三開山(出石)

*三開山(みひらきやま)は但馬富士とも呼ばれる小さな山で、こちら方面に来ることがあればきっと登ろうと決めていました。別にご当地富士山マニアになったわけではなく、この麓にはネットで親しくさせていただいている歌友が住んでらして、そのきめ細かな暮らしの短歌が好きで、ときどき作品に出てくる但馬富士がとても気になっていたのでした。

出石からのバスは出石川に沿って北上し、こちらでは北へ行けば海、川を離れて右に広がる六方田圃はこうのとりの里でも有名ですが、もう麦秋は終りそろそろ水を張られた大きな田が整然と空を写して、その景色をどうしても山の上から眺めたかったのです。
木内(きなし)の瑞峰寺で下車すれば登山口。そこで地元の方に鈴を持つよう勧められます。えっ、こんな平地の可愛い山で?とお聞きすれば熊だって珍しくはないとのこと。今回筆者は鈴を置いて来てしまい一気に不安になりますが、でも熊さんはひとを見ると逃げると聞いてるしまあ行けるとこまでは。

墓地の脇を上がり標識に従って歩く道はまだ草も煩くなく、明るい緑が陽を弾いて柔らかな風が吹き、歌でも歌って行きなさいと言われた通りにでたらめな五月の歌を歌いながらゆるゆると登ります。
この道には石仏が二体、あるいは三体、道脇に置かれ、これは南側の麓の全勝寺まで88体続くそうで、この石仏コースの他にも古墳の道、どんぐりの道やわんぱくコース(出ました!)など”みひらきの森”として全山整備されていると案内板にあります。そんな山に鈴は大袈裟ではないかしら。

石仏を追って登れば周囲は青々とした太い竹がさわさわと鳴る竹林になり、頂上への直登の道と、やはり頂上へ散策しながら登る道とにわかれます。竹林に入ってからは筍があちこちに頭を出していたのですが、ここからの道どちらも道の真中にまで筍がつんつん生えて、筆者初めて見る光景、なんだか圧巻です。新たにつんつくの歌をでっち上げて緩やかな迂回路を選びますが、ここからがいけません。
あちこちに顔を出す筍はほじくられ、齧られて、一度竹林を抜けて小広く開ける場所に一体だけ鎮座する大きなお地蔵さまに手を合わせた後、再び入る竹林にはまだ剥かれたばかりの皮が散乱し立ちこめる獣臭!歌など歌ってる場合じゃないわ!
ここで鼻が効いてこの臭いが鹿か猪か熊か嗅ぎ分けられればいいのですが、筆者はそんな風には進化はしておらず、膨らむのは熊が座り込んで筍を剥く姿ばかり、少し進んでは立ち止まり、だいたい獣の正体を嗅ぎ分けたからってできればどなたにも会いたくないに決まっています。

お地蔵さままで戻りまた逡巡していると竹林の方向でがさがさと音がして、ひぇぇぇ、たまらず戻ると決めて最初の竹林へ下れば来るときにはなかった筍皮の散乱が続きますます濃くなる獣の臭い。筆者ほとんど半泣きで足を速めます。
竹林をようやく抜け、山道の下りにかかれば下からやって来る若いカップルの姿。地獄に仏ってこんな気分に違いありません。おふたりとも山慣れたしつらえで、近くにお住まいで山頂まで散歩かたがた往復するとお聞きして無理矢理同行をお願いしました。
快く引き受けてもらって、再び歩く竹林。ねっね、こんなに皮があるでしょ、だとか、ほら獣臭いでしょ、だとか言訳がましいけれど言わすにはおられない。昼間は大丈夫ですよ〜なんて笑われて筆者も一気に安心して一緒に笑っているのですが、さっきまでほんとうに恐かったのです。

別れ道は直登を選び暫く筍の間を急登。道の真中の伸びて竹になりかけた大きな筍に驚き、地元のひとは余り採らないんですねとお聞きしたらそんなには食べきれませんと爽やかに答えられて、確かにこれで動物が齧らなくなったら道形はあっという間に消えてしまうほど筍だらけではあります。
尾根が合わさるところからは緩やかに頂上を巻く道になり、若い緑の雑木の中を石組みの古墳や首のない石仏などを眺めながら東に回り込みます。整備されてからいくらか時間が経っているからでしょう、道に枯れ竹が折り重なった場所やコースが曖昧になるところがあってやはりここは筆者ひとりなら無理だったかも。

南の尾根に突き当たり、ここを下れば全勝寺、登りはかなりの急登です。だんだん近くなる空へもう少しもう少しと登り詰め、再び頂上を巻いて、右側へもうひと登りで広々とした天辺到着。気持ち良く風の吹き渡る明るい頂上には石仏や笠付きの石塔が立ち並んでいます。汗ばむ好天でいくらか空は霞んでいますが来日岳は有子山で眺めたより大きくて、出石川を合わせて流れる円山川はその脇を通って日本海へ流れ込みます。川の向こうに広がるのは豊岡市街、川のこちら側が六方田圃の広がりで念願の眺望を堪能しました。山城に相応しい広さと眺めでした。
同行していただいた方のザックからは懐かしいアナログのカメラが飛び出し、機能的で美しいボトルが取出され、ぴかぴかのコンロとケトルが現われ、渋い煙草に灰皿は洒落た金属製、仕上げには十徳ナイフまであって、場所や時代は違いますがうちの代表幹事と同じ嗜好なのがなにか楽しい。
美味しいコーヒーを淹れていただいて話相手になっていただき、折角のふたりの時間をお邪魔して心苦しくもありましたが嬉しかった。ありがとうございました。

とお礼を言う前にまず下らなくちゃなりません。
風を惜しみ眺めを惜しみ、天辺を惜しみながら来た道を途中まで戻り、散策の巻道を下ります。三開城には南北朝の時代に新田義貞の息子が入ったという記録(群馬と縁があるといえばあるような)もあり、山中には古い居館の跡も散在しているそうで、コースを丁寧に辿れば古くからの里山の歴史が楽しめるはずです。散策の道は緩やかな下りで古墳の跡がいくつか。
ちゃっちゃっと竹林を抜け、尾根に乗ってからはお寺への尾根コースを下ります。道ははっきりしないところもありますがすぐ下が人家なので迷うことはなさそうです。登り出しとは反対側の墓地を通って登山口へ戻り、改めておふたりに感謝します。楽しい山でした、ほんとうにありがとう。

数少ない出石へのバスはタイミングよくやってきて、宿へ戻ってもまだ太陽は高くて、筆者の山陰の小さな山歩きはまだ懲りずに幾日か続きます。

"
"
"
瑞峰寺登山口
カラフルな案内板
標識は要所に
”
”
”
二三体の石仏が道筋に置かれている 道の真中は筍だらけ 小平地のお地蔵さまは一体
"
”
”
頂上近くにも石仏 石像が並ぶ天辺 笠付き石塔と同行のおふたり
"
"
"
見下ろす六方田圃
下りの古墳跡
バスから見る三開山(右側)

* 楚巒山楽会トップへ * やまの町 桐生トップへ

inserted by FC2 system