ものの話 その1

小さなストーブ

代表幹事がいなくなって山を歩くことはないと思っていた昨年3月、彼の山道具のほとんどを処分した。いま落ち着いてみると、なにもそんなに慌ててあれもこれも捨てなくても良かったとは思うのだけど、当時は見るのも辛く、身につけるものや普段使っていたものは少しだけ残したが、常には使っていなかった昔の道具はなにもかも袋に詰めて業者さんにお任せした。
色んな方の好意で山へ連れて行ってもらうようになって、嗚呼あれを残しておけば、こんなものもあったのに、といくらか後悔もしている。

特に若い頃一緒に歩いた山で、真面目くさった顔をしながら、なにか神聖な儀式の如くわたしにはよく判らない施術を行い、あれこれ説明しながら得意そうに点火していたオプティマス8Rとかいうストーブは、捨てたというと、何も捨てなくてもとか、あれはいまや希少価値とか言われて、たいていの山のひとに残念がられる。
お弁当箱のような四角い金属のケースは青灰色の塗料も剥げて、蓋を開くとコンロと燃料タンクが本来ならピカピカ光るのだろうが、錆びたような曇った色だった。代表幹事はもうそんなもので熱いものを作るような長い時間の山歩きはしなくなっていたが、いまやわたしは一日中山を歩くこともある。てっぺんでお湯を沸かしてラーメンやスープをご馳走になる度に、自分でもひとつ欲しいと秘かに熱望していた。

小さくて、軽くて、使い方が簡単で、できれば誰も持っていないようなもの、と捜していたら、手作りの実に可愛いストーブの写真を発見し、希望者にはお分けしますの記事を読み、もう居ても立ってもいられない。早速お願いして、とうとう手に入れたところまでは、嬉しくて掲示板でご報告した。

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銀色のてのひらサイズ、本体26g、燃料のアルコールを入れても66,5g。小さいけれどしっかりした三脚と、教わった風避け材料が手に入らなかったので台所のアルミのコンロカバーを幾重かに折り畳んだものをを小さな巾着袋に収納して、あんまり可愛いものだからなかなか外には持ち出せず、時々袋から取り出して眺めては撫で回す。

Sanpo's CF Stoveが正式名称。勿体なくて使えないかもしれません、と制作者のさんぽさんにメールしたら、道具は使ってあげなければなりません、と言われたのに代表幹事の写真の前に安置してずっと見せびらかしていたのを、ようやく11月最後の日曜、氷室山神社の神さまのそばで使ってきた。
オプティマス8Rと同時にあちこち凹んだお鍋のセットも捨ててしまったので、同行のあにねこさんにお鍋を貸してくださいと前日からお願いしていて、鍋ではない、コッヘルです、と教わり、説明書では最大火力で400ccの沸騰4分と少しなのに、何事も中庸の温厚なわたくしめは三段階の火力調節のまん中、約500cc、三人分のスープ用のお湯を沸かした。

落葉を払って土を均して点火すれば、アルコールの燃えるほの甘い香り、微かな火の燃える音、だんだん水から湯気が立ち、ちょっとえへんぷいであれこれ説明して、その時間のなんと幸せなこと!
そうか、代表幹事がかつて山の上で得意そうだったのはこういうことだったのね、と納得しつつ、今度は小さなコッヘルを手に入れなければならないし、それより前に自分の水を持つために、少し大きなザックもひとつ欲しくなり、「ものの話」あと何回か続くような気がする。

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