仏石山(田内城址)

*興国年間(1340〜1346)に山名時氏が田内城を築いたという仏石山は60mほどの小さな山ですが、川に面した急峻な崖山でいかにも戦国の山城に相応しい佇まいです。山名時氏といえば群馬県は高崎の山名城主、あちこちで闘いながら馬を駆って、あるいは徒で、こんな遠くまでやって来るとは昔の男たちは大変でした。新幹線や列車に座ったまま移動できる現代のありがたさよ。
あ、ここは楚巒山楽会の初代会長の暮らす鳥取県倉吉市。根本山の沢コースでびっちりとしごかれたお礼参り(違う!)にやってきております。

すぐ横の大きな工場の受付の方に案内されて構内に車を置き、釈迦堂の案内板に従って右手の巨岩を見上げながら山道に入ります。案内してくださるのは初代会長の奥さまでやはり若い頃の代表幹事の山仲間、地元の方が整備しているのでしょう、歩きやすい九十九折の山道を背筋を伸ばして実に軽快に歩かれます。
小さな山ですのですぐに着く頂上には、二層の模擬櫓が建てられこれは以前は中に入れたそうですが本日は施錠されており、樹間からはこれから歩く打吹山が川の向こうにちんまりと。打吹山はこちらにあった城が移された山で、どんどん山深くなる桐生とは違って平地に点々と里山が散るこちらの地形では目立つ山はほとんど山城になったのではないかしら。田内城は巌城とも呼ばれ今でも畔の橋にその名が使われています。

頂上から北へ向かって広がる山腹には曲輪や土塁、西の尾根を下ると堀切が残っているそうですが筆者は古城マニアじゃあないのでそのまま往路を戻ります。山道を歩く、天辺で風に吹かれる、ぐるりを眺めてぼんやりする、ただそれだけが楽しい。初めての町の初めての道ならなおさらに。

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入口の案内板
緑に覆われた崖
九十九折に整備された山道
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頂上の模擬櫓 樹間に打吹山 上野国の山名氏の名が見える

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