桐生を紹介するサイトを作られている極楽とんぼさんから風穴の愛宕山に関する情報を頂きました。“風穴から愛宕山への道は、入り口に、駒ころがし峠の標識が立っていて、ここから奥右手の斜面(愛宕山南面)に向け、ブッシュが伐採されていて、(最近のようです、貴殿が伺われたときはまだブッシュでしたかも)、急斜面ながら直登できました。多分まっすぐのミニグランドキャニオンの低いところが昔の道だったでしょうか。”

薮漕ぎOKの私でもためらうほどのブッシュでした。駒転峠の項で愛宕山も紹介したのですが、産廃処分場を横切る、裏側の登路だったので、改めて紹介します。2006年の11月と2007年の1月中旬にこちら側(南面)から登路を探ったときはまだ薮の密林でした(それはそれはひどいものでした)。道はありそうでしたが、とても踏み込む勇気が出ませんでした。
今回改めて訪れてみると薮に埋もれていた菱町郷土史編纂委員会が立てた標柱が姿を表わしていました。表には駒ころばし坂 八辻峠。裏面に曰く、往時 足利街道の要所 天正元年三月十二日桐生城落城の際 佐野方よりの援軍空しく此所に自刃すと伝う 十三塚あり
須田茂さんの「群馬の峠」(みやま文庫)によると“桐生市菱町地内にある。菱町一丁目の風穴から峠に至ると、上平地区・小谷地区・宿島地区の三方への道が分れていたという。『桐生市 菱の郷土史』では、「駒転ばし峠」となっているが、『桐生市地名考』の地名表記にしたがえば、本峠の表記は「駒転峠」になると思われる。”とあります。“分れていたという”です。残念ながら全ての道は産廃処分場の下です。小谷地区への道も塞がれています。ど〜なってるんだ。塚は数えていませんが、十三も残ってはいないでしょう。

愛宕山への登路は、小型の作業車が通れる分だけ刈り払いされています。何本か愛宕山の斜面にむかって道がつけられていますが、一番奥の刈り払い跡が登りやすそうです。本来の登路を探るなら庚申塔の辺りから笹薮をぬっていくような道が考えられます。山頂の石祠に正対するような登路があったはずです。が、とりあえず、ここを利用すれば処分場を通らなくても愛宕山に登れます。斜面は急ですが幅広く刈り払われていますので、ジグザグに登り、最後は登りやすいところを少しだけ薮漕ぎします。進行方向左に向かいます。尾根上には踏み跡があり、山頂には胴体のない石祠と楚巒山楽会の山名標があります。展望は刈り払いのお陰でよくなりました。鳶山、雨乞山が望めます。

駒転峠への道は産廃処分場の壁に阻まれます。嫌な色をした水たまりができていて気分のよいものではありません。
もう一つ、駒転峠の命名の大本に関わってしまうのですが、13人もの大将が何人の兵隊を引き連れてきたのでしょう。救うべき城が落城したら、佐野に戻ろうとは思わなかったのでしょうか。

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