古図にある尾瀬周辺の山名

増田 宏 

 江戸時代の古図を見たところ、帝釈山脈西端部に位置する尾瀬周辺の山名が現在とそれほど変わっていないことが判った。あちこちで登山者が勝手に付けた山名が横行しており、苦々しく感じていたが、昔の山名が継承されていることに安堵した。私が見た古図は元禄時代の1690年代頃に作成された「上野國全地圖」と天保13(1842)年頃に完成した「富士見十三州輿地之全圖」である。
 「上野國全地圖」は元禄の初めに幕府から前橋藩に命じられ8年かけて完成した旨の注記があり、国境紛争に備える目的のためか、国境(現在の県境)については特に詳しく記載されており、山名考証に参考になった。ただし、原本は残っておらず、写本のため文字を誤読して写し違えた箇所が多い。
 「富士見十三州輿地之全圖」は木版色刷で、版木にした際の字の誤りが多い。旧国単位の古図を結合しているので、国境部は双方の山名が記されていて参考になる。ただし、同じ山が別々の山名で記載されており、接続位置が分からないので山名同定の決め手にはならない。

 上野國全地圖

*

 上野國全地圖には陸奥・下野との三国の国境に「中俣山」が記されており、その位置から現在の黒岩山である。その隣に「東俣山」があり、「野州にては布ヶ沼山と云」と付記されており、現在の鬼怒沼である。さらにその隣に「かやこ山」があり、「野州にては毘沙門山と云」と付記されており、現在の物見(毘沙門)山である。中俣山の西には「大江山」があり、「奥州にては赤安山と云」と付記されている。今の地形図には大江山と赤安山の両方があり、大江山は尾瀬沼に注ぐ大江沢の源流にあり、赤安山は会津側実川の支流赤安沢の源流にあることから地形図の位置で相違ないと思う。これを同一の山と考えたのは、両山が近くにあり、古図作成時の聞き取りの際に混同したのだろう。
 この古図には会津道とともに尾瀬沼が記載されており、尾瀬が三百年以上前からの由緒ある名称であることが分かる。只見川は「大滝川」と記されており、三条ノ滝に起因する名称と考えられる。さらにその西に「駒ヶ嶽」があり、「越後にては白瀧(サワ)嶽と云」と書かれている。図の位置から私は駒ヶ嶽を景鶴山と考えたが、木暮理太郎著『山の憶ひ出』中の「利根川上流の山」において戸倉で景鶴山のことを駒ヶ嶽と呼んでいたことが記されており、駒ヶ嶽は景鶴山と判明した。
 なお、『山の憶ひ出』中の「上州の古図と山名」において尾瀬周辺を含む上州国境の山名を考証しており、九十年近く前にこのような考証がされていたことに改めて驚く。その考証によると、白根山と東俣山の間に表記されている「座禅山」は燕巣山、白根山の脇に表記されている「ナテコ山」は上野國志にある「なてこや山」で錫ヶ岳である。木暮理太郎は山名同定に古図と併せて地誌類を参照することが必要と考え、上野國志や新編会津風土記、郡村誌などを丹念に調べており、山名考証の先覚者である。

 富士見十三州輿地之全圖

*

 富士見十三州輿地之全圖の山名も上野國全地圖とほぼ同じであるが、山名の転記誤りや当て字の違いが見られる。錫ヶ岳の「ナテコ山」が「ナコテ山」と誤転写され、物見(毘沙門)山の「かやこ山」は「萱子山」と表記されている。さらに「東俣山」が「東間田山」、「中俣山」が「中真田山」と当て字されている。そのほか上州側には「大江山」「北万田山」、野州側には「赤安山」「毘沙門山」が記載されており、その位置から北万田山は赤安山と考えられる。駒ヶ嶽、座禅山、白根山は上野國全地圖と同じであり、野州側に「湯前嶽」とあるのは温泉ヶ岳であろう。駒ヶ嶽の西に「駒根山」があり、その位置から平ヶ岳かもしれない。
 また、野州側の国境付近(帝釈山脈上)に「四日山」「黒岩山」があり、図上の位置から四日山は孫兵衛山、黒岩山は現在の黒岩山ではなく帝釈山・田代山付近のようだが、野州側の地誌を見ていないので断定できない。
 なお、この図には上野國全地圖には記載されていなかった「尾瀬が原」が表記されているのが興味深い。
 現在の山名と古図にある山名を整理すると次のとおりである。

現在の山名 上野國全地圖 富士見十三州輿地之全圖
景鶴山 駒ヶ嶽(越後では白澤嶽) 駒ヶ嶽
大江山 大江山 大江山
赤安山   北万田山
黒岩山 中俣山 中真田山
鬼怒沼 東俣山(野州では布ヶ沼山) 東間田山
物見(毘沙門)山 かやこ山(野州では毘沙門山) 萱子山
燕巣山 座禅山 座禅山
白根山 白根山 白根山
錫ヶ岳 ナテコ山 ナコテ山
温泉ヶ岳   湯前嶽
只見川 大滝川 大タキ川
尾瀬沼 尾瀬沼 尾瀬沼
尾瀬ヶ原   尾瀬が原

* *
鬼怒沼 物見(毘沙門)山
* *
景鶴山 燕巣山

*

inserted by FC2 system