山の紀行

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*この春はちょっとしゃっきりするために(気分転換とも言いますが)しばらく南へ旅していました。
ひと月に三十五日雨が降る(by林芙美子)などと言われる屋久島も四月頭は本来なら雨が少なく、春休みとゴールデンウィークの合間のいくらかひとが少ない季節。狙い目としては悪くなかったのですが生憎今年は寒波渦が列島を乱して、出発前には桐生にも桜に雪の降る日があり、滞在中は冷たい雨が続き山には雪も降って予定通りには歩けませんでしたが屋久島の独特の植物相と森の息吹を楽しんできました。

屋久島を訪れたひとがほとんど歩くといわれる白谷雲水峽。宮之浦から県道594号線を800mほど登った駐車場からあまり歩かれていない裏コースを辿ります。よく整備された歩きやすい山道の両脇、陽当たりの良いところには小さな杉の若木が朽ちた樹木の上に並び、鹿に食べられない高さのものだけがまず育つそうで、試しに食べてみると新芽は柔らかく香り高くて美味しい!鹿はなかなか美食家かもしれません。
右下には帰りに通る雲水峡の花崗岩の川床が白々と横たわりその上をスーツ姿に革靴のひと達が歩いていて驚きますが、ここをガイドしてくださる闊達なお嬢さんに伺うとよほど濡れていない限り花崗岩は滑らないそうでバランスの悪い筆者はまずはひと安心です。
サクラツツジの白い可憐な花やたっぷりと水を溜めた杉苔や檜苔を愛で、正面の飛竜滝から流れ落ちる水の清冽さに目を細め、飛竜橋を渡って緑溢れる森の中に入ります。

新緑の楓が柔らかく光を透かす森は思いの外に明るく鳥の囀りがすぐ近くで間断なく響きます。ほとんど平坦な小径の両側に奇妙な形で残る杉の切株も、あちこちに転がる大きな石もすっぽりと苔で覆われて濃淡の緑に充ちた世界に艶やかな朱がかった木肌を見せるのはヒメシャラで、その大樹は名の通り女王のように高く空を目指し、滑らかな姿には凛とした爽やかさがあります。この樹は脱皮するそうで苔がつかずその木肌の色と相俟ってとても目を惹きます。

道は次第に苔の間に緩やかな起伏を描き、まずは二代杉へ。古い大杉の切株の上に着床した杉が長い年月をかけてまた大杉となったものでさすがに名を持つだけあって、その複雑な根元の形や太さ、荒々しくも美しい木肌に感嘆。
ここからはこうやって名を付けられた杉の大樹が何本もあります。けれども名がない杉や檜や沙羅、いやもう遠い昔に伐られてしまった切株たちそれぞれに風格があり個性があり、今回ガイドをお願いしたYNACさんはそれらをゆったりと時間をかけて眺めるコースを設定していて、ただただ森をさ迷いたい筆者としてはとても嬉しい。杉は葉も根も三つに分かれるのが特徴です、なんて説明を落葉や杉の根を触って確かめさせてもらったり、苔のそれぞれの手触りの違いや光や水を求めて触手のように延びる根の曲がり方を探ったり、もう下からは見えないほど高い樹木の先が空に溶けるのをぼおっと眺めたり、既に岩のようになった朽木のえも言われぬ形を飽きずに撫でたり、たっぷりと時間をかけてゆるゆると歩きます。

幾度か水流の速い沢を徒渉し、屋久杉たちはどれも木肌の窪みやうねりの間に他の植物を育ててまるで集合住宅のようになっているのを、その種類を数え上げては楽しみ、猿が食べ散らかした椿の花をちょっと舐めてみたり、巨大な猿の腰掛けに跨がってみたり、杉の根を潜ってみたりして森の深みへと。
苔や岩のあるところは少し北八ヶ岳の森にも似ていますが、新緑の季節のせいもあり、樹木たちは上手く高さを棲み分けていて北八よりずっと明るく、重なる岩はもっと巨大でとても原初的な風景だと思う。その中にいるだけでひたすら嬉しくて何を見ても何をしてもついつい笑ってしまいます。

沢側の開けた場所にある白谷小屋で一服して、その奥、宮崎駿の映画で有名になったという「苔の森」へ。
しんとしたその場所にはどなたもおらず、緑濃い苔の間に微かに水音がして高くで風が吹くのが光のそよぎになって、自分がむかし植物だったような淡い記憶が湧いてきます。もう動きたくないような、そっとそっと根を張っていくような。
いい時間でした。

ゆっくり小屋へ戻り、来た道の途中から沢の右岸の斜面の道を歩きます。こちらは歩くひとが少ないらしく苔の色がより鮮やかに思えますが道はしっかり整備されています。途中対岸の頂が眺められる場所があり、そこへ続く森の、いやが上にも高く飛び出している屋久杉に目を見張り、その下の濃淡さまざまな緑の重なりの、その一番底にいる人間の小ささをつくづく実感しました。
苔の上の菫の群生や大きな真っ白な蛾の優美な姿を愛で、ヒメシャラの大樹の大きな瘤に驚き(一種の免疫作用であるらしい)、高所恐怖症としては一番心配だった吊り橋を無事渡り終えて来るときに見下ろした花崗岩に降り立ちます。この一枚岩は大雨のときには水に没することもあるとかで、けれどもその岩の間のほんの少しの土の上にサツキの木が健気な姿を見せていて、吊り橋の名がサツキ橋なのはこの小さな木が頑張っているためなのかもしれません。
花崗岩は確かに滑らず、今回の旅、島へのフェリーがドッグ入りしていて登山靴が送れず、普段の里山用のトレッキングシューズしか持って来れなかったのですがこのコースならこれで充分でした。

屋久島のあちこちを歩いて、記事はまだ続きます。
どこも充分楽しみましたが、できることなら季節を変えてまた歩いてみたいと強く思います。植物相は勿論、山の姿、里の暮らしや信仰に独特のものがあって、今回ガイドをしてくださったYNACのスタッフのみなさんが地元の方ではないのにここに永住すると決めてる気持ちが良く判ります。

もちろん桐生の里山だってまだまだ歩きたい。筆者は桐生に永住すると決めているのですから^^。更新がすっかり間遠になっておりますがどうぞ末長く、よろしくお付き合いくださいませ。

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ヒメシャラの美しい木肌
目で辿ればあんなに高くまで
新緑と苔の緑の世界
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飛竜橋から流れを見下ろす
不思議な形の切株がたくさん
どっしりと屋久杉
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道は緩やかに起伏する
ヒメシャラは光を求め
複雑に根の絡まる斜面
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根の間を潜る
幾度も沢を渉る
ゆっくりと惜しみながら歩く
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古樹の上に大杉
古い切株、それはそれは大きい
何本も杉を育てる朽木
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ヒメシャラは鮮やかな朱
森は深いが明るい
奉行杉
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歩きやすく整備された道が続く
既に植物を卒業したような杉の根
名のない大樹もどっしりと存在感が
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苔の森へと
ひとは小さい
厚く苔むす岩や樹木・静かだ
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どの木にも個性が
白谷川の流れに戻る
照葉樹は古い葉が紅葉して落ちる

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