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*穴切峠への道がよく判らないと林道の近くに住む山猫さんご夫婦に嘆いたら、そう、あそこは今作業道が複雑で迷って当然、一度連れてってあげましょうと実に優しく言っていただき、雨上がりでまだ重たい空の下お弁当を持って出発です。先月末に歩いたばかりの沢沿いの道は明け方まで降った雨で水量多く、両脇から流れ込む小沢の数も増えて、どうどうどうと沢音が高い。
山猫奥さまは対岸に咲く大文字草を目敏く見つけ教えて下さるのですが双眼鏡を使ってもなかなか見つけられず、小滝のそばに咲く真白なシラネセイキュウの名前を呪文の如く唱えてもすぐに忘れ、檜と杉の見分け方を教わって落ちている枝を大事にザックにしまい、しなやかなおふたりの山猫さんに挟まれて不器用なガチョウのように進みます。

●穴切峠まで
この間はあんなに鮮やかだったミズヒキは少し衰え、沢の分岐には伐採のための車が駐車してて、所々深く抉れた林道の運転は大変だろうと思いながら橋を渡ります。伐採中注意の看板からしばらく沢筋を辿って、前回入り込んだ道を左に見ながら進むと斜面の杉に登り口を示す赤いテープが。少し急登すれば再び作業道が現われ、その左手の細い踏み跡を辿ると百庚申と刻まれた庚申塔。こちらが本来の峠道ですが先が少し荒れているとかで庚申塔を写真に収めて、杉木立の中の作業道に戻ります。
かつてはこの細い急な峠を山の反対の集落から駕篭に乗ってのお嫁入りもあったそうだけど、この傾斜では駕篭ではなく文字通り輿を使ってのお輿入れだったのかもしれません。どちらにしろ花嫁さんは手綱をしっかり握っていないと転げ出してしまいそう。

その旧峠道がまた作業道と合わさるあたりはいくらか開けて、古木の根本に三体の石仏がひっそりと。文字はほとんど読めませんがどうも女性の墓塔のようで、昔々にはここに峠の茶屋があったのではないかとのこと。見回すと黄色の花蕊もくっきりと白いお茶の花があちこちに咲いていて、丸々とした固い実がついています。初めてお茶の花を見て浮かれる筆者は、そんなものは珍しくもないと山猫さんたちに失笑されますが、でも本当に山の中で、この野ばらにも椿にも似た花を見るのは初めて。江戸の昔はこの葉っぱを煎じて赤い前掛けの娘さんがここでお茶を売ってたのかしら。
地図では破線が直登していますが、作業道は西に逸れてから緩やかに峠へ向かって折り返す。途中ちょうど伐採の作業が行われていて、倒れてくる檜に重々注意するようにと言われ、このときまでは峠から来た道を戻るつもりでした。

稜線が近づいてまだいくらか雨の気をもった空が広がり、ひと登りで赤い鳥居をもつ山神さまに到着。祠に向かって右手は皆沢への下り、背中の方向は仙人岳へ、そして祠の後の稜線は高戸山へ続きます。
ところが山猫さんご夫婦、そんな山名は知らないと仰る。だって三角点もあるし祠もあるんですよ〜、地元の方ほど山の名前を知らないんですねー、と昨年季節はずれの大雪の道を登った筆者は偉そうにそっくり返る。縮尺も考えずさし出したGPSはほとんど等高線がない緩やかな傾斜で広い高戸山山頂を示しています。
ではちょっくら足を伸ばしてみましょうと、山神さまに手を合わせて登り始めます。

●高戸山
空はどんどん高くすっきりとしてきて見上げる雑木の真上には青空が広がり始め、稜線伝いの踏み跡にはテープが散見されます。急な斜面を登っていると、地層がバームクーヘンのように屈曲した断面を晒して大きな岩が転がっています。そのほぼ直角に曲がった形に隆起の力の凄さを思う。東方向の雲が切れて樹間に綺麗な形で筑波山が浮かび上がり、木の葉を透かせて太陽が顔を出します。

杉林と雑木が左右に交互に入り交じる痩せ尾根に真っ赤な県境の杭が現われはじめれば、稜線は西に緩やかにカーブしながら行手には次々とピークが現われ、下草の少ない判りやすい踏み跡を辿って幾度もアップダウンを繰り返します。まだ紅葉には早い時期ですが小さな木の実があちこちに熟れて、ときどき鳥の声に鹿の警戒音が交じります。熊さんらしい爪痕もちらほらと。
まるで落ち込むような急降下で県境を離れ、息を切らせての急登でそろそろ頂上の一角。あちこちの沢道をいつも歩いているという奥さま山猫は、こんなに長く稜線を歩くとは思わなかったと言いながら、それでも汗もかかずにときどきまん丸な団栗を拾い、赤い木の実のそれぞれの名や、漢方薬にもなるという草の名を教えて下さり、ご主人山猫は飄々と歩きながら下界のあれこれを説明してくださる。右側には野峰ののったりした山稜が延びて皆沢の集落がちらちらと光を跳ね返します。
そういえば高戸山にはいくつかピークがあり、見る方向、登り口の場所で皆沢高戸や穴切高戸と呼ばれていると昨年聞いたのでした。としたらまずこちらは皆沢高戸かしら。

梅田湖にかかる赤い橋を見下ろしながら、緩やかに下って少し登り返すとやっと三角点と看板のある少し開けた頂上。山名看板はいくらか文字が薄れ、弘化二年の銘のある山神宮は中のお札は少し古びていましたが健在です。看板の支柱に昨年くくりつけた赤い布を新しいものに換えて、ここで昼食。手作りの様々な野菜の酢漬けに舌鼓を打ち、コーヒーを頂き、嫌がられながら紫煙を燻らしゆったりと時間を過ごします。
ここからは昨年歩いた穴切集落へ向けて稜線を下るコースを。顕著な印はひとつもありませんが来た道よりも緩やかで広い尾根、歩いた記憶というよりは帰ってから地図を作った記憶を奮い立たせ、GPSを首からぶら下げて一応は道案内をつとめます。

巻貝型の蝸牛や再び呪文のような名の白い花たち、青空をバックに鈴なりの赤い実をつける木の名前、お酒に漬けるといい色になるという草の実、編んで篭を作るという蔓。筆者のただただ歩いて騒いでいるだけの山と比べて、山猫さんたちのなんと豊かな山歩き、とひたすら感心しながら、といってさして反省もせずに下ります。
右手には残馬山の大きな山容、その奥に特徴ある形の三境山、振り返れば後方右手にちょこんと可愛い三角山。雲はすっかり高くなり陽射しは強いですが、吹いてくる風のざわめきの快いこと。
桐生市標準点118を過ぎれば左側には杉林が広がりだし、しばらく尾根を辿ったところでえいやっと杉の斜面を南側に下れば作業道が見えてきます。降りやすいあたりでその作業道へ移り、この道もいくつかに分岐していますが、今回は竹林の方角へ。もうすっかり草に覆われて荒れてしまった道筋を辿ると出発点のほんの少し上流にぽんと飛び出ました。

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林道入口の山猫ご夫妻
岩の上の庚申塔
水量が多い
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マンガン鉱跡 旧道の百庚申 三体の石塔
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峠の山神宮 尾根筋にはテープが 薄いガスの中を進む
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急登 バームクーヘン状の岩 遠くに筑波山
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痩せ尾根を辿る 最後の急登 看板の文字は色褪せて
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残馬山がくっきりと
カシワバハクマの白い花
穴切林道へ下り着く

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