西場富士〜大小山

*山に文字、といえば京の都の大文字、あるいは子どもの頃、筑紫平野を走る汽車の窓外に流れていく段丘の、低い山の斜面に掲げられていた「福助足袋」や「中将湯」の看板。こちらは文字よりシンボルマークの福助やお姫さまが印象的でした。
足利の東部、富岡地区には江戸時代から山頂直下に大きな文字のかかる山があると知っていましたが、昔々に歩いたときには見なかったような気がします。検索すれば平成になってからまた新しいものが掛けられたのだとか。その文字と、代表幹事が残した資料にある「砥の粉山」の所在確認、ついでに西場富士の麓の百観音も見物したいと少しお暇ができたあにねこさんと共にいざ出発。

○百観音〜西場富士〜石祠のピーク
阿夫利神社の駐車場から走ってきた道を少し戻れば宝暦六(1756)年に建てられたという養老碑があり、大きな石の正面には雄大な文字、残り三面には細々と碑の由来や施策が彫られ、山を背に広々と田畑が広がる里のかつての豊かさが偲ばれます。
そのまま山に沿って舗装道を少し歩けばやはり立派な門柱のある稲荷神社。新しい敷石を伝って神社に手を合わせ、奥の本殿の少し色が褪めかけているとはいえ中国の故事を描いた見事な装飾を拝見。裏の神さまたちの社もみな手入れよく、石祠の乗る石垣も見事で、今でも集落のひとに大切にされている神社だと感じ入ります。
神社のすぐ右側から西場富士への道標に導かれて杉の間の自然道に入れば、春の光はうらうらと長閑で木漏れ陽が明るく、途中の登山道の分岐を見送ってまずは百観音へ。小さな山の斜面にずらっと並ぶ観音さまたちは壮観で、ひとつひとつをじっくり眺め、こちらは寛政期に幾年かかけて建立されたもので、さてどのくらいの費用がかかったのかなんてさもしい計算をしてしまう筆者にはどうもご加護は望めそうもありません。

山裾の道の柔らかな土の感触を楽しみながら先ほどの分岐に戻り、しっかり踏まれた歩きいい山道を辿ります。両脇には黒い実をつけたヒサカキが緑を広げ、尾根に出るまでいくらか傾斜は急ですがすぐに159mの西場山山頂、三角点と山頂看板があります。少し先には秋葉さまの石祠、樹間には大小の文字を掲げる鷹巣山、続く妙義山の高まりからの、これから歩く稜線がこちらへ向けて柔らかな陽射しに浮かび、たぶん次のピークが砥の粉山ではないかしら。
大小の文字は大天狗、小天狗を表し、江戸時代から大は佐野の茂木郷、小は足利の駒場町が奉納してきたそうですが、平成七年に傷んでいた木製のものを金属製に替えたのだとか。こちらから見るとお不動さまがいるという妙義山の前に、確かに大小の天狗が畏まっているように見えます。

尾根は一度がくんと急降下して、その後はなだらかに高度を上げる気持ちいい道。露岩の目立つ小さな高まりが連続し、大小山への道標はいくつかありますが砥の粉山を示す看板はないままに鎖が取り付けられた大きな岩場へ到着してしまいます。キレットと呼ばれるのに相応しく、両側から大岩石が迫る細い隙間が枯葉を敷き詰めて急傾斜で下降していて、ちょっと下ってみたいような、でも隙間に挟まれて難儀しそうな実に面白い地形です。岩の屈曲など撫でて生成について素人談義をしながら再び鎖を掴んで先へ進めば、ここからはずっと霞む関東平野と東側に開ける佐野の山々の眺めが素晴らしい。唐沢山から奥へ延びる尾根や遠くの晃石山、”あたしの”三床山稜、さっきまでいた西場富士はもう低くに可愛らしい円錐形になり、はて砥の粉山はどのピークのことだったのかと怪訝に思います。
暫く歩けば松の目立つざらざらした尾根の先に突如にょきと聳える大岩が出現。据えられた
石祠の側面には延享三(1746)年と彫られ、確かにこの岩峰は思わず手を合わせたくなる不可思議な形。ペンキで直登の矢印が書いてありますが筆者ではきっと途中で立ち往生すること間違いなし、ここは大人しく巻き道を選んでこの岩の上に立ちます。恐々と岩の先端に立てば東側にも一気に展望が開けて、ほんとに平野の最初の高まりというのは格別で、しかも断崖絶壁の上というシチュエーション、座り込んでゆっくりとお昼を広げるのにもってこいの場所です。
まだ熱いコーヒーを片手に持ってきた食糧すべてお腹に詰め込み、煙草を燻らせ、うだうだ過ごす素敵な時間。ここなら真冬のきんと張りつめた冷たい日でも、若葉を揺らせて風の吹き上げるこれからの季節でも、植林が少なくて複雑な彩りが楽しめそうな深い秋でもお薦め。道が広いので真夏だって悪くないかもしれません。

○妙義山〜阿夫利神社
すっかり軽くなったザックを担いで、右手にだんだん大きくなる妙義山を目指します。露岩はますます多くなり間を縫ったりよじ登ったり、尾根はなだらかですが300mほどの里山とは思えない変化に富んだ高山気分で楽しい。安蘇の山に人気があるのが心から納得できます。
左手に阿夫利神社への下山ルートを分けたら、右にゆったり延びる山道を少し辿って凛々しい不動明王にご挨拶を。手を合わせて戻ればいよいよ妙義山への岩場の登りです。軽々と先へ進むあにねこさんを、相変わらずひゃあひゃあ騒ぎながら追いかけますが、いくらか悲鳴に余裕があるのは下界の眺めとルートの楽しさのせいでしょう。
空に向かってぐぐんと立つあにねこさんに追いつけば妙義山山頂。二等三角点と山頂看板を中心に360度の展望!いくらか暖かい雨上がりの日なので遠くの山は雲に隠れてしまっていますが、それでもこの眺めは素晴らしい。いつもはけっこう賑やかだと聞きますが、今日はお二方が寛いでいるだけの静かな天辺で、あちらが日光、そちらは茶臼山、それならこちらが鳴神山脈と周囲の眺めを満喫。少し後に大坊山からの往復だというこの山塊のエキスパートのような方が到着され、本来なら見えるスカイツリーの方向、これから斜面に咲き誇る花のあれこれ、昨年の地震で崩れて形を変えてしまった岩舟山のことなど教えていただき、この辺りの山、まだまだ歩いてみたくなりました。

名残を惜しみながら岩の多い斜面を危なっかしく下り、越床峠への尾根を分けて、次のピークが直下に大小の文字を描いた鷹巣山282m。ロープが張り巡らされ文字のある垂直の岩場へは近づけないようになっています。尾根を少し下れば鉄製の長い階段が取り付けられていて、文字の真下の展望台は七合目なのだとか。正面に広がる関東平野の田園、頭上には真っ白な大小の文字、東屋の向かって右手には文政期の普門品五萬巻供養塔の大きな石碑があってこの山の今に続く長い信仰の歴史を感じさせてくれます。

下りの岩場はまだまだ続き、男坂・女坂の看板はもちろん(?)男坂を選んで赤茶けた岩場を飛んだり跳ねたりしながら一心に下ります。ここで登ってくる方幾人かとすれ違い、午後遅く登り始めても充分楽しめる、季節を問わない足利・佐野両市民のハイキングコースなのだと実感します。多分この岩場の往復か阿夫利神社への尾根コースの周回なのでしょうが、で、それも楽しい素敵な道ではありますが、もう少し足を伸ばす今日の西場富士との周回、あのキレットと岩上の憩いを楚巒山楽会としては力を込めてお薦めしておきたい。
岩場を終えると道はすっかりなだらかになり、五合目だという仙間神社からは整えられた参道の長い石段を下ることになります。まだそんなに時代の経っていない神社は、暗いうちに行をなさる方でもいるのか電線が延ばされ石段に沿って街灯が続き、夜の景色をちょっと想像してみましたが怖がりの筆者には短い距離とはいえどうも修行など無理そうで、なんにしろ神のご加護とは縁がありません。

右手の沢に不動滝の庵が見えてくればすぐに出発地の阿夫利神社。大きな屋根から滑り落ちた昨夜の雪がまだいくらか残る趣ある拝殿に今日の無事を感謝すれば、全身から半日お陽さまと仲良くした日向の匂いがして、里山の春爛漫はきっともうすぐ。

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西場富士全容
稲荷神社参道を進む
登山道との分岐看板
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西場百観音
西場富士山頂
妙義山と大小の文字が遠くに
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キレット・面白い
いくつかピークを踏んで進む
西場富士と(多分)砥の粉山が後に
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石祠のある大岩峰
断崖から関東平野
露岩が多い尾根
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不動明王・素足が可愛い
岩場を攀じる
あにねこ氏はもう天辺に
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二等三角点と頂上看板
金山・八王子丘陵が霞む
こちらは佐野の山々
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下った道を振り返る
鷹巣山(大小山)ピークへ
展望台から文字を見上げる
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岩場を下る筆者勇姿(?)
仙間神社の参道が続く
阿夫利神社の登山道標識

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