てらのいりやま。八王子山脈の黒石峠の東のピーク、桐生市基準点No.27が設置されています。標高は241.3m、北にのびる尾根は途中、雷電山216.7mを擡げ、岡の上団地の先で平夷します。
この辺りは、八王子山脈西部縦走をはじめ、幾つかの項で紹介済みです。桐生市基準点No.27のピークが寺の入山であるというお披露目のため、項を設けました。
桐生市地名考の上広沢村の項に八王子神社の上の社が雷電山の山頂にあるという記述もありましたので、あわせて紹介します。
桐生市地名考の上広沢村の項には足垂山という名前もあります。この山も既に紹介済みのコース上の一地点ですが、後日、項を設けます。

紙幅を埋めるために桐生図書館発行の「桐生市地名考」のお話を申し上げます。この本は桐生市在住の島田一郎さんが40年にわたり研究を続けてきた桐生市の地名をまとめたもので、 内容は現在使用されている大字、小字の名前の由来や合併、統合などで消えた村名、大字名などの由来を土地の古老から採取したものです。巻末の著者紹介によると、“30歳の頃、柳田國男氏の「地名の研究」を読み、地名と出会う。その後各地の地名考の収集を始め、50歳を過ぎた頃から生をうけた桐生市の地名の調査に着手する。字(あざ)と小字(こあざ)を分け、全てに解説をつけるという手法は今までの日本の地名項になかったものである。”
字・小字の記述も紹介しておきます。
字 自分の田に名を付ける必要から畔名(アザナ)と呼ばれたが、後世、字(アザナ)に転化し下略のアザと呼ぶことで定着した。現在はアザナと言う字は字と書くようになった。古くは平安時代の荘園文書に始まり太閤検地以降、制度的意義を持つようになった。現在、字(アザ)と言う場合は江戸期の検地帳(水帳)に記されている字のみを言う。法令上の字は大字・小字を含んでいる。
小字 明治9(1876)年、地租改正において字を一つの丈量範囲としたので、小さい字は数カ所を合併して標準化した。そして新字名には数カ所の中で一つの字名を付けたり、数カ所以外の字名を付けたりしたので、平安以降、字の持っていた由緒が消えてしまった。〈中略〉明治21(1888)年、町村制公布により町村の大合併が行なわれ、合併により消えた旧各町村の上に大字を付け新町村の下に書くことにした。同時に旧来の字を小字と改め、大字との区分を明確にした。
ということで、消えた山の名前を発掘するのに大変重宝しているというお話でした。

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