へっへっへです。また変な名前の山を見つけてしまいました。2007年初の楚巒山楽会定例山行で会長を迎えて、2〜3本コースを提案したところ、あまりひどい薮は嫌だと仰るので、賀茂神社から菅塩峠に行き、日向山と天王山を登って菅塩沼に下り、菅塩峠を越えて賀茂神社に戻って来るコースを選びました。で、あわよくばししょうのhisiyamaさんが発見できなかった神籠(かわご)石を見つけようと。

賀茂神社前の案内板の辺りに数台駐車可能です。賀茂神社は延喜式内社で御篝神事(みかがりしんじ)や太々神楽で有名です。神韻縹渺とでもいうのでしょうか、雰囲気のある境内です。ご祭神は別雷神(ワケイカヅチノカミ)。御篝神事は写真でしか見たことがないのですが、火のついた松明を投げあうという、勇壮というか命知らずというか、オソロシゲな神事です。

菅塩峠まではこちらをご覧ください。途中にある朽ちかけた橋を踏み抜いている痕がありました。面倒がらずに徒渉したほうがよいですよ。菅塩峠の広沢側は雰囲気が明るくなったような気がしました。踏み跡に水流が入り込んでいるので、会長の評価は芳しくありません。帰路はこの道を通りたくないと仰います。天王山は後日菅塩沼から歩くことにして、今日は籾山峠までいこうかと簡単にコース変更をして、切通しから尾根に登ります。峠には当会の案内板を付けました。なんと、なんと今年はじめてのやぶではない快適な尾根歩きで、古びた桐生倶楽部歩く会の道標のあるピークに至ってしまいました。ここが日向山への分岐です。縦走路よりは細い踏み跡ですが、幾つかの倒木を跨ぐと二つの石祠の後ろ姿が見えてきます。一升瓶も散乱しています。日向山二柱神社のご神域です。ぐるりと回って鳥居を潜ります。鳥居の額に日向山二柱神社の文字が書かれています。二つの石祠にはうっすらと彫られた文字が残っているのですが何の神様を祀っているのかは分りませんでした。

縦走路に戻り、籾山峠を目指しますが、尾根の広い部分では落葉と倒木で時に踏み跡を外すことがあります。加茂の入沢に下る明瞭な尾根につい引き込まれてしまいました。賀茂神社前の案内図によるとここらへんに神籠石があってもいいのですが。神籠石がどんなものか分らないのに見つけようとしていることに無理があるのかも知れない。神籠石って何?

加茂の入沢にそった林道を下っていると山側に向かってはっきりとした切り開きがありました。立木に赤テープも貼られています。菅塩峠への木橋への道のあたりです。見るからに急登ですが、登ってみました。一直線に伸びた急な道に落葉が積もって大変なアルバイトを強いられますが、頂上が近くなるとやや勾配が緩みます。少々薮がかぶってきます。結局、今回も薮からは逃れられませんでした。頂上は小広く、松の枝越しですが、360度の展望です。雪をかぶった浅間山、赤城山、袈裟丸山が迎えてくれました。ヘロコヤシキ、妙な名前ですが、地元の方は昔からヘロコヤシキだったと言われます。戯けた名前だなどといってはいけません。兵六屋敷とでも書くのでしょうか。屋敷は無理としても一軒家くらい建てられそうな頂上の広さです。桐生市の現形図ではここから縦走路に向かって破線が伸びているのですが、登ってきた道以外の踏み跡は見つかりませんでした。

2007/1/23 ヘロコヤシキは山の麓。山の名前は愛宕山という新事実。
hisiyamaさんが賀茂神社のご神職に取材した所、ヘロコヤシキは山の麓の空き地にあった屋敷で山の名前は愛宕山ということが判明した。困った。ヘロコヤシキがすっかり気に入ってしまったので、直したくない。上に書いた地元の方というのは実はご神職の奥様なので、どうも愛宕山に分がありそうだ。
しかしながらですが、特に山頂にお宮がある訳でもなし、当会ではソノママにしておきたい。と思っておりますです。どうか、どうかご容赦くださいませ。
右の写真の左は神籠石、中が舞臺(賀茂神社古代祭祀遺跡)です。

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