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*年々夏が暑くなります。もうすぐわが国は熱帯になってしまうんじゃないかしら、地元の里山なんか歩いてたら死んじゃうわ。ぶつぶつ呟きながらゴロゴロしていると身体はますます鈍るのですが、いつも遊んでくださる方々は遠くの山へお出かけか、難しい沢でクライムシャワーか、あるいはちょっと体調を崩されていて、ひとりで歩けば恐い目にあうし、八月は虚しく過ぎてしまうのかしらと案じていたら、あにねこさんから一日空いた日があると嬉しいお知らせ。
幸い「軽井沢を起点として」という夏向きの守備範囲が当HPにはあり、さて何処にと地図を眺めます。留夫山はどうだろう、あるいは森泉山と風越山は。あちこちカーソルを動かしていると血の滝・血の池なる表記発見。ピークは石尊山とあり、だったらきっとお不動さまにも会えるはず。

●長い緩やかな登りが延々と
ほぼひと月山靴を履いていないのでこんなにぽこっと可愛い山ならと決めたものの、地図をご覧ください、この長い長い道。
歩き出しは旧中山道の追分宿を浅間山側に入った突き当たり。2台の駐車スペースとあったその場所には既に2台車が止まり、中にはひとがいて、登山者じゃないのに邪魔なヤツと内心思いながら狭い向い側で支度を始めれば、目つきの鋭い方が降りて来て色々と質問され、ご静養中の皇族がいるので警戒中とか。なんだかものものしくはあるけれどお気をつけてと見送られました。
登山者カードを入れるボックスがあり、なんといっても活火山の一部、色々注意書きが記された看板と、"石尊山へ5,4km"の標識の向うに細い松と雑木の林が広がります。

道は緩やかな傾斜ですぐに緑は濃くなり、湿気を含んだ土からは森特有の甘いような苦いような香りがして、雨の心配はない予報、久々の山道に意気軒昂で先を歩きます。
朝早く出発したので、下草には朝露が残り、木の枝に張られた繊細な蜘蛛の巣もまだ完全形、大きく育った羊歯が美しい円を描き、両側に広がる原生林やしっかりした道の先には薄く霧が巻いて、もうあっという間に幸せモード。いぬはぎや反魂草(だと思うのですが)や、名は知らないがよく見かける里の花と山の花、秋の花と夏の花が入り交じり、その間に真っ赤やオレンジや肌色の茸が驚くほど大きく育っていて、同じような景色が続き行手の山も見えないけれど楽しい道。

道には赤っぽいのや黒いのや、まん丸に近い拳大の火山礫がごろごろと転がり出し、けれどもそれを踏みさえしなければ広くて歩きやすい。
途中駒飼いの土手なる標識があったり(土手ではないし馬もいません)、イチヤク草が小さいながらすっきりと伸ばした茎に白い花をつけていたり(上手く撮れませんでした)、木漏れ日を楽しんだりして林道と二度交差します。
その二度目の林道との交差地点で休んでいたら、未舗装で轍が深い草茫々の林道を絶対に山では出会うことのない高級車の車列が。ららら、静養中の方はひょっとしたらこの山裾にお越しなのか。とはいえこの道がどこに続いているのかも知らず、何台もの車の中に白っぽい女性がいた、とか目つきの鋭いひとがたくさん乗ってたなどと呑気に話しながら先へ進みます。

もう一度林道に出会い、それを少し辿って山道へ。道には標識が各所に用意されていて迷うことのない一本道。左手から沢音が響いて、覗き込めば茶色の濁流が早い流れを作っていて、写真に撮れば泥道にしか見えませんが不思議な景色。
赤滝(血の滝)への分岐にはベンチが設置され小広くなっており、ここでとてもソフトながら、身ごなしに隙のない警備の方に丁寧に暫くの時間調整をお願いされます。なんと天皇陛下がこの先にいらっしゃるそうで、きゃあきゃあきゃあ、こんな至近距離にそんな方がいるなんて。
どちらへ向かわれるのか聞いてもはっきりとは教えてはもらえず、ではこちらは滝見物をと申し出れば、最初の登り口で身分証など提示していますし見るからに人畜無害なふたり、無線で密な連絡を取っているのでしょうからもちろん止められることはありません。

●血の滝からは本格的な山道
茶色の沢に沿って歩けば、滝は土砂崩れの後の鉄砲水のように落差5mくらいを勢いよく垂直に落ちていて、脇の岩屋にはいかついお顔に炎を背負ったお不動さまが二体。どちらも年代はわかりませんが古びており、火山活動の影響なのか黄ばんだような色合いで、側には木のお札が奉納してあり代行も丁寧に手を合わせます。
滝のすぐ上の橋を渡り、沢は右手に位置を変えもう一度林道と交差して、ここを左に進めば座禅窟ですが、まずはそのまま山道を登ります。それまでの道とは違い傾斜は急になり、久しぶりの山行に前夜興奮して眠れなかった代行はひいひいはあはあ、一気に汗が噴き出します。

血の池の看板を過ぎ、ここで赤茶けた小川を越えるのですがこの色は土の色で流れる水は透明です。あにねこさんが果敢に口にし鉄の味に悲鳴を上げて吐き出す。この鉄分が空気に触れて水が赤い色に変化するのだとか。
すぐ道は二手に分かれ、右手の源頭を目指せば屋根を掛けられた赤黄色い土の中から透明な水がこんこんと湧き出る場所に。学習能力を疑ってはいけませんが、ここでも水を口に含んだあにねこ氏、貧血に効くかもなどと強がっていますが、そっと吐き出したのをちゃんと見ました。どうしてわかっていて二度も味わってみるのかは謎です。

ここから山道は角度を増しピークの北側を大きく巻いて続きます。真っ白な茸がいくつも枯葉の中から頭を出し、ちょっと童話の中の登場人物の気分。ただしもう汗まみれでシャツはぐっしょり濡れ足はどんどん重くなる。この道で初めて左手に登るべきピークが見えてきますが、右側にあるはずの浅間山は全く見えず、森の中を彷徨っているようなちょっと心細い道でもあります。
ようやく着いた鞍部には柔らかい物腰ながら鋭い目の方がいて、やはり陛下はこの山に登られているのですが、だからといって別に制止されるわけではない。下って来た方に聞けば山頂で一緒だったとかで、このソフトな警備は陛下ご自身の希望であると聞きました。

右に進めば浅間山ですが、この道は火山活動のために通行禁止。左方向すぐが石尊平と呼ばれる鞍部で、ここには来た方角にロープが張ってあり、辿った道はよく踏まれてはいましたが、本来なら通ってはいけない道だったのかもしれません。さすがにここには何人もの警備の方がいて、ひょっとしたら山道ですれ違うかもしれません、と言われましたがただそれだけで、あっさり山頂を目指します。
もうすぐ頂上というあたりで下ってくる大人数のパーティ。ごく普通にこんにちはと挨拶を交わしながら道を譲れば、3番目あたりにいらっしゃった陛下がわざわざ前で足を止めて丁寧に話しかけてくださり、もう心は宙を舞う。TVなどで見知った方々に次々に会釈されお言葉をいただき、小さな悠仁さまにまで挨拶されて、上の空で見送った後山頂でへたり込んだのは、山道の疲れより興奮のせいです。

山頂は今までの展望のなさが信じられないほど、ほぼ360度が開けます。浅間山の雄大な稜線、残念ながら厚い雲を纏った頂上付近、その右手に連なるのは上信越の山かしら。佐久方向の町がちんまり緑の中に浮かび、その向うの山々が霞みながら重なっている。穂を出し始めた薄やアザミ、キンミズヒキ、ミソハギ、ヒヨドリバナなどに混じって松虫草が咲く花野に腰を降ろして、後から登って来た方たちと話を交わし、涼しい風に吹かれながらビールと共に昼食。大きな頂上看板と三角点のある静かないい山頂で、毎度のことながらいつまでも景色を眺め風に吹かれていたいような。

●帰り道で座禅窟を見物する
下りは石尊平からまっすぐの道を辿ります。途中谷が深まるあたりに有毒ガス注意の看板があり、昨年4月まではこの山も登山禁止だったと聞けば、改めて活動中の火山であることを意識します。
緑の木漏れ日が影を作る急坂を、足まかせに急げば右手におはぐろ池が。小さいけれども赤茶色の池はやはり妖しい景色で、側の血の池弁財天に手を合わせるのもそこそこに血の滝の分岐までずんずん下る。

時間がたっぷりあるので林道を西に進んで座禅窟へ。道の両側は白・黄・ピンク・紫と色とりどりの可愛い花が満開、昨年見損なった赤いツリフネ草もキツリフネも見頃でした。
座禅窟は鉄格子で閉じてありましたが、奥深いひんやりとした洞窟。石仏が二十二体あるそうで寛政十二年(1800)のものがあるとか。覗き込めば台座に緑に光る苔が鮮やかで、これはヒカリゴケなのかしら。横には禅座霊神碑もあり、昔からの修行の場所だと判ります。
上の岩窟は巨岩の間を進んだ先、星形の窓がある、より広いが浅い岩屋風で、こちらには元文二年(1737)の石仏が一体、もう彫り目が摩滅して柔らかなお姿で祀られていました。余りひとが訪れないからなのか道は草深く、アサギマダラが何羽も恐れげもなく身体にまつわり、構えるカメラにまでとまる桃源郷ならぬ幽玄郷です。

再び花を愛で、道を愛で、風を愛で、緑を愛で、四方山話に耽りながら、長い緩やかな道を帰ります。遠くで雷が鳴りますが最後まで天気は良く、浅間山の緑の中ですめらみことにお会いする、などまるで万葉の世界を旅したような、実に実に気持ちのいい、一生忘れることがないだろう山行でした。

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