川内町五丁目の皿窪城があったといわれる雷電山です。ここのところ山登りのできない日が続いて、暑い中の難行苦行とまではいきませんが、大汗をかいて近場の山を訪れています。実はこの山に登る予定ではなく、この奥の石尊山に登る予定だったのですが、表参道のひどい薮を見て簡単に諦めました。激坂さんのページで後ろの尾根から登ったという記述があったので、そちらから登ろうかとも思ったのですが、まあ今日でなくてもいいやと。楚巒山楽会では常に“登る勇気よりも引き返す勇気”をたっぷり持って山に臨んでいますので。当会のモットーは“楽に”ですし。
で、この辺りに、幾つも気になる山があるのですが、以前経塚山の項に書いた八幡宮の上の山に登ってみようかと、桐生市の現形図では太い実線が頂上に伸びていますので、この時期でも楽に登れるんじゃないかと。

八幡宮の境内が駐車スペースになっていて、社殿に近付けなければ車を置いていいよと書いてありました。駒形大間々線で川内五丁目の信号を過ぎるとすぐ右にみやま園の看板があります。その左の赤い鳥居が八幡宮です。鳥居の先民家との間の道を左折します。またすぐ左折で八幡宮の境内の駐車スペースです。道に戻り山に向かうと作業道に出会います。木の階段が何段かある所が登り口です。道は広いのですが、少し滑ります。地図通り真直ぐな道が伸びています。それほど急ではないのですが、ひたすら直登する道は疲れます。道中短いですから、適当に休みながら登ります。
八幡宮も皿窪城も里見氏と関連があるそうです。里見氏とは南総里見八犬伝の、あの里見氏です。後に大間々の要害山に移った里見氏は大間々では里見まんじゅうでその名を留めていますが、桐生では名は残さなかったようです。

さて、頂上が近づいてきました。振り返ると桐生の市街まで見渡せます。何か標柱のようなものが立っていて墨で文字が書かれていたようですが、すっかり褪せています。その先こ広い所が頂上で奥に石祠が二つ。右が愛宕様で、左が雷電様です。ここが本丸跡だとしたら、狭いですね。砦程度だったのでしょうか。

道は通年歩けそうです。石祠にも新しい幣帛が捧げてあったので、土地の人もお参りしているのでしょう。下山後、何人かの地元の方にこの山の名前を尋ねても誰もご存じありませんでした。私も、何も調べないで登ったので、愛宕山か、雷電山かとは思いましたが、下山後調べて山名を知りました。一つ宿題が片付きました。


2006/7/7 雷電山の尾根続きに金比羅山、その奥にも雷電山(通称八ツ山)があり、桜峠への道があるようです。宿題が片付くどころか、増えてしまいました。秋から冬の課題です。


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