アルプスの鉄道と公共交通

増田 宏 

1 はじめに

 十数年前、数年続けて登山を目的にアルプスを訪れた。アルプスでは鉄道がよく整備されており、登山やハイキングの交通手段として多くの鉄道に乗る機会があった。一方、アルプスでは登山鉄道そのものが観光資源となっており、多くの人が鉄道を目的にアルプスを訪れていた。私はアルプスの鉄道について興味を感じ、乗るだけでなくアルプス地域(ドイツ・オーストリア・スイス)の公共交通機関について調査した。やや古い(1996年)記録ではあるが、日本における公共交通機関の運営や利用に参考になると思われるので紹介したい。アルプス地域のうちフランスとイタリアについては殆ど訪れる機会がなかった。

アルプスの鉄道路線図

2 アルプスの公共交通機関

 鉄道
 3国とも首都又は主要都市からの列車が1時間ごとに発車する定時運行で鉄道がリゾート地に直行している。特にスイスは航空機と列車を直結するシステムを採用し、2つの国際空港(ジュネーブ・チューリヒ)駅から1時間ごとに列車が各地に発車している。主要リゾート地へは直行特急列車が運行しており、最も鉄道が発達している。オランダのアムステルダムからスイスのリゾート地へ国際直行特急列車が毎日運行するなど国境を超えた鉄道路線網の連携も良好である。

 バス
 バス路線網も充実しており、鉄道の通じていない各集落を結んでいる。スイスでは郵便バス、オーストリアでは連邦バスが鉄道網を補完して全国的路線網を形成している。郵便バス・連邦バスは郵便物の輸送と旅客業務を併せて行う独自の公共道路輸送システムで、スイスでは鉄道延長5,100kmに対してその1.6倍8,000kmの郵便バス路線網が全国を網羅している。スイスでは鉄道のない辺地にも公共交通機関を運行することが政府の責務であると考え、殆ど全ての集落にバスが通じていると言っても過言でない。オーストリアの連邦バスも名称は異なるが機能は基本的に同様である。各集落には郵便局があり、郵便・電話業務とともにバス営業所を兼ねている。

(1)公共交通機関の財政状況
 一方、マイナス面として大きな財政赤字を抱えており、財政状況の改革が課題となっている。スイスでは連邦鉄道(SBB 以下スイス国鉄と略称)・私鉄・バスとも営業収支は全面的な赤字で連邦政府が巨額の財政支出を行って補填している。国鉄・私鉄を合わせた鉄道事業全体でみると収入は支出の半分にしか過ぎない大幅な赤字となっている。鉄道経営体は利用促進のため半額旅行カードなど新しい切符を発行するなど収益改善に努力しているが、収支は年々悪化しており、連邦政府は財政状況改善に苦慮している。

(2)リゾート地の公共交通機関網
 多くのリゾート地は市街地までは自家用車の乗り入れが可能であるが、山岳地は道路が通じていないか、道路はあっても自家用車の乗り入れを禁止し、入域は登山鉄道・ロープウエイ・バスなど公共交通機関利用に限っている。そのためアルプスでは公共交通機関がよく整備され、利用し易い交通機関網が形成されている。特に登山鉄道が発達しており、観光道路に比べて自然破壊が少ない大量輸送システムとしてアルプス観光に欠かせないものとなっている。ケーブルカー・ロープウエイは登山鉄道と有機的に結合してネットワークを形成し、観光に重要な役割を担っている。
 なお、ロープウエイやリフトの利用者は多くがハイキングを楽しむ人で日本のような物見遊山的観光客は殆ど見かけない。このような余暇の過ごし方の違いは休暇の長さによるゆとりの差が原因と思われる。スイス国民の休暇は4〜5週間で、調査したグリンデルヴァルトでの滞在日数は最低1週間だという。これに対して日本人観光客の滞在日数は1〜2泊程度であった。いずれは日本でも休暇日数の増加とゆとりある余暇の過ごし方に変わっていかねばならないと思う。

 登山鉄道ー観光と環境保全の両立
 自動車の乗り入れ禁止と登山鉄道による交通は観光資源であるアルプスの自然をよりよく利用するシステムである。世界各地から訪れる大勢の旅行者がアルプスの自然に気軽に接することができるのは渋滞や駐車場の心配がない登山鉄道の存在が大きい。登山鉄道は開設年代がいずれも古いためコンクリート擁壁はなく、古い石積に苔が生えて自然に融け込んでおり、樹間の中を見え隠れしながら走っている。山肌を大きく削りコンクリート擁壁を設置して自然を大きく改変する自動車道路に対して単線の登山鉄道は用地幅が少なく自然破壊が格段に小さいうえ排気ガス公害や交通渋滞にも無縁であり、観光と自然保護の両立及び交通渋滞の解消に有効である。
 日本では今まで自然公園内では道路の建設が可能なのに対し鉄道建設は認められていなかったが、自動車道路による環境破壊の反省から自然公園法施行令が改正され自然公園内で鉄道建設が可能になった。これを受けて菅平高原の登山鉄道建設構想や屋久島の旧森林軌道を登山鉄道に転換する構想などが検討されており、将来は日本においても観光道路の登山鉄道への転換を期待している。
 山岳部は利用形態を区分し、施設設置可能地域と禁止地域に分かれている。例えばオーストリアでは2割の国土が自然保護地域・自然景観保護地域・騒音防止地域に指定されている。騒音防止地域では登山鉄道を始めロープウエイ・リフト等の建設は全て禁止され、自然保護地域と自然景観保護地域は全ての開発に許可が必要となっている。

(3) 地方都市の公共交通体系
 地方都市の一例としてオーストリアのインスブルックにおける公共交通機関網を調査した。インスブルック市はチロル州(人口63万人)の州都で人口12万人の地方都市である。

 路線網
 市街地の公共交通機関として路面電車・トロリーバス(無軌条電車)・バスが合わせて19路線あり、市街地の主要な通りを殆ど網羅している。1路線あたりの運行間隔は多い区間で5分に1本、少ない区間で30分に1本で日本の地方都市と比べて極めて発達した公共交通機関網を有している。具体的には路面電車が4路線あり、路線が数字で表示されている。トロリーバスが2路線、バスが13路線あり、路線がアルファベットで表示されている。路面電車・バスとも乗客は多く、さまざまな方向に市街地を走り回っている。
 郊外の町に延びる路面電車の1路線を除きいずれの路線もインスブルック交通公社(IVB)が運営しており、1枚の切符でどの交通機関も利用できる。停留所には時刻表とともに市街図に公共交通機関全体の路線が表示され、交通機関相互の乗り継ぎが一目で判るようになっている。この路線図と時刻表がセットで販売されており、旅行者にとっては大変便利である。公共交通機関の密度が少さい日本の地方都市ではこのような路線図は見かけないが、バス時刻表への掲載と街頭表示で公共交通機関の経路を明確にすることにより利用促進につながると思う。
 なお、州内の交通は鉄道以外にインスブルックとチロル州各地を結ぶ連邦バス路線網があり、市交通公社・連邦バス・私鉄でチロル交通連合(VVT)を組織して州内交通網の連携を図っている。

 運行形態
 各交通機関いずれも車内での料金の徴収や切符の確認はせず、利用者は売店や自動販売機で切符を求め、最初に乗り込んだ際に機械で切符に乗車日時を刻印する。車内の自動販売機で買うこともできるが、乗車後の購入は割高になっている。徴収事務がないので運転手が安全運転に専念できるとともに、料金の支払に要する停車時間がないので円滑な交通と所要時間の短縮になる。利用者にとっても乗降の際に料金の支払をいちいちしなくとも済むので煩わしくない。切符の所持は利用者の良識と抜き打ちの特別検札で担保している。車内には無賃乗車を警告するポスターが貼ってあり、罰金3,000シリング(約30,000円、現在の通貨単位はユーロ)と大きく記載されている。スイスの地方都市でも同様な方式を採用している。改札の省略は合理的であり、市民意識が成熟し始めている日本の都市においても採用が可能だと思う。(現在、日本ではスイカ・パスモなどの電子決済機能が普及しており、将来は電子決済機能による料金徴収一元化の可能性も考えられるが・・)

 公共交通機関網の整備と市街地の活性化
 運賃は市内1日券が30シリング(約300円)、1週間券が105シリング、1か月券が380シリングと安価である。市街地内の移動は東京の都心部よりも便利である。日本の地方都市では郊外に大型店ができ中心街の空洞化が進んでいる。これは市街地の公共交通機関が劣悪なため自家用車中心の交通体系になり、駐車場不足や交通渋滞が生じ易い中心街が敬遠された結果だと思う。地方都市の市街地は通り抜ける車ばかりで歩行者が殆どいないといった光景が普通であり、都市機能が劣化し住みにくい都市に変わりつつある。
 インスブルックを始め今回訪れた都市の市街地に活気がある理由の1つは公共交通機関の利便さだと思う。日本の市内交通機関の多くは営利目的が起源で自家用車の普及により収益が悪化し衰退してきた。スイス・オーストリアでは公共交通機関網を整備・運営することは政府(連邦・地方)の責務であると言っていた。私的交通手段に頼る日本の地方都市は都市機能の面では人口の多い田舎に過ぎない。日本でも収益を別にして市街地の公共交通機関を公的に整備・運営することが必要であり、それが市街地の活性化につながると思う。
 日本では昭和の始めに67都市にあった路面電車は現在19都市と大幅に減少したが、ヨーロッパでは路面電車が見直され40都市で復活している。路面電車の輸送力は新交通システムの2分の1だが建設費は10分の1で済む利点があり、都市によっては復活又は新設の可能性を検討する価値があると思う。

 車椅子や乳母車も乗れる交通機関
 路面電車・バスとも車椅子や乳母車が利用し易い低床式で、車中に車椅子・乳母車の場所が設けてある。車両によっては専用の乗降口があり、シンボルマークが表示してある。乳母車を持った人が乗降するときに周りの乗客が気軽に手を貸しているのをたびたび見かけた。公共交通機関にも福祉の考え方が反映しているのを感じた。

 ルツェルン(スイス・ルツェルン州)
 帰途に立ち寄ったスイス・ルツェルン州(人口32万人)の州都ルツェルン市は人口6万人の小都市だが市内には公共バス路線が26路線あり、公共交通機関が充実していた。トロリーバスと一般のバスがそれぞれ2両連結で運行しており、バスには路線番号が表示されている。主要路線は10分おきに運行されており、日本の都市との落差の大きさに驚いた。

3 スイスの公共交通機関網

 鉄道
 ヨーロッパ交通の十字路であるスイスは特に鉄道が発達している。スイスの鉄道延長は5,100kmで、6割弱が国鉄(SBB)、4割強を私鉄(70社)が占めているが、登山鉄道を除き国鉄と私鉄は相互乗り入れ運行している。運行上の区別はなく時刻表も一緒である。
 1987年にジュネーブ・チューリヒ両国際空港と中央駅を結ぶ路線が開通してから航空機と列車を直結するシステムを採用し、2つの国際空港駅から列車が1時間ごとに主要都市に定時運行している。国鉄は1982年から同一方向への定時運行を開始し、地域でも中心都市から各地へ列車が定時運行している。列車の種類として、国際特急(ユーロシティ:略称EC)、国内特急(インターシティ:略称IC)、急行(シュネルツーク)、普通列車(レギオナルツーク)がある。特急料金等は不要であり、半額旅行カードが普及しているので運賃は日本よりも割安である。列車の乗降に改札はなく車掌による検札方式を採用している。
 国電(Sバーン)が走る大都市周辺については自主検札とし、検札を省略している。市街地の交通機関と同じく切符の所持は利用者の良識と抜き打ちの特別検札で担保している。座席の予約については日本のように指定席と自由席に分けておらず、予約票の入っていない座席は自由に座れる。この方式は座席に無駄がなく合理的である。検札と座席指定についてはドイツ・オーストリアも同じ方式を採用している。
 列車の発着時刻は日本と同様に正確で乗り換えの連絡も良い。全ての列車に車椅子が乗車できるようになっており、自転車を積み込む車両も連結している。国内特急(IC)には子供用のプレイルームを備えたファミリーカーが連結されている。
 日本にはない制度として手荷物の託送システムがあり、10フラン(約1,000円)でスーツケースなどの手荷物をあらかじめ目的地に送ることができる。旅客列車の大半に荷物車が連結されており、荷物が重い場合でも公共交通機関を利用できる。託送システムは鉄道だけでなく登山鉄道やバスもネットワークに入っており、公共交通機関利用促進につながる便利な制度である。ドイツ・オーストリアにも同様の制度がある。更にネットワークに空路を含めたフライレールバゲージサービスもあり、日本の出発空港からスイス内の目的地まで自動的に手荷物を輸送することができる。

 バス
 鉄道網を補完して延長8,000kmの郵便バスが全国的路線網を形成している。郵便バス(PTT)は郵便物の輸送と旅客業務を併せて行う独自の公共道路輸送システムで、鉄道のない殆ど全ての集落に通じており、1日25万人の乗客を運んでいる。各集落には郵便局があり、郵便・電話業務とともにバス事務所を兼ねている。鉄道・バス・登山鉄道は通しで切符を買うことができる。鉄道・バスにロープウエイ・船を含めた公共交通網は16,000kmに及ぶ。

 公共交通機関の営業収支と財政支援
 ヨーロッパでは貨物の殆どが40tトラックで運ばれているが、スイスでは自動車公害を防止するため大型トラックの国内通過を禁止し、トラックごと列車に乗せて運ぶピギーバック輸送に切り替えられた。そのため、2つのアルプス越えトンネルの建設を決定した。これまで「より早く、より頻繁に、より快適に」をモットーに鉄道は積極的に設備投資を進めており、運輸業績は旅客・貨物とも増加している。


1988年

1991年

鉄道合計 うち国鉄

鉄道合計 うち国鉄
旅客 37,400万人 25,900万人
旅客 40,400万人 27,100万人
貨物 6,200万t 4,800万t
貨物 6,700万t 5,100万t

 一方、自動車による私的輸送は環境悪化などの外部不経済を負担していないので鉄道は旅客・貨物とも殆どの地域で経済的に太刀打ちできず、財政状況が悪化している。
 国鉄・私鉄・郵便バス事業の営業収支は全面的な赤字で連邦政府が財政支出を行い補填している。国鉄・私鉄を合わせた鉄道輸送統計(旅客・貨物合計)は下記のとおりで、収入が支出の半分という大幅な赤字となっている。


1988年

1991年

鉄道合計 うち国鉄

鉄道合計 うち国鉄
収入 301,000 246,000
収入 355,000 287,000
支出 562,000 463,000
支出 707,000 579,000
収支 △261,000 △227,000
収支 △352,000 △292,000

単位 1万フラン

単位 1万フラン

 連邦政府から企業努力を指導され、鉄道経営体は利用促進のため半額旅行カードなど新しい切符を発行するなど収益改善に努力しているが、上記輸送統計のとおり収支は年々悪化しており、連邦政府は財政状況改善に苦慮している。
 赤字に対する財政支援は登山鉄道を除く私鉄と国鉄に対して行っており、連邦政府の補助金を受けている路線は運賃の決定に政府の認可が必要となっている。一方、生活路線ではない観光用の登山鉄道には補助金は交付されず、独立採算で運賃は独自に決定できる。そのため登山鉄道の運賃は高く、平地の十倍以上に相当する路線もある。
 なお、再建策として日本のような国鉄の分割化や民営化は考えられないかという質問に対して、一部の黒字主要路線以外の廃止につながるので考えられないとの回答であった。生活路線を守ることは政府の責務だが、一方で経営合理化のため旅客の少ない普通列車や乗降客の少ない時間帯の列車削減などの現象が出てきているという。

 公共交通機関利用促進用の定期券・切符
 収益改善のため公共交通機関利用促進用のさまざまな取り組みが行われている。そのうち特に参考になると思われるのがフリーカード・半額旅行カードなど特別の定期券・切符である。フリーカード(ゲネラールアボネメント)は登山鉄道・ロープウエイ以外の全国の鉄道・バス・船に自由に乗れる定期券で1年用と1か月用がある。地区を限定したフリーカードもある。半額旅行カード(1/2プライスアボネメント)は一部の登山鉄道・ロープウエイを除き全ての公共交通機関の運賃が半額になる定期券で、国民の3人に1人が所有しているといわれる。1年用が僅か160フラン(約15,000円)、1か月用(外国人用)が90フランと大変安く、利用者増加に貢献している。
 また、住民に市町村がシールを交付し、半額旅行カードに貼っておくと生活圏内の公共交通機関が更に割引になる制度がある。割引分は連邦政府が補助金を交付する。この制度は公共交通機関利用促進だけでなく住民福祉にもなっている。その他スキーシーズン用の地区フリーカードや春秋の閑散期におけるマルチカード(切符購入実績に応じた利用券サービス制度)などがある。

4 グリンデルヴァルト(スイス・ベルン州)

 グリンデルヴァルトはスイスを代表する3つのアルペンリゾートの1つで、日本人旅行者に最も人気のある人口3,750人の村である。地区の観光局を訪問し、局長のヨー・ルゲン氏からスイス連邦の公共交通機関の現状及び地区の交通政策と環境保全について伺った。スイスの公共交通機関についてはあらかじめ質問事項を送付し、準備のうえ回答をいただいた。

 グリンデルヴァルトへの公共交通機関
 チューリヒ国際空港駅又はバーゼルから地区の入り口のインターラーケンまで国鉄(SBB)の直行列車が1時間ごとに定時運行しており、そのほか乗り継ぎ列車を含めると1時間に2本運行している。また、国際特急(EC)がオランダのアムステルダムから、ドイツ国鉄の新幹線(ICE)がベルリンから、それぞれインターラーケンまで毎日乗り入れており、スイスのリゾートで最も交通の便に恵まれている。インターラーケンからは全ての列車にグリンデルヴァルトまでベルナーオーバーラント鉄道(BOB)の接続列車がある。
 BOBは列車と線路の歯車を噛み合わせて急勾配の登下降を行うラックレール方式の狭軌鉄道である。ラックレール方式は主に登山鉄道で用いられており、日本ではその一形式であるアプト式が信越線で使用されていた実績がある。BOBは急勾配区間だけラックレールを使用しており、機関車の増結と比較すると効率的だと思う。

 自動車乗入規制
 グリンデルヴァルトでは市街地及び観光客用のホテルのある場所まで自動車で入れるが、そこからは先は一般車の乗り入れを禁止し、公共交通機関利用でしか入れない。村内までの移動は車で観光地(山岳地)は公共交通機関利用に限るという明確な方針を採用している。
 中腹のアルプ(放牧地)に通じる道路は路線バスと村役場発行の許可シールを貼った放牧用の車しか入れないため、全て1車線でカーブのところどころに擦れ違い用の待避所があるだけだ。道路に施錠はしていないが乗り入れ禁止は守られている。隣町のマイリンゲンを結ぶ峠道も同じで、路線バスと許可車両以外は観光バス・タクシーの通行も認めておらず、静かな環境が守られている。
 近傍のヴェンゲンやミューレンは自動車乗り入れを禁止しているので、自動車乗入禁止の可能性について質問したところ、グリンデルヴァルトは地形的制約が少ないので駐車余地の義務付けを含む厳しい建築規制で十分対応できるとの回答であった。確かにメーター式の駐車場が十分あり、路上駐車は見られない。交通手段別訪問者数は、公共交通機関19%、観光バス16%、自家用車64%、その他1%で意外に自家用車利用率が高い。

 山岳地の公共交通機関
 市街地から山岳部の観光地には登山鉄道・ロープウエイ・バスが延びている。日本人観光客に有名なユングフラウヨッホに登るヴェンゲンアルプ鉄道(WAB)・ユングフラウ鉄道(JB)、フィルストバーン・メンリヒェンゴンドラレールウエイ(GGM)などのロープウエイ類、村営バス(5路線)がある。これらの観光用の交通機関は生活路線ではないので補助金が交付されず、独立採算で運行している。乗車実績は、WABが1976年の125万人から1995年には250万人、JBが1976年の10万人から1996年には80万人と大幅に増加している。

 環境保全
 グリンデルヴァルトでは1964年から1990年にかけて26年の歳月と3,000億円の巨費を投じて下水道を建設した。滞在者数が観光の最盛期には村の人口の10倍にふくれあがるので、対応する処理能力を備えるため村の規模と比較して莫大な予算を要した。住民の居住地区だけでなく標高3,450mのユングフラウヨッホなどの山岳観光地まで下水道管が延びており、それらを含めて全て処理場で浄化して放流している。交通機関の通じていない山小屋も立地条件の良いところは汚水をタンクに貯めてヘリコプターでタンクごと交換している。
 ゴミ処理については、スイスは資源が少ないのでリサイクル意識が高く、リサイクルゴミの分別が徹底している。ドイツ・オーストリアも同じだが、容器は瓶が主流で缶は少ない。瓶及びペットボトル(再使用可能)は再使用し易いようメーカー共通で、保証金を預かるデポジット制を採用している。スーパーマーケットには瓶回収場所があり、空瓶を返却すると保証金分の払い戻しシールをくれる。街角のゴミ収集所には種類別に回収容器が設置されている。リサイクルゴミは、缶(アルミ・スチール)、瓶(緑・茶・白)、ペットボトル、紙パックに分別されている。缶はリサイクルが容易になるよう缶に印刷せずラベルを貼る方式になっている。ゴミ収集所には缶のラベル回収箱や空瓶の蓋回収箱が設置してあり、住民に徹底した分別を求めている。(その後、日本でもリサイクル意識が高まり、同様なゴミの分別収集が行われるようになったが、ペットボトルのデポジット制は実行されていない。)
 景観を保全するため、村内を中央地区・住居地区・農業地区の3つの区域に分けて建築などの規制を行っている。中心市街地の中央地区についてはホテルが6階、店舗が4階までの制限がある。住居地区についてはホテルの建築は不可で、民家も3階までの三角屋根のシャーレー以外は建てられない。農業地区は農家以外の建築は禁止されている。
 また、スイスでは車のエンジンをかけたまま停車できず、路線バスも停留所でエンジンを止めて乗降している。

5 オーバーエンガディン(スイス・グラウビュンデン州)

 オーバーエンガディンはスイスの3大アルペンリゾートの1つサンモリッツとポントレージナを中心とする地区である。

 オーバーエンガディンへの公共交通機関
 チューリヒ国際空港駅からグラウビュンデン州の州都クールまで国鉄(SBB)の直行列車が1時間ごとに定時運行しており、クールから中心地のサンモリッツまでレーティシュ鉄道(RhB)の列車が接続している。
 サンモリッツともう1つの3大アルペンリゾートであるヴァリス州のツェルマットを結ぶ列車「氷河急行」はリゾート間直通列車であると同時に鉄道自体が重要な観光資源になっている。氷河急行はレーティシュ鉄道(RhB)、フルカオーバーアルプ鉄道(FOB)、ツェルマット鉄道(BVZ)の3つの狭軌私鉄線を結ぶ直通列車で、夏期は1日7往復運行している。FOB・BVZは急勾配区間にラックレールを使用しているが、RhB区間はループ線を採用している。生活路線としては短区間の利用に留まり、観光用の山岳鉄道としての要素が強い。

 地区内の公共交通機関
 サンモリッツ及びポントレージナからレーティシュ鉄道ベルニナ線がオーバーエンガディン地方を南北に通り抜けイタリア側のティラノに通じている。この路線はスイスのグラウビュンデン州とイタリアのミラノを結ぶ国際路線の一部になっているが、氷河が迫る高山帯を走る山岳鉄道で景観が優れているため氷河急行と並ぶ観光路線になっており、私が訪れた時は乗客の殆どを観光客が占めていた。
 ベルニナ線は急勾配で有名な路線で旧信越線の横川・軽井沢間66.7パーミリを超える最大勾配70パーミリをラックレールなしで走行する。特にアルプグルム・ポスキアーヴォ間は直線距離6kmに対し標高差が横川・軽井沢間よりも遥かに大きい1,100mで、蛇行を繰り返しながら延長距離16kmを走っている。運行間隔は普通列車が1時間に1本で、ほかに州都クールからの直通列車ベルニナ急行が1日4往復している。
 鉄道が通じていないサンモリッツから西側の地区はポントレージナからサンモリッツ経由の郵便バスが運行している。イン川最上流のマロヤまで1日24往復、途中のシルスマリアまで40往復あり、観光地のため一般の地区よりも便数が多くなっている。多い時間帯で1時間に3便あり、この程度の運行密度があれば交通の不便は感じないと思う。運賃は半額旅行カードで半額になるので日本のバスと比べると割安である。
 集落から山の中腹に登山鉄道が2路線、ロープウエイが7路線延びている。このうち調査したコルバッチロープウエイは万年雪地帯の標高3,300mまで達しており、観光開発が進んでいる印象を受けた。しかし、山に登る自動車道路はない。

6 チロル(オーストリア・チロル州)

 オーストリアの公共交通機関網
 オーストリア連邦鉄道(ÖBB 以下オーストリア国鉄と略称)の路線網はスイス・ドイツ両国に比べるとやや貧弱だが、鉄道を補完して連邦バス(ブンデスバス)が発達しており全国的路線網を形成している。列車の運行形態はドイツ鉄道(DB)と同じで、国際特急(EC)、国内特急(IC)、急行(シュネルツーク)、準急(アイツーク)、普通列車(レギオナルツーク)が走っており、ECなど一部を除き1時間ごとの定時運行を行っている。ウィーン近郊には国電(Sバーン)が走っている。EC・ICの座席はコンパートメント方式で、コンパートメントごとに照明のスイッチがある。また、座席ごとに飛行機と同様のペンライトが設置されているなど日本の列車に比べて機能性・経済性において優れている。車中には座席ごとに当該列車の運行時刻表が置かれており、サービスも良い。
 オーストリアでは近年郵便バスを連邦バスに統合したが、基本的な機能はスイスの郵便バスと同じで郵便物の輸送と旅客業務を併せて行っている。鉄道のない殆ど全ての集落に通じおり、各集落には郵便・電話業務を行う郵便局とバス事務所が同居している。今回チロル州のランデックからイン川に沿ってスイスのスクオルまで連邦バスを利用したが、オーストリア側の最終集落ナウダースで他の乗客全員が下車し、国境を越えたのは私1人だけだった。ランデック・スクオル間は1日4往復だが、このように乗客が少ない区間でも公共交通を確保していることに感心した。

 チロルへの公共交通機関
 州都インスブルックまでウィーンから10往復、スイスのチューリヒから5往復EC又はICが直行運行している。うち2列車はパリ及びフランクフルトからの直行列車である。インスブルックからは東西に走る国鉄の幹線からイン川の支流にある各リゾート地まで私鉄や連邦バスを乗り継ぐ。私鉄は4路線がイン川支流の谷に通じている。
 今回インスブルックとシュトゥバイ谷を結ぶシュトゥバイタール鉄道、イエンバッハとツィラー谷を結ぶツィラータール鉄道を調査したが、両鉄道とも8時から18時まで1時間ごとの定時運行をしている。毎時同時刻の発車なので駅名表示に上り下り方向それぞれの発車時刻の分表示がされている。起終点の駅を含めて切符は全て車内で車掌から買う仕組みになっており、経営合理化に努力している様子が窺えた。下車を希望する人がいる時だけ停車する停車場が駅と同数程度ある。私鉄は生活路線及び観光路線として利用されているが、ツィラータール鉄道で観光用にトロッコ車両連結の蒸気機関車を1日2往復運行するなどいずれも観光客の誘致に力を入れている。

 山岳地の公共交通機関
 リゾート地の市街地から山岳部の観光地には登山鉄道・ロープウエイ・バスが延びている。なかでも幹線鉄道とアーヘン湖を結ぶアーヘンゼー鉄道はオーストリアを代表する登山鉄道であり、最大勾配16%をヨーロッパ最古の蒸気機関車にトロッコ列車を連結して運行しており、登山鉄道そのものが観光資源になっている。各リゾート地とも鉄道終点から奥の集落には1時間に1本程度連邦バスの便がある。

7 ガルミッシュパルテンキルヒェン (ドイツ・バイエルン州)

 ドイツ鉄道(DB DeutscheBahn)は株式会社であるが、株は全て政府が所有しているので実質は国有鉄道に近く、27,000kmの路線網を有し、1日2万本の旅客列車を走らせている。列車の種類として、新幹線(ICE)、国際特急(EC)、国内特急(IC)、急行(シュネルツーク)、準急(アイルツーク)、普通列車(レギオナルツーク)がある。大都市には国電(Sバーン)が走っている。列車には車椅子・自転車積み込み用の車両が連結されている。
 ガルミッシュパルテンキルヒェンはドイツを代表する山岳リゾート地でオーストリア国境に近い人口26,000人の町である。バイエルン州の州都ミュンヘンとオーストリアのインスブルックから鉄道が通じており、どちらからも列車で1時間半ほどの位置にある。両方向とも普通列車が1時間に1本定時運行している。ミュンヘンからは普通列車以外に特急(IC)があり、土曜日はハンブルグ発ミュンヘン行きの新幹線(ICE)がガルミッシュパルテンキルヒェンまで直行している。

 市街地の交通網
 市街地の公共交通機関として6つのバス路線があるが、運行間隔は多い時間帯で1時間間に3本、少ない時間帯で1時間に1本と運行密度は高くない。スイスのリゾート地に比べると公共交通機関の機能は劣る。都市内の移動は自家用車が主だが、駐車場が数多く整備されているので渋滞や不法駐車は見られない。市街地は広い道路が多く、両側に歩道と自転車道が整備されており、歩道と自転車道は区分されている。

 山岳地の公共交通機関
 ドイツの最高峰ツークシュピツェ及びアルプシュピツェが主要な観光地になっており、前者は車道なく、後者は車乗り入れ禁止になっている。交通機関は登山鉄道及びロープウエイのみで起点の駅には駐車場が整備されている。ドイツを代表する登山鉄道ツークシュピツェ鉄道は険しいアルプスの山頂近くまで延びる長大な路線であるが、峻険な部分は延長4.4kmのトンネルで通過し、樹林帯部分も単線で幅員が狭くコンクリート構造物が殆どないため自然の景観によく溶け込んでいる。

8 おわりに

 アルプス地域における鉄道の調査を終えて感じたことは次のとおりである。まず第1に公共交通機関の利用は都市住民の最低限の生活基準(シビルミニマム)であり、中央及び地方政府は市民のために公共交通機関網を備える義務があるということ。日本の今までの公共交通政策が公益性・企業性のうち企業性に重点を置いた結果、現在の公共交通機関の衰退を招いたと言える。企業性はもちろん必要だが、今後は今回調査した3国のように公益性をより重視してシビルミニマムとして公共交通機関に公金を投ずることをためらうべきではないと思う。最近、自治体で無料市内循環バスの運行を開始するなど新しい取り組みも始まっている。
 第2に環境保全がより強く求められている今日、弊害が多い自動車道路による観光は限界だということ。スイスには生活道路として峠越えの山岳道路はあるが、観光道路は1つもない。日本でも今後は観光と環境保全を両立するため、自動車の乗り入れ禁止と公共交通機関の整備が必要だと思う。
 なお、今回訪ねた3国の全てが先進的というわけでなく遅れている面も見受けられた。例えば3国とも列車のトイレは日本では衛生上認められておらず30年以上前に姿を消した落下式であった。また、ユングフラウ鉄道やツークシュピツェ鉄道はアルプスの山頂近くまで線路・ロープウエイが延びているが、いずれも開設年代が古いため設置できたもので現在では自然環境の保全上とうてい認められないと思う。

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インスブルック中心街
マリアテレジアン通りの路面電車
インスブルック・路面電車イーグルス駅(終点)
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インスブルック発ミュンヘン行き列車(ドイツ鉄道) フンガーブルク登山鉄道(インスブルック)
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郊外まで路線が延びているインスブルックの路面電車 無賃乗車の警告ポスター(スイス)
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スイスの郵便バス チューリヒ中央駅前の路面電車
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駅の案内表示(ピトグラフ) 発車時刻表(チューリヒ中央駅)
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ホームの列車案内
行先・経由地だけでなく列車編成も記載
自転車積込用車両(スイス)
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半額旅行カード(1箇月用) グリンデルヴァルト観光局で
ヨー・ルゲン局長に話を聞く
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BOB鉄道とWAB鉄道の乗り換え駅
グリンデルヴァルト
氷河急行・ディセンテス
峠越えのため歯車の付いた機関車に交換
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氷河急行の食堂車 ベルリナ線
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ウイーンの路面電車(ウイーン西駅前) オーストリア国鉄(ウイーン西駅)
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スイス連邦鉄道の列車
独仏伊3語で略称を記載
リンツ(オーストリア)の路面電車
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リンツの路面電車 ツィラタール鉄道(チロル)
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アーヘンゼー登山鉄道(チロル) ツークシュピッツェ登山鉄道(ドイツ)

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