出丸山の略で丸山です。出丸とは本城に対する出丸で出張所の出と同じようなものです。出丸山の略で砦のあった丸山は、名久木にもあります。この丸山は須永か下仁田山村の丸山です。川内の天神山の項で触れましたが、桐生市地名考などの記述からも丸山で間違いないようです。

子聖大権現(ねのひじりだいごんげん)が麓にあります。奥武蔵などにいかれるハイカーの方なら“子の権現”といえば、あ〜と思われるでしょう。子の年、子の月、子の日、子の刻に生まれた子の聖を祀った、足腰にご利益のある、あの、子の権現です。山歩きをする人なら一度ならずお参りをしなければいけません。

駒形大間々線を駒形方面に向かい、川内中学校の手前で左折するのですが、道が狭く駐車スペースが見当たりません。車はどこかに捨ててきましょう。琴平山の登山口辺りがお勧めです。県道から奥の方に子聖大権現と書かれた白い看板が見えます。細い道を道なりに進むと民家の隣に鳥居があります。子の権現って、お寺でしたよね。でも鳥居です。潜っていくと鳥居だからあるのはお社でしょう。40代、50代、欲張って60代になっても丈夫な足腰でいられるようしっかりと願っておきましょう。
社の右奥の踏み跡を辿ります。多少薮ですが、まあまあの踏み跡です。進んでいくと左手にお不動様が鎮座しています。剣が奉納されています。ここまでは割合しっかりした踏み跡なのでお不動様はまだ信仰されているのでしょう。
お不動様から先は踏み跡が怪しくなります。人によったら薮というかも知れません。hisiyamaさんに遊んで頂くようになって、この程度は道と呼んでいます。倒木やとげのある樹木もあり、半袖+サンダルの私はすっかり、引っ掻き傷を作りましたが、ここは踏み跡を拾って歩けるところです。山頂手前の斜面に、小天狗の石祠がありました。小天狗ときたら、大天狗、石尊大権現がなくてはいけません。斜面には判別できない石祠が三つ。全部で六座鎮座していました。

山頂は雑木で覆いつくされていました。緑のテープが何本か括りつけられていて薮の中を進んでいくとどこかに行き着くのでしょうか。山頂からは薮です。良い子の歩く道ではありません。

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