山の紀行

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*一昨年の春、代表幹事と山歩きをしている時kotsunagiさんご夫婦とばったりお会いしました。20年近く日頃ご挨拶を交わすおつき合いをしていたのに、山登りをされるとは知らず、かわまたがこんなHPをやっていますと言ったら、いつも読んでいるがまさかあなたのHPとはと互いに驚きました。そのうち写真をUPして下さい、なんてお願いしたまま時間が過ぎて、先日初めて山にご一緒しました。
雪の鳴神。先行者の足跡はありましたがどなたにも会わず、光と時が乱舞する静かな山を楽しみました。

大滝口からの道はたいてい評判が悪い。台風で荒れたままのごろごろした石道の直登で、見えている空にどこまで行っても近づけない面白味のない道。昔々に金沢峠を登ってここを下った代行は、それ以来桐生の山を敬遠するようになりました。若いというのはどうも求めるばかりで、滋味を知らない。
この道を年に幾度も歩かれるご夫婦は、季節季節の花の咲く場所や、遠い山が鮮やかなポイントなど次々と教えてくださって、丁寧に山を愛しんで歩かれているのがわかります。そう、道に面白いも面白くないもない、何を見るか何を楽しむかという視点と心の深さがあるだけです。

最初の目的、大滝の不動明王は両脇に石祠をお供に、宝永六年(1709)と刻まれています。前々年に富士山の大噴火、この滝に打たれて不安な気持ちを振り払った修験者もいたかも。火焔の赤い彩色が薄く残りなかなかに美男におわします。
だんだん深くなる雪を踏みしめながら次の不動尊へ。沢の源頭にちんまりとあるこちらは結構新しく明治二廿四年とか。あっさりした線の味のあるお不動さまです。
もうここまで来たらあの急な道を下るのは嫌。幸い風もなく暖かで、雪はさくさくと歯切れのいい音をたてて足元で崩れてくれる。頑張って頂上を目指します。途中筑波山が驚くほど近くに見える場所があり、ずっと続く杉木立のマジックとか。

細い雑木林を抜けた肩の広場は真っ向から赤城おろしが吹きつけます。長い赤城の稜線の黒檜山が立派なこと!すぐそばの神社や神狗、雪に埋まる僧の彫像などを拝見して、真っ白に雪が積もる尾根を急登すれば、、、代表幹事はきっとこの眺望を語るときに「360度の絶景」と使い古された言い回しを用いるしかないのが嫌で、この山を書かなかったのでしょう。けれども他に言いようがありません。
切れるかと思われた雲は男体山にどんどんまつわりつき、その替りに上州武尊が顔を出し、薄く裾野が見える富士山に注目すれば、さっきまであった大山が消える。遠くの雲の動きは速く刻々と変わる光の中でおふたりに山の名前を教わります。スポットライトのように光線があたった峰が白く輝きそれぞれ個性を主張する。見ていて飽きません。

食事を済ませ眺めに名残りを惜しみながら下ります。仁田山岳へのこの道、ツツジの季節が見事でしょう。今はようやく色づき始めた芽に雪がかぶさり薄べにが初々しい。マンサクもほのかに黄色く何度も何度も通う気持ちがわかります。
さらさらとした雪、所々の吹きだまりは優に30㎝くらいあって、ちょっとわくわくしながらぼすぼす踏み込んでみる。あとで冷たいと泣くのがわかっていても、悪い癖です、やってみずにはいられない。けっこう深く残る雪を子供のように楽しみました。
赤柴への山稜をわける峠から右へ、杉の植林帯を下ります。kotsunagiさんの名前の由来だけあって、ご夫婦のお人柄通りのゆったりとした穏やかな道。時々高くを風が抜ければ、枝の雪が細かくゆったりと降り注いで、ああ、ああと溜息をつくしかない儚い、切ない、きらきらした瞬間が光の帯となって続きます。3人で何度も感嘆しながらいつまでも風と光に見入っていました。kotsunagiさんの素敵な写真はこちらです。

カッコソウの移植地や山葵田の跡を過ぎ、幾度か流れの早い沢を渡って林道到着。出発地に戻る道筋で驚くほど大きな岩と遭遇。崩れないように強化するための工事中で、何人もの作業の方がロープで身体を確保して高い所にぶら下がっています。これが3/15までの車の通行規制の理由なのでしょうが、一見の価値あり。巨岩の下には今回撮りたかった石仏があるのですが、立ち止まっていては作業をずっと中断させてしまうので断念。巨岩の上に一本残る傾いた松は工事が完了する頃には伐ってしまうそうです。

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