桐生山野研究会

渡良瀬西岸 小中山・神戸山・田沢奥山・中野山・要害山

桐生みどり 

 赤城山と袈裟丸山の間には渡良瀬東岸の山と同じ足尾層群からなる山が連なっている。栗生山を除いて独立した山はなく、主として袈裟丸山から連なる尾根となっている。主要なものとして次の尾根がある。バラ沢峠から南に小中山(こなかやま1116b)、神戸山(ごうどやま857b)に連なるもの、家の串から田沢川左岸沿いに田沢奥山(たざわおくざん1260b)、中野山(なかのやま785b)、要害山(ようがいさん593b)を経て田沢川と渡良瀬川の合流点近くに達するものがある。これらは殆ど山歩きの対象にされず、不遇の山である。小中山、神戸山、田沢奥山などの山名は特定の峰ではなく、広い範囲を指す呼称であるが、山歩きの人は山名を特定の頂と考えているのでここでは最高点又は三角点のある場所に山名を付した。

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 バラ沢峠から小中山、神戸山
 林道小中西山線のバラ沢峠から小中山、神戸山を経て牛沢まで地形図に破線記号が記されているが、現在は踏跡すらない区間が大半である。バラ沢峠から送電線の鉄塔を経て尾根の上に出るとはっきりした道が付いている。この道を辿るといつの間にか南西に派生する尾根に入り込んでしまった。この尾根には小中山の最高点(1164b)があり、分岐で間違え易いので注意が必要だ。元に戻って雑木林の尾根を行くとはっきりした道に出る。この道は県有林の巡視道で稜線東側の林道から続いている。巡視道を辿るとまもなく小中山(1116b)の三角点に着く。ここを神戸山としている案内や記録があるが、小中山の誤りである。ちなみに三角点名も小中山である。この付近は西側が雑木林、東側が檜の造林になっている。
 山頂から南に下ると林道に出る。この林道は小中側から通じていて稜線上に電話の中継局がある。この付近は藪があるが、少し行くと檜の造林地になり、下生えがないので歩き易くなる。途中、岩上で視界が開ける場所があるが、それ以外は樹林帯で展望はない。神戸山(857b)の山頂も檜林で展望は望めない。神戸山は1807(文化4)年の「足尾通見取繪圖」に記載されており、古来の名称である。ここは直下の集落名を取って牛沢山とも呼ばれている。ここから地形図に破線のある尾根を南に下るが、道は付いていない。破線沿いに下り、尾根末端近くで草藪が深くなるがそのまま下ると牛沢の林道に下り立つ。

 バラ沢峠(1時間20分)小中山(1時間30分)神戸山(50分)林道牛沢線

 家の串から田沢奥山、中野山、要害山
 袈裟丸山西方の家の串から田沢奥山、中野山を経て要害山まで長い稜線が連なっている。この稜線は黒保根と東の境界になっている。この稜線は距離が長いものの、藪漕ぎは殆どなく歩き易いので日の長い時期なら1日で縦走できる。
 小中の追付橋先から平仁手川沿いの道に入る。倒木があって車が入れないので橋倉橋の袂に駐車して歩き始めた。林道をしばらく行くと終点になり、この先は平仁手川伝いに行く。家の串に行く旧峠道は利用されなくなって50年以上が経過し、沢伝いの道は出水で荒廃し跡形もない。上流の二俣を左に入り、源頭から木を手掛りに左に急斜面を這い登って稜線に出た。稜線上には旧峠道の道形がはっきり付いている。道形は南側から続いており、もっと手前から尾根に取り付いているようだ。道形は稜線の西側山腹を巻いて峠に達している。峠から根利方面には郡界尾根の北側に道形が続いている。
 少し戻った地点から稜線に上がり、踏跡を辿ると田沢奥山の山頂に着く。田沢奥山は田沢川の上流部を指す総称であるが、最高点のここを山頂として表記した。1910(明治43)年発行の勢多郡黒保根村郷土誌付属地図には家の串東方の三村境界を三界と記し、その南に奥山が記載されている。
 山頂から往路をいったん戻って途中から旧峠道に下り、登り着いた地点から尾根伝いに踏跡を行く。尾根はミズナラを主とした雑木で藪がなく、歩き易い。まもなく送電線の巡視路が東から合流し、巡視路を辿ると1147b標高点付近で鉄塔に出る。鉄塔から踏跡伝いに稜線を行くと鞍部ではっきりした道形が尾根を横切っている。上田沢側は山腹を巻いて南に向かっているが、すぐ判らなくなる。小中側は山腹を巻いて北側に向かっているが、やがて鉄塔の北で判らなくなる。この道形は上田沢と小中を結んでいた峠道ではなく、山仕事の道のようだ。
 ここから尾根を登り詰めると1216bの三角点(点名小中)に着く。この先も雑木林の尾根に踏跡が付いている。1072b標高点付近で尾根が広くなり、この下りで尾根が東に方向を変えるので針路選定に注意が必要だ。鞍部から狭い尾根を登ると968b三角点(点名戸ノ口)に着く。この先は狭い尾根が続くので針路選定に苦労することはない。849b標高点と中野山の鞍部付近で杉の大木の根元に石祠が祀られている。「明和八(1791)年卯四月吉日 上田沢村沢入中」と記されている。ここは小中の阿久沢と上田沢の沢入を結ぶ峠で旧五万分の一地形図(1950年代の一色刷)に破線が記載されており、上田沢側では奥沢峠と呼んでいる。
 中野山の三角点(785b)は稜線から少し南に離れている。中野山を境に杉や檜の人工林になるが、しばらく行くと雑木林に変わる。731b標高点から下る途中、稜線上に大きな岩がある。平らな表面に氷河削痕のような筋状の傷跡がある。位置的に氷河の存在はありえないが、ところどころ穴が空いていて中に石英の結晶を含んでおり、不思議な岩である。地質図では家の串付近は袈裟丸火山の噴出物であるが、それ以外はチャートと頁岩を主とする足尾層群からなっている。
 ここから下った鞍部(標高645b)が田嶋峠で石祠が祀られている。「安永七(1778)五月日 上田沢村中組 山神□□」と記されている。この石祠は田嶋の十二様と呼ばれている。この峠道は地形図には記載されていない。小さな登り下りを繰り返すと要害山手前の鞍部で中山峠(標高525b)に着く。石祠が祀られているが、奉納者や造立年は記されていない。峠の位置は地形図に破線が記されている箇所よりも南側である。田嶋峠、中山峠は花輪と上田沢を結ぶ峠道である。ここから尾根を登り詰めると要害山の三角点に着く。東側の展望台から遊歩道を下って戸屋沢橋口の林道終点に出て南に分岐する遊歩道を下り、要害山の高橋登山口に着いた。

 橋倉橋(1時間30分)家の串(1時間20分)1216b三角点(1時間40分)968b三角点(1時間10分)中野山(50分)田嶋峠(1時間10分)要害山(25分)高橋登山口

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家の串旧道 奥沢峠の十二様石祠
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田嶋峠の十二様石祠 中山峠の十二様石祠

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