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*夏は穴切。残暑の頃はさらなり。などと出まかせをいいながら歩く穴切林道。歩きやすい作業道をぶらぶらのたのた、もし峠に着ければおなぐさみ、高戸山の山頂に立てればもっけの幸い、と相変わらず計画性皆無の楚巒定例9月です。

桐生川左岸の市道の突き当たり、鋸屋根のお宅に声をかけ車を停めさせていただいて、ここには四六時中山の水が噴き出している水場があり、可愛い流れが小川を作って交差し、周りには露草が最後の青を散らして、暑さに脛を出していた会長が慌てて山パンツをくるぶしまで伸ばす涼しさです。
右手に穴切川の音を聞きながら幅広い作業道を進めば、初夏には鈴なりになる木いちごの根元に濃いピンクのツリフネ草、黄色のキツリフネが花をつけ、野アザミはいくらか色褪せて、暑い日とは言ってももう秋で下からは瀬音と共に涼気が上がります。

「あなぎれ」と読むのが正規らしいけれど、早朝など歩けばきっと霧が立ちのぼり「あなぎり」と呼びたくなるだろう風情。道は往時の峠道の面影はありませんが適度に荒れた林道で、すぐに流れと同じ高さになって、ここからは小さいながらも「百滝」と呼びたくなるほど。川は白く泡立つ早瀬になったり、深い緑を秘めた淵になったり、レースを広げる可愛い落差になったりで飽きることがありません。ミズヒキの紅が鮮やかに彩る道は緩やかに、流れに沿ってかつて盛んだった林業の名残の杉の木立を縫って登ります。
ひぐらしの滝と代表幹事が呼んでいた、大岩で岐れてまたひとつになる一番の落差の滝が見えてくれば、杉が切れて強い太陽が射し込み樹間に高い青空が。もう流れは川というよりは沢と呼ぶに相応しく、右側から小沢が落ち込み、濡れた石はきらきらと輝き、これからの紅葉期、あるいは小雨の日に傘をさして、ゆっくり散歩するのにいいかもしれません。

崩れかけた木橋の向こうにしっかりした道が右手に伸びていますが、ここでは橋を渡らずに直進、しばらく行くと山肌の迫ったあたりにマンガンを掘った跡の冷たい風が吹いてくる穴があります。赤茶けた土に水が溜まって、風の強さを考えればかなり深い穴のようですが真っ暗でとても入る勇気はない。ちょっと覗き込んでもちろんこれが穴切の名の元ではありますまい。
この先いくらか開けた平坦な場所にかつては茶店があったのだとか。すっかり苔むしてもう植物と見分けのつかないお地蔵さまが立っていますが、残念ながらお顔がありません。犬のものでしょうか大きな動物の骨が散らばっていて、この頃仏心に目覚めたという会長が神妙に手を合わせます。

しばらく進むと沢は二手に岐れ、『菱の郷土史』によれば「水源の一つは赤岩なる場所より出、一つは安蘇山の麓より出」とあり、ここがその分岐のはず。山名としての安蘇山とは余り聞いたことがありませんが、もし右の県境の沢がそうだったら三角山あたりのピークのひとつの名前かしら。小さな橋を渡って左の沢に沿って進みます。
さてここからが楚巒恒例の迷子の時間。入山注意の看板を尻目にずんずん進めば道は斜面に突き当たって行き止まり、出がけにちらりと見た代表幹事の記事では分岐は右とはあったけれど、はて別れ道などあったろうか。一度連れられて林道の終点までは確かに歩いているのですが、いざ自分で歩くとなると途端に記憶は曖昧になります。
一旦沢の分岐まで戻れば、右側の沢を徒渉してすぐの山肌に道が見えます。こんなじゃなかったんだけど、などと言いつつじゃぶじゃぶと沢を渡り取り付けば、急斜面に綺麗な九十九折れの道が続く。途中羊歯の生い茂る平坦な場所を過ぎ、再び杉の木立の中を急登すれば突然倒木が重なって前進を阻む。いい子はどちらも選んではなりません。地図をしっかり辿るべし。

再び沢の分岐まで戻り、いいもんね、今日は水を見る日、峠や天辺なんかに着かなくったって。
山仕事の方のでしょうか、轍が残る林道をゆっくり戻り、朽ちかけた橋を踏み抜かないよう注意して渡ってしっとりした草の上でお昼にすれば、鳥の声と水の音が静けさを際立たせる。
もし筆者が桐生の観光課なら、この道は「百滝の道」と名付けて、小さな滝のひとつひとつにそれぞれ可愛い名前を与え、洒落た小ぶりの看板など設置して、もちろん峠への道筋にもしっかりした標識をつけるのだけれど、残念ながらいつも通りの単なる迷い人だったのでした。

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林道入口
流れが見えてくる
夏は穴切
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残暑の頃はさらなり
ひぐらしの滝
道が明るくなる
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左から小滝が落ちる
瀬音がやさしい
岩も流れも輝く
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淵は深い
空気までしっとりと
数えきれない小滝が続く
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首のないお地蔵さま
沢の分岐(左の沢)
杉の斜面を急登

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