がる山はけっこうな急登で高度を上げます。一息つく平坦地には赤っぽい色の石祠があり、これはそんなに古いものではありません。残念ながら祀られている神さまはよく判りませんが、代表幹事がどなたかに金刀比羅さまだと聞いたらしい。中にお札が奉納されており今でも崇敬されていると思われます。
振り返れば樹間に駒見山を正面に赤芝山稜が高く続き、その手前に今年の始めに訪れた仁田山城があったという石尊山が案外に急な傾斜で張り出しており、赤萩丸山はその見張りの砦のひとつであったとも、桐生氏の柄杓山城の後の詰め城であったとも言われていますが、石祠からは道はなくなり冬枯れの急斜面を登ります。細い植林の間を進めばすぐに枯葉に埋まった三角点のある頂上。
城や砦の痕跡は一切なく、細い灌木に覆われた地味な山頂です。山田郡誌によれば城は山上ではなく麓の赤萩にあったともされていて、にしても中世の戦いは現在の治水に慣れきった目で見ると山を駆け上がったり、駆け下りたり、もうそれだけでくたびれてしまいそうです。

○鳴神山〜吾妻山の主稜線へ
このピークを一度下り、大形山へ続く稜線を進みます。雑木の中を薮と倒木を避けながら登れば次第に白い石灰岩がちらほら混じりだし、ここからがカルスト地形。正面は樹間に大形山から三峯に続く山稜が長く、振り返れば赤芝山稜が。この辺りを歩くうちに、折から日本海を大荒れにしている低気圧のせいか強い北風に雨が混じりだし、南の方向には青空が見えるのですが、枯葉と裸木の斜面は一層荒涼としてきます。

この稜線は07年の暮れに極楽とんぼさんが辿られた道で、たぶん足を止められただろう大きな石灰岩の塊のあたりで雨具を着けます。雨は強くはないけれど時々突風が吹き、鳴神山の向こうから冷たいガスが渦巻いてきて、ここをひとりで歩かれた極楽とんぼさんの、でもきっと楽しんでいただろう歩き方を思うと、代行には到達し得ない心境だと改めて感じ入る。
斜面はだんだんに傾斜を緩め、その替わりに左右が切れ落ちて痩せ尾根になります。極楽とんぼさんが滑落された地点に代表幹事がかけたという木片は見当たりませんでしたが、緑のテープが巻かれた木があり、確かに北側の谷は細い灌木がまばらな急峻さで、もしそちらではなく右側の植林地帯に落ちたのであればすぐに止まれたろうにと思うと切なくなります。

瞑目して先を急げば大きなミズナラの木が何本も枝を広げる緩斜面。途中の悪天が嘘のように青空が広がりはじめ、最後のひと登りで極楽とんぼさんの碑がある主稜線へ到着です。
最初は代表幹事と、昨年は楚巒の会長と、そして今回はいつもお世話になっているあにねこさんと桐生みどりさんに無理を言って、と三回目のお花を碑の側に置いて、コーヒーを啜りながら煙草に火をつける。来年こそはなんとかひとりで来てみたいと思うのですが、果たしてできるようになるのかしら。
時々冷たい雨粒が混じる風に吹かれながらしばらくおふたりとあれこれ話して、もう色の薄れた銘を眺めながら大休止。

○稜線を伝って笹久保山へ
身体が冷えきったので腰を上げ、幾度も歩いた主稜線を吾妻山方向へ。岡平を過ぎれば東側に菱の家並をすぐ下に張り付かせた仙人岳が長い姿を見せて、その上空の雲の流れが速い。ここからのこの景色が大好きで、下から眺めても稜線のこの場所はまばらな杉が並んでいて広々しており、見上げるたびにこの景色を思ってなにか心が清々します。
道はすぐ植林帯へ入り、そういえばいつも巻いてしまってまだ踏んだことのなかった萱野山の頂上へ今回初登頂。なんと三角点の紅白の棒に当会の山名標が!もうすっかり文字が薄れていましたが、しっかりしたRKさんの山頂看板の側に残っていて、これを作るときの代表幹事の表情や代行に見せるときの姿を思い出して感無量。もうきっと来年には滅びてしまいそうですが、なにか愛おしくて何枚も記念撮影、この山頂に寄って良かったとしみじみ思いました。

すぐに自然観察の森への岐部へ到着。西芳寺沢の頭の次の木の看板と同じく熊さんに齧られたか叩かれたような跡がまだ新しい。この道は看板や階段が整備されていて、広くて落葉も少なく、しっかりと踏まれていて歩きやすい道。
少し下ったあたりで風を避け南側の斜面の茂みへ潜り込んで、樹間から桐生の町を見おろしての昼食です。この季節の暖かいスープの美味しいこと!

自然観察の森の最高点を過ぎ、下り着けば名久木坂の看板。
まずは登り返して笹久保山へ。途中に霊符尊神の大きな石柱がありこれは一見の価値あり。綺麗にくり抜かれた丸い穴は上に北斗七星が、周りに雲形が刻まれ、方角は真北。妙見信仰のものでこの穴から覗くと北斗七星が見えるそうな。昼間の今は駒見山が丸い視野の中に聳えているだけですが、どの季節かの夜間にここから七つ星を眺めて何かの願をかけたり、星をお祀りしていたひと達がいたのでしょう。霊符は道教の信仰らしく、日本には既に奈良時代からあったとかで、長寿延命・息災招福の神だそうです。

この先にすぐ笹久保の三角点、その先にアンテナが立つ笹久保山山頂。林立するアンテナのすぐ下に石祠が長い影を曵いていましたが、厳重に囲われていて近づけません。アンテナ山と呼ばれるのを危惧していた代表幹事ですが、ハイトスさんがしっかりした「笹久保山」の看板を取り付けてくださっててこれでもう安心です。

名久木の峠へ戻り深い落葉を踏み分けて名久木方面に下れば墓地に下り着き、舗装道に出ます。名久木川にかかる橋を上流に戻れば、高源寺の宝篋印塔や雨降山と刻まれた石灯籠を過ぎて、正面真っ青な空に出発点の赤萩丸山の可愛い姿が見えてきました。

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