八王子山・茶臼山

*都市部のサラリーマンの会長がなぜか米俵を担ぐという暴挙で腰を痛めて、そんなときは軽い山(って楚巒の例会はたいてい軽い山なのですが)というわけで八王子丘陵の名前の基になっている八王子山と茶臼山の晩秋を歩いてきました。朝夕陽のあたり具合で刻々変化する家の周りの山を眺めてすっかりあちこち歩いた気でいたのですが、あらあたしったらこれが今月最初のほぼひと月ぶりの山行だわ。
今年の紅葉、里山もなかなかいいです。

宝珠院に車を置かせていただいて出発。法事などで邪魔になることもあるので一声かけて停めましょう。道標から山道に入れば落葉と土の匂いに包まれて、まだ残る葉はいい色に染まり、振り返れば市街を前景に桐生から小俣・足利の山並がいくらか霞みながら一望でき、ここを歩く度にこれだけ開けた視界の中で育つ広沢あたりの子どもと目前に迫る山々を眺めながら育つ旧市街の子どもは同じ桐生人といっても世界観が違うのではないかと、いまや子どもでもないし子も持たなかったのにしみじみ思ってしまいます。
道はよく踏まれていて、分岐には手づくりの種々の小さな標識が備えられ、さしたる急登はありませんが、いくつかアップダウンのある静かな明るい稜線を茶臼山山頂の塔を右手に見ながら主脈を目指します。途中ベンチのあるピークで一休み。風のない穏やかな日だまりで会長は俳人でもあるので手帳にさらさらとペンを走らせながら、雅心のない筆者は紫煙を吹き上げながら、代表幹事の思い出話に耽ります。

主脈に到着して右に進むとすぐに姥沢峠、庚申文字塔とハイキングコースの標識が立っていて、この稜線ひと頃より結ばれた紐の類いが少なくなりいくらかすっきりしました。左手に東毛少年自然の家への歩きやすそうな道を見ながら進むと、道沿い右手に古井戸跡の小さな看板。この山域は戦国時代は太田金山城の北砦で八王子山には腰曲輪の跡も残ると桐生市史にあります。が悲しいかな筆者にはよく判らず、落葉に埋まった井戸の跡は看板がなければ猪の掘った穴としか思えないかも。ここから水を汲んだとはとても想像できない浅さです。市史には井戸はふたつある、どちらも水は涸れないとの記述がありますがさて。
このすぐ先に千日行の小さな石碑、その先に八王子と刻まれた大きな石柱。どちらも江戸期のもので、このあたりには籠堂があったのだとか。たまに江戸時代の瓦の破片が出土するそうです。戦いの場から修行の場、そして山歩きの気持ちのいい山域へと、確かにひとって少しは進歩しているのかもしれません。
笹に覆われた山頂は灌木の小枝がうるさくほとんど展望はありませんが、しっかりした山頂看板が掛けられ、なんとその下に当会の小さな山名票がもう色は褪せきっていますが残っていました。「八王子山」に「本家」と付記されていて、そういえばこのHPを始めた頃、代表幹事が熱を込めてこのことを語っていたのでした。もうすでに付記がなくともここが八王子山と認知されていて、善哉、善哉。あんなにたくさん作っては掛けていた山名票は筆者が確認したのはこれで五枚目。思いがけなく出会う度に嬉しくて懐かしい。

主稜線に戻り小さな自然石の庚申塚を見ながら登り着けば姥沢の頭。茶臼山への道を岐けるこの小ピークには大きな常緑樹が一本あり、ベンチが据えられ、筆者は名はどうであれここが大好き。暑い季節は風の通り道であり、寒くなると陽が溜まる静かな場所で、行き交うひとに挨拶しながら再びのんびりと時を過ごします。お祖父さんに連れられたおかっぱ頭の幼女が背負う身体の半分もある大きなザックが微笑ましい。転んでも泣かないのも可愛くて、あなたはいい山女になれそうですよ。
右に道をとり、なだらかな尾根が傾斜を強めれば白い電波塔のある茶臼山の頂上はすぐそこ。家族連れやふたり連れ、単独のハイカーさんで賑わう山頂になぜか「越後獅子」が流れているのは東屋で尺八を吹いていらっしゃる方がいるから。もの哀しいいい音ですが、特に逆立ちしなくてもここからの眺めはなかなかのもので、吾妻山から始まる鳴神への稜線、その後に赤芝の山並を挟んで長い袈裟丸の山容、赤城山・袈裟丸山の間からは白い峰がのぞき、赤城の左手にも白い峰々、そして妙義のぎざぎざの向こうにどどんと雪化粧の浅間山。目を南へ転じれば奥秩父の連綿たる黒い影と揺らめきながら広がる関東平野。

眺めを堪能した後は混んでいる東屋を避けて電波塔の施設の側の陽だまりでゆっくりとお昼。どうも楚巒の例会は歩いている時間よりぼんやりしている時間の方が長くて、このあたりだけは山で過ごすのを楽しんでいた代表幹事の遺志をしっかりと受け継いでいます。
赤城山を望む場所にある石祠にもう一度手を合わせて、帰りは山頂から直接八王子神社へ下る道を。ふたりとも初めての道で、それもそのはず、大石の祀られた馬場跡を過ぎれば長い長い石段があって、これは上の施設を作ったときのケーブルかなにかの跡を階段にしたものなのかしら、それとも神社からの参道なのかしら。山歩きの醍醐味はなくあっという間に作業道に下り着き、この往復を毎朝続ければ筆者もきっと立派な健脚になるかも。健脚とは縁のない代表幹事が連れて来なかったわけです。
隈笹の中の広い作業道を落葉を蹴散らしながら、黄葉やいくらか混じる紅色を愛でながら歩けば姥沢口。このコースが茶臼山への最短距離かもしれません。いや、別に早く登りたいのではありませんが。

八王子神社にお寄りして(ここの石燈籠の脚部が好き)、八王子とは本来ならスサノヲの八人の子どもたちなのですがこちらの祭神は上野大守であった惟(維)喬親王。惟喬親王といえば六歌仙で、短歌が少しは上手くなるようお願いして、ついでに会長の腰の治癒や世界平和や原発事故の後始末や、筆者と縁者の健康や、安心できる未来やあれやらこれやら。お賽銭もあげないで図々しいったらありゃしない。

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広沢小学校前から宝珠院口へ
里山もいい色です
観音山と鳴神への稜線
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標識はたくさんある
姥沢峠の庚申塚
主脈のコース標識
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元禄の銘ある石柱
すっかり色褪せた当会山名票
常緑樹のある分岐
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ここだけ急登
赤城山を背に並ぶ石祠
馬場跡の大石
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長い長い石段
作業道と合流
姥沢口の看板(道は何本かある)

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