皇海山を歩く その1

 hisiyama

突然ですが、私ともう二十年来一緒に山を歩いてくれてる方と皇海山へ行ってきました。これで五回目の登山でした。幸い天気に恵まれ、日頃の行いが反映されたような山行でした。でも辛かった。声には出さずでしたが途中で帰りたかったでした。十年くらい前に九時ころ起こされて皇海を登って以来でした。あー良かった。充実した一日でした。

沼田市利根町根利から栗原川林道を紅葉をみながら約25kmくらい走ると皇海橋へ着く。 この橋を渡って行くと追貝へ行く。やはり林道も砂利道で約25kmある。根利からも追貝からも林道だけで一時間ちょっとかかる。 地図も持たずガイドも持たずで行ったのは初めて。でも昔はこんな明確な看板は無かった。年を重ねたら横着になったものだ。
以前はこの堰堤から入り対岸へ行き山道となった。山道は身の丈ほどの熊笹のなかを歩き、何度か沢を渡りで登った。現在では熊笹も変わったのか30センチくらいなので非常に歩き良い。 今ではここまで林道歩きで高度がかせげてありがたい。今ではここから山道となる。 以前はこんなに川を渡り返すことは無かった。熊笹を漕いで歩いた。
滝があるとつい写真を撮るが、時間が惜しいので登山道だけの滝を観る。 たまたま山菜とり用の靴で行ったものだから靴下まで濡れてしまいサンザンな沢道歩きだった。 以前はこの沢を歩き、源頭の崖が上れず苦労した。以前SHCの会報にでたO氏の皇海山の集いを見て行ったときは皇海橋から不動沢のコルまでアサギ同人の水色のテープが二枚有っただけだった。
今ではこのような道が出来大変楽になった。道を間違うことも無いし、だれでも行ける山になった。百名山ブームでの登山者の増加だろう。 やっと不動沢のコルへ到着。ホットする。でも、これからの最後の急登が待ってる。アー恐ろしい。 不動沢のコル付近から見る鋸山。この景色何度みても見とれてしまう地点だ。なぜか庚申山は確認できず。この山の西の方に万寿山や水無山の大きな山体が良く見えた。
急登が終わってやや楽になると銅剣が現れる。庚申山の銅剣よりいくらか大きいと思う。この銅剣や皇海山などに関しては山研のA氏が詳しく考証してSHCの会報平成元年から二年ごろの誌で記事になった。参照されればまた行きたくなると思う。
急登直下の展望の良い地点から見た今歩いてきた樹林帯など。皇海へ登るのもこれで5回だが駐車してる車を見たのは初めてだった。これだけ展望が良くなったのは木が枯れて少なくなったせいだろう。 急登直下の木が枯れて広々と感じるところだ。この辺から急登になる。以前はこのような倒木が笹に隠れ足を踏み出して膝が伸びたときに倒木の枝の角に頭を突き上げ怪我をしたが今ではそんな心配は要らない。周りの展望を見ながら登れるなんて。 この銅剣と前の写真の倒木の間辺りに以前は湿地のところにコバイケイソウが盛んに咲いてたが今では時期が遅かったのだろう。咲いてた痕跡も無しだった。
ここが山頂。随分と変わったものだ。以前はこんな石の露出など無かった。それにしても立派な標識が付けられた。ヤッターという気にさせてくれる看板だ。初めて登った者には最高の被写体だろう。 登るときは両手両足を確保しながら登ったところだが、下るとき下を見ると垂直に見えるような所。このまま奈落へ落ちそうだ。次回はロープなど持って行き、身の安全を確保して下りよう。 砥沢小屋 朝8時ごろ4WDの車が居た。ここで泊ったのだろうか、丁度食事のようだった。鹿の声を癒しにしてよく寝られただろう。
砥沢小屋水場 夏山へ登った帰りはこの水が最高の甘露水だし、癒しの所だ。 興味深い地質 見事な地層 時間があってハンマーでもあればと悔やむ。 蒸気機関車正面 森林鉄道使用狭軌
蒸気機関車説明 ボールドウイン機関車 つい最近ここに有る汽車などは綺麗にされ塗装もされたようだ。テレビにて放送有り。 ガソリン機関車の説明
ガソリン機関車 狭軌 森林鉄道ジーゼル機関車と客車 狭軌 森林鉄道客車の内部 なお以上の鉄道遺物の写真は古いので現在とは多少違うと思う。

桐生自宅発 8時20分〜根利経由〜皇海橋10時20分着 発30分〜山頂13時〜山頂発 下山13時20分〜皇海橋15時半。桐生着17時45分

折角だから帰りに根利で近代遺産をみて帰ろう。場所は根利の林野庁の研修場にあるが、口上では場所の説明が面倒なのでどこかの店へ寄って買い物でもして教えて貰おう。山に住んでる人は山を守ってくれてるのだから有り難い。以上を持って今日の山行の終わりとする。

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