高尾山

*さて、山猛者のあにねこさんが明神山だけで済むはずはない、もちろん筆者もまだ歩き足りないのでもうひとつ川浦の高尾山へ足を延ばします。
途中猪毛で丸彫りの道祖神を拝見し、この神さま江戸の中期に三河からはるばるこの地に運ばれてきたものだと案内板にあり、座ったお地蔵さまのような丸っこい可愛い形、幣束が上げられしっかりした建物に鎮座して病気平癒の願掛けなどがなされるそうです。

国道406号を離れて烏川沿いに北上して左側の山裾へ。農作業の方がちらほら見える高原地帯は向かいに榛名がやんわりと稜線を広げて、里山はどこも入り口が難しい、温室が見える農道へとあにねこさんの後をぱたぱたと追います。行手にはぽこんと目的の高尾山が膨らんですぐに緑の茂るなだらかな作業道へ。
八王子の高尾山は富士山から連なる山々の尾でその名がついたと言いますが、こちらの稜線をひたすら辿れば角落山や剣の峰、鼻曲山へ続くはず、その尾で高尾山かもしれません。

幾度か作業道は分岐を重ね、基本的に右側の高い方を選べば、尾根筋の踏み跡のような深く抉れた細い山道になり、辺りはちょうど盛りのチゴユリが咲き乱れ、ユキザサの白い花も満開、卯木もまだ咲き残っていて白い花たちの清楚で可憐な姿に歓声をあげます。
杉の落葉に埋まって文化の年号の刻まれた山神さまに手を合わせて進めば、道はだんだん急になり獣道じみてきて、まだ緑は若く下草も茂りきってはおらず、風が爽やかな日で良かった、あと少しで歩くのは辛い季節になりそうです。

杉林を抜けると明るい新緑一色、けれども道は傾斜を強め、下は笹が葉を伸ばし始めていてますます獣道じみて来て息を切らせながら登ります。大きな石が二つ並ぶいかにもなにかありそうな場所で山神さまを探しますが、石祠はもう少し上の笹薮に埋まっていました。宝暦十(1760)年と銘があり、(帰り道で気がついたのですが)屋根に「雨降山小天狗」と刻んであります。大山信仰から名前を頂いたのだとすれば随分初期のもので、確かに下から眺めたときは三角のきれいな形をした山なので、山岳信仰の盛んだった頃に雨降山と呼ばれていても不思議はありません。
すぐ上にやはり笹に隠れるように雨降山大天狗、頂上には雨降山石尊宮と刻まれた石祠があり、獣道なんて言って天狗さんごめんなさい、ちゃんと古い参道を正しく歩いたのでした。

天辺は笹に覆われ、石祠と三角点、色褪せた看板がかかった雑木。もさもさした展望のない頂上、いまひとつ落ち着かないので稜線を西に辿ってみたらこれが大正解。尾根道の北側は急峻な斜面ですが、南はなだらかで歩きやすいしっかりした道です。木漏れ日の中を進めば南側には咲き始めでしょうか、山ツツジが点々と鮮やかな色を散らして新緑との美しいコントラストを描き、足元はチゴユリが驚くほどの数の花をつけ、なんと次のピークでは宮票石を発見!嬉しくて思わず撫でてしまいました。

少し戻った平坦地で、幾重にも重なる緑から零れる陽射しを見上げながらお昼を広げて黒ビールで乾杯。900mほどの標高なのですが登り出しが既に500mだったので如何にも里山気分、実に楽しい時間を過ごして、倉渕町、いい山がたくさんありそうな町です。次はこの稜線の先へ三沢川のもっと上流からなんてどうかしら。

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猪毛の道祖神
あれが高尾山
最初は作業道
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ユキザサも可愛い
新緑を風が渡る
最初の山神さま
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道は抉れている
大石がふたつ
すぐ上に小天狗の石祠
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三角点884m
石尊宮
頂上看板
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稜線を西へ
山ツツジが色を散らす
久々に宮標石

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