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*○一枚の写真
白岩山神社にご一緒したnomineさんのページの一枚の写真にくいっと心を奪われて、ここ数週間この景色、この山頂に出会えるのを楽しみにしてきました。
わたしでも行けるかしら、シロヤシオは咲いているのかしら、お天気はどうかしら、毎日ネットの情報を漁りながらわくわくする、たぶん山登りの一番楽しい時間かもしれません。もちろんひとりで行けるはずもなく、ここは雑魚の魚/とと交じり、メダカが鮪についていくようなものですが、どうしてもこの景色を見たい!と懇願して桐生みどりさんに連れて行ってもらいます。

そろそろコウシン草の季節なのでしょう、かじか荘の先の駐車場はもう満杯で入口付近の狭いスペースになんとか駐車して出発。上々の晴天、櫟の若葉が陽に透けて、この緑の微妙な重なりと青空はいつもながら見飽きません。
林道のカーブ地点、ふたつの橋が架かる丸石沢左手の尾根にとりつきます。直下には5mほどの滝があり、凄い急登。踏み跡らしきものがあるような、ないような斜面を注意しながら登り、雑木を縫って高度を上げる。もう45年ほども昔、中学生だった桐生みどりさんは父上と一緒にここを下ってきたそうで、いまやその時の父上より自分が年上になったのだと感慨にふけります。その時はまだしっかりした道型があったと力説しますが、ねぇ、45年といえばほぼ半世紀、余り歩かれない道は消えてしまって当たり前。
それでも、春蝉が時雨のように鳴き注ぎ、時々きつつきが木を啄む音が響くだけの山中には不思議な時間が流れていて、今にも上から生意気な中学生と痩身の男性が降りて来そうな気もして、みどりさんは父上と判ってもあちらから見れば年長のおじさん、挨拶を交わしてあっさりとすれ違って振り返りもしないでしょう。

○登っても
汗にまみれながらまずは1286mのピークに到達。これといった特徴はない小さなピークですがまずは一息入れて、年期の入ったよれよれの地図でコース確認。赤い線がくまなく入ったみどりさんの地図は何度見せてもらっても感心してしまいます。が、なんということでしょう、このあたり1/25000地図は幾枚にもまたがっていてどうやら一枚欠けているようです。
この直後は岩場、念のためロープに繋がれて足場を指示してもらいながら右側をよじ登る。木の葉はいよいよ若く、所々にまだ鮮やかなツツジの濃いピンクが混じって、地形図では緩やかな登りのはずですが、けっこうなアップダウンで、行く手左側に見えてくる塔の峰はまだまだ高くて遠い。

一度下って、1455m三角点への尾根はゆるぎない急登が続きます。緑一色の木々の中に真っ白な花が満開のシロヤシオが形良い枝を広げて、ゆっくり眺めていたいのに足はひたすら前へ出る。立ち止まったら最後再び歩き出すのが嫌になるような、長い長いひたすらの登りです。
まだかしら、まだかしら、口に出すと笑われそうで心の中で繰り返すうちに、平坦地にぽつんと三角点が。ここは特にピークではないのですが、まだ葉を広げない笹原の中に旧字の立派な石柱が埋まっていて、ザックを放り投げて撮影タイム。みどりさんはこの三角点はいつもは笹に埋まっているので初見だとか。
大休止は少し先の日ヶ窪峠。陽当たりの良い斜面にはあちらにもこちらにも、シロヤシオがこぼれるばかりの花をつけて高く低く枝を広げ、足元では柔らかそうなワラビが採取本能を刺激する。左手には緩やかな踏み跡が延びていてどうやらこれが舟石新道。ちょっと辿ってみたくなる気持ちの良さそうな道です。

○登っても登っても
今回は尾根を忠実に辿ります。笹はまだ低いので歩きやすいし、色とりどりの花をつけたツツジの間を縫って、近くなった空を目指して歩くのは喜びです。と、るんるんしていたら、進行方向30mくらい先を黒っぽい大きな動物が悠然と横切る。この登りは最初からずっと鹿のフンで覆われていて、高度を増すと熊らしきものもたくさん混じっていたので、一気に心臓が縮み上がります。みどりさんは耳が遠くなった老猿だと泰然として跡を追いかける。やだ、あんな大きな猿がいるのかしら、あんなに落ち着いているのはこの辺の主の熊だからではないのかしら。足が宙に浮くような、腰に力が入っていないような、急に覚束ない足取りになってしまい、鼓動が耳元で脈打つ。
結局動物はどこかへ行ってしまったのですが、この後しばらくなんだか後が気になって、振り返り振り返り周りの景色が楽しめない、どうも臆病でいけません。

塔の峰は名前とは違いけっこうどどんと大きな山で、空はもう真上一杯に広がっているのに、登っても登ってもなかなか行き着けない。大きな岩が散在する斜面をまたもや延々と登ります。笹は葉はないけれども丈高くなり、後には地蔵岳のぽこぽこと特徴のある頂が見える。

○写真の場所
はげ地になった平坦な大きな鞍部を過ぎて、ひと頑張りすればやっと頂上。「山」と表記された石柱はあるのですが、三角点がないのがもったいない。ちょっと庭園風の気持ちのいい広い山頂です。
西側には憧れの皇海山が屹立して、手前右側がヲロ山、左にずいぶん平坦に庚申山が。残念ながら山頂のシロヤシオは蕾を膨らませて開花直前ですが、なんと言ってもこの景色が見たかった。棒のようになった太腿を摩りながらも大満足で何枚も写真を撮ります。
あんなに岩だらけの庚申山はここからだと優しげな稜線で、ちょうど一年前あそこを歩いたのでした。いつもは手前に鋸山を尖らせた皇海山は、すっくり孤高の姿が空に映え、待っててね、きっともうすぐ登るから。
なだらかに広い山頂で陽射しに晒されて、遅いお昼です。予定より登りに長い時間がかかったので、庚申山周りの下山は諦めることになり、みどりさんに申し訳ない。

四方の山々の眺めや、皇海山に別れを惜しみながらまずは日ヶ窪峠まで来た道を戻ります。不思議なもので登る時と下る時は見えるものが違い、距離感も違う。登りでは気づかなかった踏み跡を辿り、気づかなかったシロヤシオをの姿を愛でながら、あんなに汗まみれになった長い道なのにあっという間に日ヶ窪峠。

○下っても
ここから左手に次々と現われる真鍮板の目印を頼りに踏み跡を辿ってみます。25年ほど前にここを歩いたみどりさんは、もうその時には舟石新道は失われていたといい、やはり神童はいずれただの人になるわけだ、なんて語呂合わせに興じていますが、実は一枚欠けているのはここからの地図。ネットで読んだ切れ切れの記事でも新道は途中で跡がなくなると書いてあり、なんでも人に頼りきりのわたしの頭にはその道に関するしっかりした知識はありません。

微かな不安は的中して、あんなにあった目印が不意に途絶え、沢を横切る筈の新道(廃道)ですが、さてどこで横切るのか。しかも谷筋で確かめるとGPSは現在地を指す矢印が止まったままで、軌跡もぐちゃぐちゃと混乱している。
こうなると人間心理の不可思議で、どれもが道に見えてきて、沢筋の向うに踏み跡があるように見えます。何度か辿ってはみるもののどれも違う。あらら、これはひょっとしたら大変な事態かも、と鈍いわたしも気を引き締めます。

ようし、しょうがない、沢を下ろう、と決めたものの普通の登山靴だし、沢の経験が全くないのですから厄介です。沢筋を外さないよう、歩きやすい場所を選んで歩き始めますが、ごろごろした岩だらけ、左右から流れ込む枝沢が多く、水量も音を立てるほど多いし、なんといっても滝がたくさんある。みどりさんひとりならすいすい遡行するのでしょうが、いちいちきゃあだのあれ〜だの悲鳴を上げる初心者連れなので時間を食う。
ロープで繋いでもらって先に行ったり、後についたり、怪我しないようにだけ注意すること、と言い渡されて艱難辛苦の始まりです。

○下っても下っても
日本では、土人形の水遊び、外国には、蝋頭は日向で溶ける、という諺がありますが、ほんとうに身の程をわきまえないといけません。確保してもらって足場を探りながら崖を降り、崩れやすい急斜面をトラバースし、下っても下っても人の痕跡がない沢を、もう歩くというよりよろばい降りる。それでもロープに結ばれていると変に強気で、そこは無理なんて言われる崖を幾度か下り、右に左にもうびしょ濡れになって沢を渡り、時々相変わらず役に立たないGPSを確認しながら、ひたすら沢の本筋を辿ります。

本来なら綺麗な滝と感嘆してひとつひとつ写真を撮りたいような沢の流れなのですが、滑るよ〜、うわっまた滝だよ〜と泣言を連発してしまう。けれどもさすが熟練者のみどりさんは騒がず慌てず、ルートを指示してくれて、夏至近くなので日は長い、ゆっくりで大丈夫と笑って余裕がある。とはいえもうわたしには時間の感覚がなくなって、何時間も前から下っていて、あるいは生まれる前から下っていて、このまま下り続けても下には着けないような、けれどもそれはそれでしかたないような、妙な気分になります。
どのくらい下ったのか見当もつかないまま、ようやく釣り人の踏み跡らしきものや、色褪せたビールの缶などが時々現われ出し、そうなると、そのうち下に着けそうだ、一生下らなくても良さそうだ、とこちらも安心して沢の水など味わう余裕も出ます。
汗みずく、びしょ濡れ、泥と落葉で汚れきって、四つの連続する滝を高巻きして過ぎれば、枝払いのしてある左岸の杉林の作業道に。下山開始から4時間、どうやら土人形が溶けきる前、明るいうちに庚申山への林道に到着。思わずへたり込んでしばらく動けませんでした。

○それでも懲りずに
林道では庚申山からの帰路の方に追い抜かれ、なんで普通の道を歩いてあんなに汚い恰好になるのか、と不思議がられたかもしれません。山中では今回どなたにもお会いせず、これでもう塔の峰も「わたしのやま」へリスト入りです。
GPSも正常に働き出し、でもやっぱりこれだけに頼ってはいけない、との教訓も得て、またどんな時にも着替えは用意しようと新たな決意もでき、かじか荘で入手したコーラが美味しかったこと!炭酸系の一気飲みなんて何十年ぶりかしら。
頬がざらざらするので、土かと思って払ってみると白い塩が吹き出していて、舐めるとちゃんと塩っぱい。これも初めての経験です。

山へ行く度に行きたい場所はどんどん増えて、ああもう少し代表幹事と歩きたかったとちょっとしんみりしながら、次の目標は皇海山と常念岳。北八ヶ岳ももう一度歩きたいし、雁坂峠にも行かなきゃならぬ。大菩薩を忘れてはいけないし、花の名前も山の名前もちゃんと呼んでみたいし、煙草屋旅館の露天風呂にも入らなくては、と思い出と憧憬が重なって、目標だけは広くて大きくて高い。

ひとりで歩くためにまずもっと里山にも登りたい。
あそこもここもと欲張って、まだまだ飽きずに歩けそうです。

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