代表幹事代行 

庚申山です。1,892mです(ほんとは1,900mかもしれません)。えへん、どんなもんだいであります。誰に向かってえへんなのかはよくわかりませんが、一丁目から始まるので記事は滅茶滅茶長いです。お覚悟のほどを。

助手席にふんぞり返って移動していた二十有余年の時間を反省し、まずは列車での移動です。車窓を眺める経験はだからものすごく昔の話で、それなりに新鮮でもありますが、見える景色はほとんど昔と変わってない。懐かしいような新しいような窓外を楽しみ、お子さまのように運転席のすぐそばで通洞駅を目指します。ほとんど初めて担ぐ大きめのザックを背負ってピッケルを持つと、昔酔っぱらって夜遅い時間に、感心しながら見ていた新宿駅の山屋さんになった気分。
通洞駅から磐裂神社の庚申山一丁目の丁石を確認(文久三年神田須田町の丹後屋さんが建てた)、不思議な狛犬を鑑賞(古くて足部が取れたのか魚類のような狛犬)、切幹にある庚申山講の巨大石碑も勿論チェック(こちらは慶応元年江戸講中の人と足尾の人の寄進)。ここから百十四丁まで昔の人はよく歩いたものです。

庚申山へ向かう県道に小滝の里があります。案内板を見るとかなり大きな町だった小滝も、残っているのはかつて製錬所だった建物の煉瓦の一部や、住居や施設に続いていただろう苔むした階段、明治18年から昭和29年までの夢の跡と言いたいところですが、その跡さえほとんど自然に還って「昔の光いまいずこ」と偉い詩人が詩った通り。鉱夫さんが入っていたお風呂の跡や赤錆びた橋、銅のために爆破された山の傷、坑道の跡などが点々と残っています。
7月の19日にここをじっくりと歩く企画のパンフレットを貰ったので興味のある方が行けば面白いかも。ただし費用がかかるようなので、自分の足で歩いてみるのが一番だとわたしは思う。

ここから六十九丁まで右に左に位置を変える渓谷から吹き上がる風が気持ちいい。猿田彦神社にもお寄りして明日の道中のご加護を祈ります。そう、もうここは銀山平、代行の単独行はここまでです。

翌日昼過ぎに今回代行を引率指導教育してくれるメンバーと合流。これが実に豪華絢爛贅沢三昧な面々で、たぶんこんな方々と山を歩く機会は一生に一回。庚申山で山に開眼し、足尾山塊の本をはじめ山歩きの本を何冊も出している、楚巒山楽会が仰ぎ見る星増田宏さんR子さんご夫妻と、代表幹事がいなくなってからのこのHPの守護神あにねこさんの三名。代行は秘かに増田さんを混世魔王、あにねこさんを托塔天王になぞらえております。R子さんは一丈青ですね。
銀山平のすぐ上に車を置いて出発。自分ではこんな大きいと思っていたそれまで担いでいたザックは、小さ過ぎると増田さんにあっさり却下され寝袋を一つ増やせる容量のものをお借りします。寝袋もマットも勿論増田さんからの借り物で、食料は三人がそれぞれ持ってくださり、代行のザックには着替えと少しのおつまみ類しか入ってないのですが、ウエストにベルトがあるザックなんて初めて背負うのでいやが上にも気分は高揚。一の鳥居を目指しての長い林道歩きですが、勇気凛々瑠璃の色、天狗の投げ石の不思議を楽しみ、谷の深さに感心し、さすがに茂っているとはいえまだどこか若い緑に洗われながら今回のテント場である七滝に着きます。

手早くテントを設営する3人をポカンと見てるうちにあっという間に宴会準備は整い、焚火に火がつき、代行のやったことといえばR子さんと一緒に嬉々として水汲みに行き、ビールやお酒を冷やしたことと、頼りない細い枯れ木を何本か拾ったくらい。二十年近く前に代表幹事と一度だけ行った袈裟丸でのキャンプしか経験がないので、猫の手にもなりません。そのくせ一番にビールのふたを開け、翌日のお山巡りのことなど気にもせず、焚火の側で燻られながら、丁巳の夜であるにもかかわらず庚申待ちの徹夜も辞さずというハイテンションでみんなを呆れさせます。
庚申の夜眠りについた身体の中から三尸の虫とやらが這い出て、天帝にその人間がやった悪事を言いつけにいくのを防ぐために、朝まで講の人間が集まって眠らないでいたという風習は、足尾にはまだ残る地域があるそうで、昔の人にとっては数少ない娯楽を兼ねた信仰だったのでしょう。宗祖がいるわけでもないのに、ほとんど全国的に広がったのは山伏や遊行僧の説教と、浄瑠璃本・浄瑠璃語りからだとか、庚申山には猿が多いので猿の浄土といわれているとか、庚申で暦はちょうど一回りで次の朝は大切な朝なのだとか、読んだばかりの知識を総動員し、つまみを投げ込み、お酒を注ぎ入れ、代行の口は休まる暇はありません。挙げ句、猿田彦は天鈿女の色気にふらふらしてけしからんとか、道教の仙人は久米の仙人はじめどうも女に弱い、純真なのも程度問題だと話はどんどん脱線して、お酒もそうですが焚火の炎も人を酔わせる。
結局テントには入らず焚火の側にマットをひいて寝袋にくるまったまま眠ってしまい、すぐ側にやってきた鹿の気配で目覚めるまで熟睡。鹿はしばらくこちらを見ていたのですが、猫を呼ぶようにネズミ鳴きして呼んだのが気にいらなかったのか上方に駈け去って、代りに朝がやってきました。焚火はよほど上手に燃したのでしょう、熾きが残ってあまり寒くはなかったし、少しの木を加えるとまた威勢よく燃え上がり、朝食。
テントは置いたままいよいよ頂上へ向かいます。

二日酔いの山歩きは水の消費が早い。幸い補給できる沢があるので助かりましたが、百丁を過ぎるあたりからは足は上がらず、気息奄々。時々ぱらっと降る雨が気付け薬で、水とカメラしか持ってないのにそのカメラを向けるだけの余裕がなく、お山巡りという一番のハイライトなのに写真の数が少ない。
今回はいつもと反対から廻ってみようという増田さんの提案で、鶴亀のほうから歩きます。さすがにお三方は少し歩けば回復して、あの梯子や鎖場を楽々進んでは、忍耐強く代行のへっぴり腰を待ってくれます。増田さんによる岩の解説、R子さん、あにねこさんに花の話を伺うという願ってもない楽しみなのに半分しか耳に入らない。それにしても皆さんの知識の深さ・広さは半端ではありません。
庚申草も終わり(咲き残りの庚申草を見られました)、まだ梅雨明けにならないので行き会う登山者が少なく、若いにーちゃんのパーティに笑われるくらいですみましたが、汗をかいては水を飲み、身体の中の水分が全て入れ替わりました。最後の最後、頂上に行き着くちょっと前の中途半端なところで、とうとうへばった代行につきあってくれて大休止。ほんとに山の達人たちは優しい。みんなのいる方角には足を向けて寝られませんが、前回の定例山行の時にも足を向けては眠れない方向ができているのですから、そのうち立ったまま寝るしかなくなりそう。

ようやく頂上、そして展望台で皇海山にご対面。いつもいつも遠くから眺めてはその姿の美しさで、代表幹事と代行に「特別な山」になっていた山がすぐ近くに屹立しています。雲は低いけれど、そんなことは気にならない。わっ皇海山、と何度繰り返してもまだ足りず、だからといって他に言葉もないので、またわっ皇海山と繰り返す。ここでも増田さんの貴重な体験談を聞くという超豪華な経験。ねっ、えへん、どんなもんだい、と威張ってもいいでしょう。
1日半みなさんとご一緒でき、ここまで来られたのは、わたしにとって何度も思い出しては楽しめる宝物であります。できればもっと精進してまたどこかに連れて行っていただこうと、殊勝なのか勝手なのかよくわからぬことを考えていますが、きっとみなさん代行の鈍くささに呆れ果て、疲れ果てて、もうこりごり、でありましょう。しかしわたくしには実に実に楽しくて貴重な体験でした。

7/14
増田さんより写真のキャプションの地名が間違っていると指摘がありました。
 鬼の耳すり→鬼のひげすり
 穴の中の庚申石→岩戸庚申
に訂正します。教えていただいていたにもかかわらず、上の空でごめんなさい。

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