予定項では茶の木畑山が目標で、大猿山乃家から登る予定だったのですが、当日の暑さと会長の一言で小沼駐車場からおとぎの森経由で向かうことになり、茶の木畑山までは到達できませんでした。

小沼の畔からでは山登りではなく、山くだりになるので、最初からのんびり歩きました。お陰で、今まで何度となく歩いた道で新発見をしました。弁天さまの祠。これから小沼や長七郎山を訪れる度にお参りすれば、大金持ちになること請け合いです。小沼の周回路もはじめて歩いてみました。エライもんです。趣のある石畳の道です。家族を引き連れたオッサンいやオジサマが箱根の山を高歌放吟しながら歩いていましたが、ほんの少しだけなら気分はわかってあげられないこともありません。でも、ヤッホーはやめましょう。小沼のこちら側くらいは観光地にしないでおいてください。

で、おとぎの森です。弁天さまにお参りをして、大金持ちへの道を一歩踏み出した会長と私は、長七郎山への登り口の三叉路を右へ、小沼から流れ落ちる粕川ぞいの道に進みました。古びた指導標に従って、下ってゆきます。クマザサの中の静かな道を只管くだります。鬱蒼とした木々の間からは時折対岸が望めますが、暑さのためモヤっていて深い谷底しか見えません。何本もの巨木が曲がりくねって伸びていておとぎの森の名も頷けます。大きな広がりのある平地につくと中央部に“おとぎの森”と縦書きされた大きな看板があります。ガイドブックはカタカナのオトギが多かったのですが、そういう訳で、この項ではひらがな書きにしています。この森の雰囲気もひらがなが相応しいと思います。広場からは時折舗装された跡のある作業道のような道になります。温泉を掘ったという看板がありましたので、税金を浪費してここも当時は舗装されていたのでしょうか。歩きにくい道になっています。温泉はどうだったのでしょう。緩く登っていくと左に小沼へ向かう作業道を分け、長七郎山と茶の木畑山との鞍部につきます。尾根の先は急激に落ち込んでいます。ここを茶の木畑峠と思い込んでしまい、北側の高まりに登路を探しましたが、長七郎山へ向かう尾根なので道は見つかるはずもなく、次いで南側の高みに向いました。クマザサの中の微かな踏み跡を辿り、コメツツジの群落を強引に突破すると石積みの跡がありましたが、頂上には茶の木畑山を示すものはありません。アブとやぶ蚊の大軍に襲われ早々に退散しました。思わぬ薮漕ぎで半袖シャツで登った報いがまだ続いています。下山途中に会長が南に伸びる踏み跡を発見しましたが、後の祭り、茶の木畑山は宿題となりました。戻ってから地図を見ると我々が登ったのは茶の木畑山の北側の高み、とりあえず茶の木畑山北峰と呼んでおきます。会長が下山途中に発見した路が茶の木畑峠に続く路のようです。おとぎの森には全くいなかった虫たちに帰りの作業道でも悩まされました。緩く登り返すとあっという間に長七郎山下の三叉路に戻れました。

登山道を前橋市内の工業高校の名前を背負ったワンボックスカーが塞いでいました。この車は、どこから入ってきたのでしょう。何をしているのでしょう。登山者や観光客を押し退けて小沼の周遊路を走ってきたのでしょうか。空から降ってきたか、地からわいたか。大きな駐車場があり、車止めのゲートがありの場所でよくこんな所にとめておけるな。

おとぎの森は有名なスキーヤーの父親が小さな頃にここにきて、“わーいおとぎの国だ”といったから名付けられたとかいう記述がありましたが、見なかったことにしましょう。そんなガキンチョが名付け親だなんて。朝香嶺の項では小地蔵と書きましたが、この項では小地蔵岳にしてみました。岳がつくとかっこいいので。桐生の山だけでなく、赤城山もまだまだ研究対象が多いようです。

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