小ネタです。足利市葉鹿町の奥にある湯殿山は彦谷の集落をすっぽり囲むように尾根を張り出しています。湯殿山は集落の最奥、旧高松館跡に中央登山口、彦谷自治会館からは西と東の登山口があり、U字形にぐるっと周回するコースがとれ、マイカー登山にはうってつけです。湯殿山から石尊山に向かう路があったのですが、今は無惨に切り崩されています。石尊山の切り崩された斜面はいろいろな山から見えるので悲しい思いにかられるところです。

この項では、あまり歩かれることのない西登山口の慶路坂から南の三つの山(実質二つ)を紹介します。
坂西桐生線で足利方面へ。小俣を過ぎて坂西団地東(角にガソリンスタンドがあります)の交差点を左折。左折してすぐ点滅信号の交差点をまた左折。無量院の駐車場に車を置かせていただきます。山際にそって進むとコンクリートの階段があり、頂上へ向かって一直線に登っていく路があります。舗装はされていないのですが、ただ、ただ真直ぐ頂上をめざす道です。これだけ一直線だといっそ気持ちがいいです。何ケ所か平坦な場所があるので、息を整え頂上へ。ロープなどもありますので縋りましょう。
頂上には水道施設があります。水道山の山名の由縁ですが、数歩水平移動するだけで雷電山の山頂です。雷電神社の横の道から登ると雷電山、一直線道を登ると水道山ということなのでしょうか。雷電山の下りで、落ち葉かきに登ってきた地元の方に聞いたので間違いはないと思いますが。

距離が短いので、薮を漕いでも頂上にお宮のあるピークの愛宕山には行けそうですが(落葉期に登りましたが私はいきませんでした)、一旦下まで降ります。
山際にそっていくと水道山の登り口の先に、土師天神宮と書かれた鳥居があります。鳥居をくぐると、土師天神宮の手前に送電巡視路があり、そこを入ります。湯殿山西登山口のコースはこの巡視路を利用したコースなので、年間通して楽に歩けます。巡視路は稜線のやや下につけられているので西側のみ若干の展望があります。愛宕山からは上野田に下る道もあります。直進して愛宕山を下るとすぐに慶路坂です。慶路坂は開けた場所で西に上州の山々が見渡せます。地元の方に聞いたところ山の名は愛宕山ですが、お宮はなんのお宮かご存じないそうで、お宮には何も書かれていないので私も当然わかりませんでした。愛宕山なのだから、愛宕神社なのでしょうけれども。

土師天神宮 はじてんじんぐうでよいのかな。あまり聞かない名前です。土師氏は当麻蹶速(たいまのけはや)と争った野見宿禰(のみのすくね)の子孫で埴輪を作っていた古代の部族です。菅原道真は土師氏の出といわれているので、そんな方々が祀られているのでしょうか。お宮の奥には鍵のかかった囲いの中に石碑、隣には井戸のようなものを従えた石祠があります。こちらにも下からの道があるようです。
由緒のありそうな名前が続きます。慶路坂は、けいじざかです。振りがなが振ってありました。湯殿山歩く会の方、ありがとうございます。彦谷から上野田への山越えの路だったのでしょう。石祠があり古くからの峠だったことを思わせます。
地元の方の整備プラス東京電力の巡視路ということで気持ちのいい山道になっています。

2006/7/23 慶路坂について、太田ハイキングクラブの会員さんからご指摘があった。桐生山野研究会のhisiyamaさん経由であるが、以下記す。
“けいじっさかは昔から小俣では言われてきたものです。この坂を越えて鶏足寺にお経を運んだということから、経持坂は納得できます。小俣あるこう会の会長ほか数人からも確認いただいています。慶路坂の名づけは太田HCのKさんです。本人から聞きました。慶路坂の印刷物(Kさん作成)や道標(Kさん作成)があるのは知っています。だからこそ古くからの名前を消さないようにと思いhisiyamaさんにお知らせした次第です。
印刷物になると信頼性が高まります。まして本になると。しかし、その真実が判った時点で可能な限り正確なものに訂正したいものです。本人は訂正を拒んでいます。しかし、こうした事実もあるという事を何らかの手段で伝えなくては経持坂の名前が消えてしまいます。歴史ある地名は残したいものです。”

このページは匿名が原則なので、個人名は伏せた。こんな小さな項にまで目をとめて頂いて、ありがたい。ご趣旨には納得できたので、この項も訂正した。下記の写真の慶路坂も経持坂に読み替えて頂きたい。ただし、このページは桐生山野研究会のご協力を仰ぐことは多々あるが、楚巒山楽会の私、代表幹事が運営しているページである。できたら直接連絡を頂きたいものだ。各ページにご意見情報を頂戴するボタンを取り付けてある。


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