筆者は根っからの平和主義者なのでいつも山城を見る度に、確かに守るのには堅牢そう、でも攻める苦労を思えば抛っておいて先へ進む方が消耗が少ないんじゃないかと思い、代表幹事にそんなことをしたら後を取られてしまうじゃないか、ほんとに女ってえやつは戦略的じゃない、なんて言われていたのでした。平安末期から戦国にかけて群居する地方の領主たちはいつも寡兵、山城なら時は稼げて友軍を待てたのかもしれませんが、お水やご飯が少ない篭城なんてやだわ。

里見兄弟の悲劇で名高い大間々要害山を、地元の赤猫さんに案内していただき山猫さんと三人でゆるゆる歩いて参りました。ちょうど桜の季節、色んな種類の桜が少しずつ異なった花色を広げ、木々は淡い緑を柔らかく膨らませて、春の高津戸渓谷と要害山から少し北への稜線をたっぷり楽しむ半日です。

要害山から稜線を歩く
高津戸橋が架け替えられて今まで通りからは見えなかった神明宮がまっすぐに見えるようになり、ウィークデイだというのに車が幾台も停まり、ちょうど桜はまっ盛り、もう対岸の渓谷遊歩道を歩いている方がちらほらと見えます。
この地に鎮座して七百年弱、お社が綺麗なのはやはり神明宮、ある時期までは式年遷宮で建て替えていたからでしょう。まず本殿や北西側境内の大きな石祠やら八坂さまやらに手を合わせて、裏側の杉林の道を左手跳滝橋の方向へ。見下ろす渓谷は深い緑色の流れが所々白く泡立ち、断崖には新緑や山吹の黄色が柔らかで、ひときわ白く流れが渦巻くあたりが渡辺華山命名の「跳滝」です。
その名の跳滝橋、ここはいつもなるべく真中を歩くのですが、今回は手摺が前より高くなっていて恐る恐る右側に寄り、下流の赤い高津戸橋やその向こうに薄く滲む八王子丘陵の茶臼山、正面桜の裳裾を曵く要害山をしっかり撮影。液晶を見ている限り高所恐怖症にならないのは不思議です。

舗装道を暫く歩いて要害山の西側斜面への登山道へ。ここで下山する遠くからの一人旅の若い女性とすれ違い、高津戸を歩いた後は間藤・神戸・水沼と回って今夜は桐生泊まりなのだとお聞きし、うーむ地味な選択の旅、みどり市あるいは渡良瀬渓谷鐵道の観光客誘致は大成功なのかもと感心します。
登り出しは急であっという間に橋は真下になり、その向こうに手振山とそれに続く住宅地が浮かび上がり、大間々のこの段丘状の地形にはいつも感嘆してしまう。見るからに暮らしやすそうな台地で、あの辺りに古代遺跡が多いのが納得できます。
この西側斜面、町のすぐ側なのに植物の宝庫で、やたらお詳しい猫さんコンビに名を教えてもらいながら登ります。地面には何種類もの菫、十二単、破れ傘、ナルコユリ等々、見上げれば楓、柳、欅、朴、椣などが花をつけとても数えきれません。道は緩やかに東へと巻き始め、煙るような多様な緑や桜を楽しむうちに簡易舗装の道に出会ってすぐ赤鳥居。遊具の並ぶ広場はかつての二の丸かしら。すぐ上の広く平たい頂上が狛犬や大手水石がある要害神社本殿です。古いたくさんの石祠も並びこの辺りの山神さま総集合の模様。

ここからハイキングコースの標識に従って北に。ほんの少し簡易舗装が続きますがすぐ右手に消えて、もうそれからは両側に途切れることなく白を含めて濃淡の菫が咲き乱れ、中でも匂い菫、地面に伏せるように鼻を近づけるとふわっと芳香が広がり、成熟しつつあるおねーさんがつける香水のようでつい何度も伏せの姿勢で嗅いでしまいます。緩やかなアップダウンには鶯や目白、つぐみなどが絶え間なく囀り、かずら、うつぎ、朱色の鮮やかな木瓜、木いちご、山つつじ、山桜、どれも花も葉も美しく、どの樹木の緑も初々しく柔らかい。この季節の里山の幸せを満喫して歩けば、おっといけない、今日の第一目的の三角点を見落とすところでした。
鉄塔を過ぎてすぐ、きっとこの辺と山猫さんと高まりの左薮に突入すれば黄色のチップを埋め込んだ三角点がひっそりと。284,3m、要害山より少し高い三角点は基部が猪に掘り返されて、どうかひっくり返りませんように。

里見兄弟の阿弥陀堂を経て高津戸渓谷を歩く
ここまでの稜線の道は主に右側に幾本かよく踏まれた分岐があり、どれも高津戸側の車道と繋がるそうで、赤猫さんは色んなコースを散策されていて、今日は一番大回りのゴルフ場に突き当たってからの下山道を辿ります。
ふかふかの落葉を踏み、倒木を越え、短い木道を歩き、標識に従って右側に沢音を聞きながら進めば、水芭蕉が何株もある湿原が。この湿原、残念なことに出口あたりが大きく崩れて流れがそのまま落ちていますが、ここにもう少し水が溜まるようならなかなか素敵なポイントで、きっと水性の植物や昆虫の小楽園になりそう。周囲の篠竹もまだ柔らかでこのまま荒れてしまうのはいかにも惜しい場所です。
道なりに下れば要害山東裾の住宅地。三角点のピークがすぐ上に見えて、地元の方に名前を尋ねても、名はないんじゃないかとつれないお返事。

車道を少し山側へ戻れば小さな池のほとりに石祠がふたつ、しっかりした鞘堂の中に納まっていて、寛政4(1792)年の銘があり、ステンドグラス風の蝋燭立てもあって現在もお祀りされているようです。山田郡誌にある里見兄弟の慰霊祠かとも思ったのですがどうも年代が違います。あれはもっと上のなのかしら。
この少し先から、要害神社への旧参拝道の山道を下ります。古樹が並ぶ歩きやすい道、途中マムシ草が群生していて猪の掘り跡多し。椿の大樹が道一杯に花を落として華やかなお家が見えてくれば、その脇に要害神社の石柱と旗立の石段が。筆者は一度ここから要害山へ登った記憶があります。

突き当たる桐生への鋪装道には古い要害山道の石碑が建っていて、古い時代の信仰の篤さが偲ばれます。途中里見まんじゅうのお店を右に見て、かつて大間々の町、銅街道へ繋がる渡し場だった河原へ向かってみます。里見兄弟の墓所だと伝えられているこんもり若葉に包まれた阿弥陀堂で手を合わせ、裏側に半円形に広がる山田氏の古い墓石群を拝見しその裏側から古びた石段を下りましょう。水気を含んだ坂道は年月を経た大木が両側に迫り、その向こうに明るく光る流れはすぐ上流の渓谷のとは違う緩やかさで淵を作って、川の表情の変化はなかなか面白い。

あとは高津戸橋の脇から渓谷の遊歩道へ入り、一面の山吹を愛で、急流を見下ろしたり谷に迫り出す吊り橋を渡ったり、東屋でお弁当を広げたり、奇岩を眺めたり岩を伝って川に近寄ったり、ポットホールをじっくり観察したり、ふたつの橋を交互に写真に収めたり、長い急階段で泣いたりして、満開の桜と柳の淡い緑で彩られた跳滝橋へと戻ります。
再び高さに震えながら橋からの景観を楽しんだ後は跳滝道了尊へお寄りして、火焔を背負う烏天狗が狐に乗ったお姿を拝見し、この道了尊、かつては橋の北側に鎮座してらしたのが最近ここへお移りになったのだとか。拗ねた心を素直にして下さるというまるで筆者のためのような霊験を期待して鐘をつき、改めて神明宮の広い境内の今度は東南側をゆっくりと歩いて、出会うお社全部にあれこれお願いし、風もないのにはらりはらりと舞う桜の花弁にしばらく見蕩れて、春の午後は実に平和で美しい。

神明宮の美しい拝殿

渓谷の斜面は瑞々しい緑

跳滝橋より(高津戸橋方向)

正面に要害山

対岸手振山とそれに続く台地

西側からの登山道

山腹は春の色

頂上の要害神社

ハイキングコースを北へ

菫と鳥声と若い緑の緩やかな道

ワレ三角点発見セリ

ゴルフ場に突き当たって下る

湿原帯からの小川

山道は一度舗装道へ合流する

池のほとりに石祠二基

古い参拝道を辿る

要害神社への階段の始まり

要害山道の案内石碑

里見兄弟の阿弥陀堂

渡し場へ

見上げる跳滝橋

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