うかうか記5

あかね


某月某日 ふたたび産泰神社の石灯籠―鬼とはなにか

うちの周りの低い山ばかり徘徊しているのをどういうわけが同情されて、古墳研究家から大室古墳に連れてってやると言われる。古墳なんて山じゃないもん、と夫譲りの訳のわからないことを言いつつも、そういえば産泰神社の小さな石灯籠は写真でしか見たことがない、大室古墳なら産泰神社のすぐそば、ついでに三夜沢も回っていただいて、古墳見物につきあうのも悪かない。前回は大灯籠の妖しいやつに夢中になって他が目に入らなかった、今度は冷静にあれこれ観察しなきゃと柄でもないことを思いながら、まずは三夜沢赤城神社を訪ねる。残念ならがら石灯籠はごく普通の灯籠で、鼻ぺちゃなのに凄みをきかせてシャウトする狛犬をじっくりと観賞し、同行者の阿比留文字の講釈を拝聴、ハングル文字みたいだねなどと言って叱られながらいつものように本殿裏へ回る。

ここは壮観。小さな石祠が数えきれないほど、って実は数えたんだけど数は内緒の苔むした屋根が並んでいる。といっても他の神社やここにもある古くからの、社を持たない鎮守神、名前の定かでない神が鎮座するものではなく、善男善女が願をかけたり奉納したりしたものらしく、だいたい同一規格、横には江戸中期から明治にかけての日付と奉納者の住所氏名が読み取れる。女性名の祠にどんな願いを込めたかはわからぬまま、なんだかいじらしくなって思わず手を合わせる。同行者によればこの列の一番端に少し離れてかつて藁造りの祠があったそうな。もし今でもあったなら、石祠を奉納するだけの余力がない人の、それでも掛けずにいられない願いに、同じ類いとして心から共感してあなたの願いが叶ってますようにと手を合わせたにちがいない。

神社脇に櫃石への道があり、ちょっとそそられるが時間の余裕がない。なんといっても今日は支えるモノの妖しさを確認せねばと産泰神社へ。
なぜ前回これに気付かなかったのか、神門のすぐ前に二対の石灯籠があり、どれにも一人ずつのこれはもう人ではない、ひとつは大灯籠を支えるヤツと同じ、牙を剥き団子鼻、髪はくるくるウェーブしている、ってこれさっき見た狛犬に似てる。もうひとつは正面顔と横顔がまったく違った表情を見せるなんとも形容しがたいヤツ。
どちらも太鼓腹をぼってりさせて、狛犬似の方は少し苦しそうにも見えるが、それでもなんだか不敵である。
写真を撮ったり撫でたりしてると古墳研究家が嬉しそうに、これは天の邪鬼だって、社務所で聞いてきたといいながら降りて来る。ちっ、ったく今時の若いもんは。知らなきゃ膨らむ空想が、知ったとたんに固定されしぼんでしまうじゃないか、聞くだけの知識ってぇのは役に立つかもしれないけど情緒や遊びに欠けるんだいっ。
当の神社の方がそう言うんだからこれは天の邪鬼に間違いはないんだろうが、それにしてもほとんど他では見られないこんな灯籠がなぜ赤城神にはあるのか。赤城の神は天の邪鬼がお好きなのかしら、それもなかなか反省しない筋金入りの天の邪鬼が。

だいたい昔話に出て来る鬼の類いは凄そうにみえて実は弱い。お酒に弱くてすぐ寝るし、お腹の中を針で刺されたくらいで泣いたり、人間の姑息な知恵に引っかかってすぐ弱点を露にしたり、豪傑には力ずくでねじ伏せられ、毎年豆をぶつけられては逃げ回る。いつもいつも退治されるだけで決して勝つことはない。もし勝ち続ければそれは鬼ではなくて、王とか神とか呼ばれるわけで、負けるから鬼である。
神道では鬼は祀れば神となるらしいが、よほど強い鬼、権力闘争で負けたり、強い恨みを持ってたり、あるいは邪しき神とかじゃなければ祀る気にはならないだろうから、天の邪鬼くらいの鬼では祀ってもらえずせめて灯籠を支える役なのかしら。
一方「夜窓鬼談」によれば陽魂は神、陰魂は鬼、よるべない魂は鬼、とするらしく、ほんとによるべない気分の今ならわたしは鬼、しかも弱いことこのうえなしの天の邪鬼以下の鬼ではあるが、それでも昔の中国の儒学になると鬼神はふたつの気の優れた働きとか。鬼の気だけでも困るけど、神の気だけでも明る過ぎて、「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」ということらしい。鬼の方が未来がある。
仏教の鬼となると閻魔様の下で働く公務員の風情。ちょっとした不道徳や嘘、浮気心、虚栄心くらいで地獄に堕ちてみれば、なんともっともっと非道で悪いヤツが偉そうな顔をして、永遠の責め苦を強いている。こんなことならもっと悪辣になって鬼になっていればどんなに楽だったろうと、小悪人は臍を噛むね、きっと。どうも子供の頃によく聞かされた……したら地獄に堕ちますよなんて脅し文句は、地獄の公務員が既得権益を守るために作った一般人排除のためのお話、なおかつそんなことを言われたら必ずやっちゃう、人の弱さにつけこんで地獄の顧客を増やそうとたくらんだお話にちがいない。

ここの大石灯籠を支えるものに惹かれて、天の邪鬼だの鬼だの天狗だのと妖かしに肩入れしているのにはワケがある。技術的な問題を別にしてどうして山が怖いのかという、つまらないが、自分ではよく説明できない怖さをこの妖かしが説明してくれるかもしれないからだ。
最近は目的もなくひとりで山にいる愉しさがわかってきたが、それでも近辺の里山に限る。夫の踵ばかり見て歩いていた頃はそれさえ考えられなかった。なにしろ山をひとりで歩くのが怖い。なんだか妖しいものに出会いそうで怖い。会うどころか妖しいものを見たとたん、自分が妖しいものになりそうで怖い。山は「桜の森の満開の下」気分をむき出しに迫ってくる。とても自然との交歓、共生という穏やかな気持ちでは歩けない。混世魔王さまにいわせればそれは内面の投影で、怖いのは自分の内部、といういかにも近代登山の徒らしい「内面」なんて今出来用語を持ち出すが、精神分析風な解釈だけで世界が説明できれば世話はない。わたしのほしいのは外部としての世界である。怖いけど魅力的なものについてなんとか重ねる言葉を外部に求める方が、ちまちました己なんて有限の内部を探って語るよりよほどロマンがある。

なんて考えてるうちすっかり整備された大室古墳に着く。群馬は古墳が多いけどそういや合併前の桐生にはないのかしら。ねえねえ、古墳時代にも鬼はいたのかしらと研究家に聞いても、人の話など聞かず掘り下げられた山頂部に造られたものについて、見る前から怒りを燃やしてとっとこ歩いている。ちっ、やっぱ今時の若いもんは。
歩幅をさりげなく合わせながら、そりゃいたでしょ、鬼は帰からきたとも隠からきたとも言うんだから。古墳時代だって人は死んで人帰スルトコロなわけだし、残った者はその帰だったり隠だったりを納得するため言葉を紡いで考えるんだから。なんてどこまでほんとかわからない答えを返してくれたはずの夫のために、山頂がない古墳山の祠に手を合わせ、赤城の山宮を過ぎれば次は奥宮。いい天の邪鬼に出会えますように。

楚巒山楽会トップへ やまの町 桐生トップへ
inserted by FC2 system