天王山〜十方山(関西篇)

*関西の里山の最後はご存知天王山。桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる場所で、京都盆地から大阪平野への唯一平坦な出口、沼沢と山の狭隘地で西国街道の要の地点が山崎です。現在は長い天王山トンネルとサントリーのウィスキーでも有名。

JRの駅を下りて踏切を渡ると急坂、ここに「天王山登り口」と大きな石柱が建ち静かな住宅地を息を喘がせ登り切ると宝積寺。山崎合戦のとき秀吉が本陣を置いたお寺で、そのとき腰を下ろした石が出世石として残っています。もっとも座るひと全部が出世したら大変なことになるからか、しっかり柵で囲ってあって見るだけ(ケチ)。お寺右手から山道へ入ります。

固く踏まれた道は広々として、たくさんある案内標識に導かれ蛇行しながら尾根筋へと辿ります。この季節なのに緑が多い静かな道でときどき上がって来る下の車の音と鳥の声、足下に高速道路が貫通している山とは思えません。
稜線に着いたところが眺めが開ける旗立松の展望台です。千成瓢箪が掲げられ士気を高めたという松は、今は六代目とかでまだ幼く、横の山崎合戦の石碑の方が大きい。
展望台から見下ろせばかつての戦場が一望でき、遠くには京都市街と比叡山かしら、黒々と山影が長く、合戦の陶版画や布陣図もあって歴史マニアならより楽しめる眺めでしょう。風太郎ファンの筆者も妖説太閤記など思い出してちょっと光秀に御同情。
毎朝散歩してるという地元の方に混じってしっかりしたザックを担いでらっしゃる方がいて、お聞きすればここからポンポン山への縦走だとか。ひぇっ、長〜い。山猛者という人種はどこにでもいるものです。

酒解神社の鳥居を潜り、左手に石段が出て来たら上がってみましょう。ここは維新の時期、蛤門の変に敗れた長州藩の殿を務めた攘夷派十七名が自刃した跡です。う〜む男たちってずっと大変なのね。
道は再び合流し、爽やかな竹林の突き当たりに天照・月読・蛭子の三宮が外屋に護られています。そのすぐ右手にこんな山中に驚くほど大きな酒解神社の社殿。神名帳にも名が残る古い神社です。ちょうど小正月で来ていらした氏子さんたちに、日本最古の板倉作りという重文の神輿殿を細かく見せていただきました。元は山裾に鎮座なさっていた産土が、後にできた離宮八幡宮に遠慮してどんどん山を登られたのだとか。
山崎の合戦よりうんと古い歴史の山なんですねと感心すれば、神社の裏手からは古代の土器が発見されるのだそうで、海も今より近ければ治水の技術のない時代にはひとは山中の方が暮らしやすかったのでしょう。

氏子さんたちにお礼を言って、木枠の階段道をもうひと登りで広い山頂到着。西側に少し眺めが開けるだけですが、京への要害として秀吉以前から山城があり、合戦勝者の秀吉が大阪城を築くまでは、茶会も開いたという大きな城があったのが納得できる広さです。あんまり広くて、一番高い場所の山名柱を撮って振り向いたら筆者は自分の場所が判らなくなり、元の道に戻るのに一周してしまいました。

小さなお地蔵さまや石仏を次々に見ながら、広い稜線の道を小倉神社への道標に従って先に進みます。竹林や雑木林を抜ける道はよく整備されていて、手ぶらで早足の散歩の方々が行き交う道です。
左手に小さな「十方山ー水無瀬の滝」の印が見えたら左折。道はしっかりと踏まれていますが一気に細くなり、緑の濃い雑木を縫って緩やかにアップダウンを繰り返します。いかにも山道で嬉しい。
ロープで囲われた石の目立つ小さなピークが十方山。304.4mの三角点がある目立たない山頂です(筆者一度行き過ぎてからもう前方に山がないことに気づいて戻りました)。

鳥のさえずりを聞きながらコーヒーとカステラと煙草でひと休み。今回は来た道を戻る予定なのですが、水無瀬の滝へ下ろうか、小倉神社へ下ってみようか、と思い付きがちらと頭を掠め、うーんいかんいかん。ほんの少しの逡巡でやはり元へもどります。
途中、東側が開ける大反射板のある展望台に寄り、直下の昨年12月にできた高速道と直結しているJRの最新駅を眺め、京都市街と向こうの山々を愛で、ここから小倉神社へ下るという急降下を見て又逡巡。いかんいかん。

旗立松でもう一度川の流れの複雑さを楽しんだ後は、これは予定通りに山崎聖天への分岐を下ります。一度大きく整備されてから荒む道はどこも同じですが、この下りも水の流れに抉られてかなり歩きにくい。急傾斜にびっしりと散り敷く落葉の下に、大きな石が隠れていて何度か足を取られました。最初の整備にきっと無理があるんじゃないかしら。
山崎聖天にお寄りし、駅の向こうの離宮八幡宮を拝見、淀川の堤防を少し歩いて水無瀬宮にお参りし、楠公子別れの桜井の駅公園に着けばJRの島本駅は真ん前で、ついでに島本町歴史資料館にもお寄りします。いやあ最終日もよく歩きました。

筆者、旅行先で里山に登るというのに病みつきになりそうですが、こと関西に関してはなんで子どもの頃にちゃんと意識して歩かなかったんだろう、と少し後悔しています。先生、バナナはおやつですか、なんてことばかり言っていて、ほんとに餓鬼はしょうがない。

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登山口の立派な石柱
宝積寺
秀吉が座った出世石
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山道へ入る 旗立松から古戦場を見下ろす 酒解神社の鳥居
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十七烈士の墓 竹林のいい道 酒解神社社殿
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天王山山頂
石仏が次々と
小倉神社への道は広い
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十方山への分岐
静かな山道を辿る 十方山三角点
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展望台から京都市街
比叡山、左奥に比良山が白い 観音寺への下り

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