黒檜山にあった山名プレート

楚巒山楽会代表幹事

2007年6月下旬、その年の暮れに桐生市川内の山で遭難死した極楽とんぼさんと赤城の黒檜山に登った。下山後デジタルカメラで撮った写真を整理していると黒檜山の三角点ピークに“あかぎ山”と書かれた山名プレートがあったことに気付いた。群馬県に赤城山という山はあるが、赤城山というピークはない。
赤城山とは“裾野は長し赤城山”と上毛かるたに詠まれたように大きな山体の中に存在する数えきれないほどのピーク、湖沼、谷など諸々の総称で、赤城山最高峰の黒檜山といえど赤城山の代表たりえない。と、こんなことは、ガイドブックにも書かれていることなので、まさか、黒檜山にあかぎ山と名付ける人がいるとは思わなかった。
思うに、犯人は「深田百名山」の徒ではないかと。深田久弥氏の『日本百名山』の40に“赤城山(1828m)”がある。百名山のピークに立ち、その山名プレートと自分の姿を証拠写真として残さなくてはならない深田百名山の徒にとって赤城山は困った存在だったに違いない。で、標高の書かれた黒檜山に“あかぎ山”の山名プレートをつけて、存在証明にしたと。苦肉の策といえようか。
深田氏は赤城山に各所から登り、赤城山のあちこちで遊んだ様子を日本百名山に書いている。深田百名山の完登をめざすほどの人なら赤城山の構成要素のほんの一つの峰に登るだけでなく、せめて赤城七峰くらいは登って欲しい。
で、先年黒檜山に登ってから一年以上間があいてしまったが、久々に立った黒檜三角点ピークに“あかぎ山”と書かれた山名プレートはなかった。祝着。上にあった黒檜山のプレートまでなくなっていたのは残念。黒檜山?黒桧山?当然、黒檜山。桧って、新字体だから。

“あかぎ山”のプレートがあったピークを山頂と書かずに三角点ピークとしている理由は桐生山野研究会のページに桐生みどりさんが書いている“赤城・黒檜山”“赤城各峰の山名について”を参照されたい。大岩が累積している石祠のあるピークは登拝の対象として登られているピークで、こちらの方(峰)が山頂に相応しい。
文庫版の『日本百名山(朝日新聞社)』の巻末に今西錦司さんが「名山考」と題した解説を書いている。ご自分を山の大小高低を問わず、登ってみたい山があればどこもかしこも訪ね歩く巡礼として“巡礼は名山であろうとなかろうと、お構いなしに山を登りつづけてゆく。しかし、巡礼は人一倍多感だから、数多く登った山の中には好きな山もあり、好きでない山もあってよいであろう。好ききらいは個人の趣味である。名山かならずしも好きな山でなく、好きな山かならずしも名山でなくても、あえて苦にするところなく、巡礼はいつかどこかで、彼の好きな山に巡り会えることを期待しつつ、なおも黙々として山を登りつづけてゆく。”

私が人一倍多感な巡礼とはいってません。

桐生の山はこちらへ     トップへ戻る
inserted by FC2 system