前仙人ケ岳の西のピーク“大久保”から派生した尾根が黒川に落ち込んでいます。岩稜に幾つかの石祠が置かれ、かつては信仰の場だったことが窺えます。とりあえず大久保尾根としておきます。
林道東ノ入線の山神宮の裏から登れますが、一般向きではありません。道標はありません。通過できないような危険な箇所はないのですが、痩せた岩稜の急登です。
桐生広域新聞の「再発見シリーズ 桐生の山」の“菱町一色とその周辺”で紹介されています。“『はるかな断崖の上に石灯籠が立っている山がある…』と土地の人に教えられた。〜中略〜岩壁をよじ登っていくと、想像以上に険しい山である。累々たる岩尾根、露岩がそそり立つ。悪戦苦闘して約三十分。石灯籠は巨大な岩上に立っていた。〜中略〜一歩一歩が死への危険につながる岩場、これを乗り越えると“神”がいると信じた昔の山岳信仰。ここは神域だったに違いない。”
ここまで大仰ではありませんが、心して登らないと、大変なことになります。以前は松と岩だけのスッキリした尾根だったようですが、尾根は倒木と雑木に覆われ、落葉期にしか登れないでしょう。いつものチャラチャラした格好で登った私は、ペットボトルを落すわ、予備の電池を落すわ、コンタクトレンズを落すわと散々な目にあってしまいました。

石灯籠の置かれた岩の先に根本山、唐沢山の二つの石祠が置かれた岩があります。その先にも台座だけの石祠が置かれた跡。一旦鞍部になり、(エスケープするならここになりそうですが、右の植林の急斜面を下ると作業道に出ます。)岩稜を登っていくと大岩の下に金峰山の石祠が祀られた岩場です。鞍部の手前から望める大きな岩は本家奥秩父の金峰山の五丈岩になぞらえたのでしょうか。なお、岩稜を詰めていくと作業道に出合います。ここは大久保展望地と呼ばれ、条件が良ければ富士山も望めます。お昼寝にも最高の場所。展望地から踏み跡を辿ると大久保に。

根本山、金峰山は古くから信仰を集めていたようですが、唐沢山に疑問を感じました。栃木県佐野市の唐沢山神社から分祀をうけたとすると、明治期以降のことになります。唐沢山の御祭神田原の藤太秀郷はムカデ退治や天慶の乱を平定したことで有名な平安期の人ですが、唐沢山神社そのものは明治期の創建です。石祠や石灯籠には江戸後期の文化文政と刻まれていました。別の唐沢山信仰があったのでしょうか。

というわけで、下山は作業道を使われることを切に切に望みます。

2008/2/7 尾根の名前をおおくぼ尾根としたことに山の師から故障があった。以下。下野国地誌取調帖では明らかに唐沢山とか書れてます。まず、山の項で唐沢山は仙人ヶ岳山脈中ニアリテ奇岩層畳怪松多ク常ニ潤泉?々トシテ実ニ絶佳ノ勝景ト云フヘシ 嶺の項で唐沢山は登口ヨリ十五町道岩石硝シテ攀往(道)ナシ故に鉄鎖ヲ懸ヶ以テ登攀ス 以上ですHPのオオクボ尾根変更ください。と厳命されてしまった。別に私としてはさしたる根拠はないので、唐沢尾根ということで。唐沢山神社を勧請する前からこの山が唐沢山であったということ、地元でも唐沢尾根と呼ばれていることが判然としたので師の言い付け通りにします。地誌取調帖中の鉄鎖は戦後、地元の青年団の飲み代と化してしまったことも師の言葉の中にあった。

inserted by FC2 system