赤地山〜谷山〜八幡神社

*「桐生市ことがら事典」にはなんと琴平山は九座もあり、この山だらけの町に何ゆえそんなに航海の神さまから名をいただく山があるのか、いや山だらけだからこそあちこちから名を集めなきゃいけなかったのかもしれませんが、なにしろこの岩久保山の支尾根にある琴平山は小曽根の琴平山と並んで香川県の金比羅の神さまを勧請した、とあります。
登り出しは三島神社の石段から。ちなみに三島神社は改名する前は粟島神社。少彦名がご祭神、金比羅さまと同じく舟に縁のある神さまで、う〜むこの辺りは海人の末裔がいらしたのか、渡良瀬川を生活の糧とする舟人が多かったのか、と素人の妄想は脈絡なく放恣に広がります。

境内を過ぎ雲祥寺の墓地を抜けて刈り払いの行き届いたしっかりした作業道へ入ります。道は西側にゆったりと巻きながら緩やかに高度を上げ、途中何本も同じような作業道が交差しあるいは麓から合流し、周囲は植林帯ではなく丈の伸びた笹原に細い灌木が思い思いに枝を広げる斜面が続き、なんの作業のためなのかちょっと不思議なほどどれも手入れのいい道で、赤城山との関係なのか余り冷たい風も当たらず、木の芽たちはまだ固そうですが笹の葉がこの季節には嬉しい柔らかな緑を広げ、うらうらと陽射しを浴びれば心愉しくて筆者はこの縦横に延びる道を全部辿ってみたくなりました。
西側から回り込む稜線上にもしっかりした道が刻まれ、まず右手琴平山へ向かいます。でも道の良さの割りにはなにもありません。勧請したという琴平さまの祠も、展望も、天辺感も。ぼさぼさと笹薮が広がりひょろひょろと雑木が野放図に立ち並ぶだけの山頂に、かつてのわが楚巒山楽会の看板と同じく風雨に弱そうな山名表示の小さな看板が揺れるのみ。そのくせしっかりとした道が来た方向以外にも延びていてなんだかあっけらかんとした、里山らしいといえばいかにも里山らしい山ではあります。

稜線を戻り次に左手の345mの天辺を目指します。これが代表幹事が西久保山と仮称した山かとも思いますが、標高が違い過ぎるのでちょっと保留。真直ぐに延びる道の正面に大きな常緑樹のあるピークが見えて、あそこなら何かあるような感じがしないでもありません。
途中やはり南麓からの道が合流していて、どなたがなんのためにこんなに綺麗にしてくださってるんだろうなどと首を捻っていると、道右側の笹薮に小さな石段までもった石祠が大きな岩を背に!これが件の琴平さまなのかしら、道は今でもお詣りする方のためのものなのかしら。
ここまでも振り返る度に開ける関東平野の展望はなかなかのものでしたが、この石祠あたりからは特に素晴らしく、吾妻山から川を越えて富士山(ふじやま)まで続く稜線、緩やかに蛇行しながら光る渡良瀬川、けっこう大きな阿左美沼、その向こうには普段見慣れた形とは微妙に異なる八王子丘陵が浮かび、鹿田山丘陵も全貌が見えて見飽きません。

石祠を過ぎて薄緑の山繭などを愛でながらしばらく歩くと道は薄い踏み跡になり、どうやら岩久保山まで続くようですが目指す頂上を巻いているので、少し離れるともう先行の方が見えなくなるほどの丈高い薮に突入、かき分けかき分けピークを目指します。この日駒形山からずっとご一緒のあにねこ・桐生みどり両氏は何事もなく進みますが、筆者は恒例の賑やかな悲鳴を上げることになり、ようやく追いつく頂上は雑木に囲まれた薮の中。特になにもない愛想のない天辺でこちらは全くお薦めできません。
琴平山を百山に入れるべきか入れざるべきかなんて言いながら往路を辿る途中、岩の石祠を過ぎてすぐに左手の高みに続くはっきりした踏み跡を見つけ、試しに辿ってみればこちらにも古びた石祠があって先の祠とは少し向きが違い、一同銘の判読にしばらく時間を忘れます。同じ神さまを別の集落が祀ったものなのか、別の神さまなのか、ほんとうにこれが琴平宮なのか、宿題は多い。

琴平山と道脇の石祠まで、色んなコース取りができそうで展望も良く明るい歩きやすい道、また歩いてみたい当会お薦めの山でございます。

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出発の三島神社
広々とした作業道
稜線の道は345mピークへも延びる
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琴平山看板
岩を背に石祠がある
好展望!
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道はだんだん心細く
もうひとつの石祠
下る道はずっと眺めがいい

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