桐生山野研究会

続 桐生地域百山 旧桐生市編

桐生みどり 

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 桐生地域の山でこれまでの記述に漏れていた裏山と丘について追加する。

 飛鞍山、樺シギ、荒倉山(鳴神山稜)
 これらの山は鳴神山稜にある小さな突起で個別に登る道はなく、鳴神山と吾妻山を結ぶ縦走路だけである。鳴神山のすぐ南にあるダルマ岩を過ぎ、縦走路を行く。飛鞍山(九二〇b)と樺シギ(八六五b)は縦走路が頂を巻いているので注意していないと通り過ぎてしまう。荒倉山(八一二b)は道が頂を通っているので見逃すことはないだろう。樺シギを湯山沢の頭、荒倉山を花台(かでい)沢の頭と記しているが、これらの呼称は他の山域に倣って縦走路整備の際に付けられた通称である。明治四三年に編纂された「山田郡川内村郷土誌」には鳴神山稜について「飛鞍山 荒倉山 三峰山 吾妻山ノ諸山ヲ經テ小倉嶺ニ終ル」と記されており、飛鞍山、荒倉山の名が記載されている。

 平石山(川内)
 平石山は平石集落の裏山の総称であり、名久木山稜上部から平石方面に延びる支尾根を指す。支尾根中間の屈曲点にある頂(597b)を山頂とした。
堂場の手前で県道から東に入ってすぐ平石集落に着く。人家の裏山に取り付き、尾根伝いに登ると山頂に着く。山頂で東に方向を転じて尾根を辿ると標高750bの突起で名久木山稜に合流する。下りは名久木山稜を辿って名久木と田中を結ぶ市道に出て出発点に戻ることができる。途中、名久木山稜が西に屈曲する標高490b地点に石祠が祀られており、「仁田山 安永五(1776)申 吉田亦八」と記されている。


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 穴切山(菱)
 穴切山は穴切沢南岸の山の総称であり、三角山から穴切沢・朝日沢間に延びる尾根上の三角点を山頂とした。仙人ヶ岳の登路として穴切沢・朝日沢間の尾根を辿って三角山経由で仙人ヶ岳(朝日沢山)に登ることができる。
 塩之宮神社から朝日沢を渡った先の墓地の脇から杉林の中に小道が通じている。尾根に取り付いて雑木林になると石祠がある。「霊苻神 天保四歳(一八三三)三月吉日 願主當村中」と刻まれている。霊符神は北極星、北斗星を信仰する妙見信仰であり、石祠の向きが真北を向いていることから霊符尊神に相違ない。桐生ではほかに川内の経塚山稜名久木坂付近に北斗七星の図柄が刻まれた霊符尊神が祀られている。
 ここから少し登ると楢の根元に石祠が祀られている。年号等は刻まれていない。穴切山三角点(528b)を越えて行くと明瞭な尾根に突き当たり、右に尾根を忠実に辿る。尾根上は多少岩が露出し変化が出てくる。やがて仙人ヶ岳と赤雪山を結ぶ道に出る。仙人ヶ岳方面に辿ると三角山を越えて朝日沢山に着く。
 塩之宮神社(40分)穴切山(1時間20分)県境稜線(40分)朝日沢山


 高雄山(八王子丘陵)
 高雄山は籾山峠のすぐ東の峰(236b)で桐生側は山頂直下まで採石場になっている。遊歩道は山頂の肩を巻いており、最高点を通らない。太田側(西長岡)の名称で明治初めの郡村誌(西長岡邨)には高尾山と表記されているが、藪塚鉱泉案内の図絵には高雄山と表記されており、京都の高雄山に因むものといわれている。

 鷹巣山(八王子丘陵)
 鷹巣山(200b)は高坪山から太田側に派生する尾根上にあり、菅塩と北金井の境界に位置する。明治初めの郡村誌(菅塩邨)にもその名が記載されている。道は整備されていない。

 愛宕山(広沢)
 愛宕山(136b)は新桐生駅の北西、踏切の北にある丘で現在は山頂が均されて競艇場の寮になっている。愛宕社が祀られていたが、明治末、神社の強制合併で広沢の赤城神社に合祀された。合祀の際に赤城神社は比呂佐和神社と改名され、現在、境内に愛宕社の鳥居扁額と石祠がある。


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