金剛萱

*噂をすれば影なんて申しまして、冬の好日、たまには西上州でも歩こうかとあにねこさん、桐生みどりさんと歩く山中、話題は先日の白平山の昔の紀行文にある「神変大菩薩」。どうやらそれは役小角、修験道の開祖であるらしいなんて話をしていたら、なんと冬枯れの急斜面で岩座にどっしりと腰かけて孔雀王呪経など呟いてらっしゃるそのお姿とばったり遭遇。「噂をすれば影」は英語では speak of thedevilというらしいのですが日の本ではどうやら speak of the bodhisattva、この国には悪魔なんていないのかもしれません。

○金剛萱
入れば突然葱っぽくなる下仁田の町、「ねぎ最中」とは如何なる味かと想像を巡らせながら青倉川を遡ります。川床は上部が扁平な大岩が多く白々と明るくて普段見慣れている桐生川とは全く違う様相で、このあたりはクリッペ地帯、こんもりとひとつひとつ盛り上がる山の形も不思議です。

頂上に祠や石像が立ち並ぶという金剛萱はクタビレ爺イさんが細かく歩いてらっしゃってなかなか面白そう、山間の道を辿って鹿の湯橋の先に車を停めての出発。伐採作業中の脇を通していただいて作業道を進みます。里山の宿命でここも作業道が複雑に入り込んでいるらしいのですが、いつもきっちり下調べをしてくださるあにねこさんと山中の勘が確かな桐生みどりさんがついていれば鬼に金棒、筆者はひたすら能天気に霜柱を踏みつけてその感覚を楽しみながら杉の木立が並ぶ山影を歩きます。歩き出しは寒くてもすぐに身体は暖まって、うーむ、今日もまた厚着を後悔、学習能力に問題あり。

作業道は幾度もカーブを描いて、立ち並ぶ木立の向こうに頂上はだんだん大きくなりますがいつまでも高く、これはきっと急傾斜と覚悟を決めてケルンと赤い目印のある場所から尾根に取りつきます。それまでの元気はどこへやらすぐに息を切らせて、けれども尾根はもう一度作業道と出会い、その終点から本格的な急登が始まります。
重心は真直ぐに、なんて頭で思っていても身体というやつはそんなに素直ではない、いつもの如く斜面に縋り付いて、けれども細い雑木の間から見える周りの山はどれもここより急峻に尖り、その山並みの向こうに白く浮かぶ浅間山は美しく、空はどこまでも青く、ときどき腰を伸ばしては遠くを眺めては深呼吸。冬の陽射しを受けて周囲の山は複雑な深い影を刻み、この季節の山の表情は自然本来の冷厳と孤独が現われて見飽きません。

淡々と先を行くおふたりが石像を見つけたと声を上げて、急いで追えば枯葉の中に腰を降ろす頭巾姿の普寛像が浅間山の方向を見て座っています。頬のふっくらした可愛いお顔で、文久四(1864)年の銘があり、ここが御岳講の山であったと判ります。台座には寄進者の名も刻まれ、毎度のことながらこの重さをこんな急斜面に運び上げるその信仰心に頭を下げます。
そしてこのすぐ上に横に三宝荒神の石碑を従えて役行者の石像が。台座に「神変大菩薩」と彫られ、一同思わぬ邂逅に驚喜します。髭の長い厳めしい顔つきで下界を睨み、こちらの銘は慶應二(1866)年。寄進者は達筆でよく読み取れませんが普寛像のものと同じ名字で、隣の石碑は元治の銘があり、江戸末期の年号はどれも短くすぐに変わるのですから、きっと毎年ひとつずつ運んだのでしょう。経済力をつけた庶民と時代が変転する騒擾たる世情の中で、修験道に何かを託した方の、それでも明治になれば国家神道のもと廃止令が出されるのですから、短い期間に花開いた思いを想像します。

すぐ上に屋根だけ残る石祠、そのまた先に今度は不動明王が大きな火焔を背負って鎮座し、もう踏み跡しか残ってはいませんが修験の道だと思えば冷たい風に晒されたこの急峻さもむべなるかな。お不動さまの後の石祠の先にはもう頂上がすぐに見え、あと少し息を喘がせて到着。
狭い山頂には御嶽蔵王大権現が古そうな石祠を三つ従えて立ってらして、これは桐生の三峰山と同じ柔和なお顔。仏教の方での蔵王権現は激しい憤怒相で金剛蔵王とも呼ばれ、金剛萱の名はこちらから付いたのでしょうが、御岳講での優しい表情はもう悟りきった境地のお姿なのかしら。
背中合わせに二つ、こちらの方が古いのでしょう摩滅の激しいみ仏像があって片方は日輪を背負ってらっしゃる。これを見れば修験の山としてよりまだ前からここは信仰の山だったのだと思う。
三人でお昼を広げれば一杯になる天辺の南側はほとんど真直ぐに切れ込み、けれども風が当たらないのでうらうらと暖かい。落っこちないようしっかり座り込んでまずはビール。筆者は下りの足元を慮ってほんの少しで止めておきます。
四ツ又山の特徴ある姿やすぐ近くに見える小沢岳、小枝に邪魔されながら浮かぶ浅間山。眺望が飛び抜けていいとはいえませんが、落ち着いたいい気分の場所です。

788mの看板と三角点を写真に収めて腰を上げ、東側に下り途中から作業道を伝うことに。東峰に向かう枯葉の積もる痩せ尾根はかなり急で溶けきらない霜に滑って、筆者は相変わらずときどき転びながらきゃあとかあれーとか例によって騒がしい。登りより下りが苦手なのを果たして生きているうちに克服することができるのだろうか。
すぐ左手には大きく広がる平坦地が見えてたぶんそこがかつては萱場だったのではないかしら。鞍部らしきところからそちらへ向けて脆い半冷凍の斜面をざくざく下り、木漏れ日の美しい杉林の中を抜ければすぐに作業道に出会い、しばらく歩けば突然眺めが開けるその平坦地です。下仁田ローム層と呼ばれる遺跡跡でここからの妙義山がいい。周囲にそれぞれ特徴ある高まりを見せる西上州の山々がいい。遠くに白い浅間山もいい。こんな高みに正面がすっぱり切れ落ちた広い平坦地があることそのものがいい。しばらく眺めを楽しみます。

しっかり轍が残る作業道を下って、でもやっぱりこんな道ばかりじゃつまらない、西方向への踏み跡へ分け入り、薮っぽい茂みをがさがさかき分けたり、枯葉に埋まったり、猪の滑り台だという白っぽい獣道を教わったり、複雑な尾根を渡ったり辿ったりしながらだんだん高度を下げます。たまに曖昧になるとはいえ踏み跡はしっかりしていて、これが作業道ができる前からある本来の道だったのではないかしら。ただし往路と違い石祠の類いはひとつも見ませんでした。他にも頂上への古い道はあるのかもしれません。
竹林に入り道が広がってくればすぐに下に人家が見えて、青倉川の登り出しのひとつ下流の峯橋のたもとに。あとはゆっくりと車道を戻ればもう陽射しは少し夕暮れじみて、いえほんとうはまだ午後早いのですが、西上州の山を満喫した冬の一日でした。

○下仁田ジオパーク
さてもうひとつ山を歩くには日が短い、帰ってしまうには少し早過ぎる。ということで下仁田ジオパークに寄ってみます。
まず結論から先に。こちら方面に出かけることがあれば必ずお寄りください(きっぱり)。それも展示を拝見するだけではなく必ず館員の方の説明をお聞きください。「学」本来の楽しみが味わえること間違いなし。

青倉川のほとり、何処も同じ少子化で廃校になった元の青倉小学校前の小さな駐車場に「下仁田ジオパーク」の看板がかかっています。すぐ前はもうたまにしか使われないような体育館で、ここの活気のなさに休館と早飲み込みして帰ってはいけません。ジオパークは奥にある学校の本体にあり、まだジオパークとして始動しはじめたばかりの上に節電中で、やはり外から見ると深閑としていますが声を掛ければ中から係の方が出ていらっしゃる。一階で簡単な説明を受けた後二階の展示室へ。
まずここの下仁田の地質のカラフルな模型が目を引きます。遥か南の海からやってくるプレートと北からそれを受けるプレートが南牧川で綺麗に色分けされその上にクリッペ(根なし山)が別色で乗っかって、この盛り上がるクリッペがどこからやって来たのかはまだ不明とのこと。あるいは金剛萱の上で見たローム層には遠い遠い昔のなんと鹿児島の火山灰の層があること。妙義山のあの特異な形状がなぜできたのか。荒船山にあるという大きな風穴のこと。逆転する地層や滑ってゆく地層のこと。
たぶん平日は学生に教えたり研究に勤しんでいる方だと思うのですが、筆者の幼稚な質問にも誠実に答えてくださって、なにより地学を楽しんでいるその喜びが素直に伝わって、どのお話にも引き込まれる。こんな方に教わる若いひとが羨ましくなるような生き生きとした話し振りで、聞くほどに地球や日本列島が息づいてわくわくしてきて、お名前を伺わなかったのが悔やまれます。思いがけず長居してしまった楽しい時間でした。
もっともっと訪れる方が増えるように願ってやみません。

ジオパークのすぐ前の青倉川の対岸には地層が乗り上げた様相がはっきり見える場所がありこちらも見学。綺麗にふた色に別れて、近づけば地層が滑ったときの傷なども判るらしい。
ある程度の人数が集まれば下仁田の色んな地区にある断層やクリッペなどに案内もしてくださるそうです。機会があればぜひそんな体験もしてみたくなりました。

で、筆者はその根なし山の代表格御岳山へ必ず登ろうと心に期したのですが、いくつもあるクリッペはどれもこれも等高線がぎっちりと詰まっていて、上から砂を伏せて作ったようなあんな形状ではきっとまた転ぶのは間違いな
さそう。

12/28【追記】桐生みどりさんから御嶽講は「蔵王」ではなく「座王大権現」だとのご指摘。そうでした。この山頂の束帯姿の石像と、仏教の金剛蔵王とは別人でした。表情が全く違って当たり前だ〜。となると山名の「金剛」は果たしてどこからついたのか。どこかに青面金剛でもあれば面白いのだけれど。

* * *
作業道から登り出す
今日も山日和
山道へと
* * *
杉の間を急登し
枯葉の中を急登し
四ツ又山
* * *
まず普寛像
神変大菩薩に遭遇
不動明王
* * *
頂上が見えてくる
天辺にはやはり蔵王大権現
すぐ横に小沢岳
* * *
三角点もあります
山名票788m
東峰への尾根
* * *
陽射しが美しい杉林
突然の平坦地
妙義の山並みがくっきりと
* * *
浅間山が浮かぶ
下って見上げる金剛萱
青倉・根なし山の滑り面

* 楚巒山楽会トップへ * やまの町 桐生トップへ

inserted by FC2 system