桐生の脊梁 中禅寺湖から桐生市街地縦走
 小学生の頃、桐生市街地の上に聳える吾妻山によく登った。あるとき山頂で会った人から中禅寺湖から吾妻山まで峰が連なっており、縦走した話を聞いた。この稜線は走破距離70kmに及ぶ壮大な縦走路である。山を歩くようになってその時のことを思い出し、いつか行きたいと思っていた。同じことを考えていた仲間が現われたので、2区間に分けて実行した。

1中禅寺湖から粕尾峠
 中禅寺湖から粕尾峠まで前日光高原主稜線の縦走は比較的楽な行程であり、道が整備されている。この区間は日光周辺の山を巡る回峰行三峰五禅頂(さんぶごぜんじょう)のうち、華供峰(はなくのみね 春峰)の経路で禅頂行者の道と呼ばれている。
 午前5時35分、中禅寺湖畔の歌ケ浜を出発した。雨が降っており、始めから雨具着用である。茶ノ木平まで標高差300mの登りを45分で着いた。茶ノ木平東端で明知平への道を分ける。籠石では「日光修験護峯先達会」とある碑伝(ひで)が木に打ち付けてあり、日光修験の伝統が継承されていることを示している。
 細尾峠7時5分着。朝食を食べて7時25分発。薬師岳山頂には寛永9(1632)年建立の金剛堂石祠がある。薬師岳肩の掛合宿には宝暦14(1764)年建立の大きな金剛堂石祠がある。傍らには金剛童子と思われる石仏が鎮座している。三ツ目から夕日岳を往復した。夕日岳着9時20分。地蔵岳には天保8(1837)年建立の大きな石祠があり、中に地蔵の石仏が祀られている。ハガタテを経由して大岩のある竜ノ宿に着く。唐梨子山・大岩山を過ぎると金剛童子と記された木柱があり、下に享保20(1735)年と刻まれた石祠がある。行者岳を越え、行者平の先で林道に出た。
 古峯ケ原峠着12時45分。ここにある東屋で昼食にしたが、屋根だけなので中まで雨が吹き込んで来る。峠発13時15分。鳥居を潜って三枚石に向かう。三枚石は花崗岩からなる準平原の頂にあり、三枚の岩が積み重なった形状で金剛山奥の院が祀られている。金剛山とは神仏分離前の古峰神社のことである。明治維新の修験道禁止にもかかわらず、日光修験の伝統は連綿と受け継がれて来た。
 三枚石から方賽山を経て左に横手山への道を分けると車道に出た。雨は徐々に弱くなり、霧雨程度になった。粕尾峠着15時25分。ここから通洞駅までの2時間の車道歩きがこの区間で最も長く感じた。通洞駅着17時25分。終日雨具を着たままだった。実行動時間10時間30分。実歩行距離 推測38km(図上距離31km)  1988年7月17日

2粕尾峠から桐生市街
 足尾・粕尾峠から桐生市街に至る稜線は桐生を貫く脊稜である。登山道が整備されているのは後半の座間峠以南だけで、前半は踏み跡程度しかない藪の稜線である。図上距離は35km程度だが、実歩行距離は45km以上に達するだろう。私達はこれを一日で早駆けすることを試みた。 
 午前5時、明るくなると同時に粕尾峠を出発した。地蔵岳を東から巻き、稜線に延びている作業道に下り立つ。途中から県境稜線に入って氷室山神社・宝生山を経由し、7時40分、十二山神社に到着。根本山は山頂を通らないで東から西へ山腹を巻き、三境山に連なる稜線に出た。根本山〜三境山間は藪が多く、歩行速度が鈍りがちとなった。三境山到着10時。
 三境山〜残馬山間は縦走路で最も藪の多い区間だ。そのうえ三境山まで飛ばし過ぎたこともあって、歩行速度が落ちて来た。残馬山の下りは快調だったが、登りにかかると疲労が目立って来た。座間峠着午後12時45分。峠以南は一応整備されたコースになっているが、疲労は更に増し、歩みはますます遅くなった。歩幅も小さくなるばかりだ。最後の登りを終え、午後3時40分、鳴神山頂に立つ。顧みれば根本山は遥かに遠くなり、紫に霞んでいる。
 ここから吾妻山まで距離は長いが登り下りの少ない良く整備されたコースである。登りが少ないので再び行程が進むようになった。快調に進み、最後の登りを終えると今回の最終目的地吾妻山だ。午後6時20分。
 山頂で丁度、日没となった。ここから西の稜線を下るが、途中で完全に暗くなった。眼下の桐生の市街に明りが灯り、夜景が美しい。真暗な山道を下りきって午後7時、桐生市街に下り立ち、今回の長い縦走に終止符を打った。粕尾峠から桐生市街までの全行動時間は14時間、実働時間は12時間半であった。この行程は相当の強行であり、二日間で実行するのが適当だと思う。 1988年4月24日          

 中禅寺湖から桐生市街地まで続けて縦走する場合は、テント・寝袋持参で通常三日間を要する。一日目を古峰ケ原ヒュッテ泊まりとし、二日目は根本山の十二山神社に幕営し、最終日に市街に到着する行程がいいと思う。
 
3細尾峠・古峰ヶ原峠自転車縦走 
 細尾峠から古峰ヶ原峠まで自転車による縦走に挑戦した。私達は二人とも自転車で山道を走るのは初めての経験だったこともあり、担ぐか転がす区間が多いうえに、下りでの走行は思ったより大変だった。それでも初めてのことに挑むのは楽しいものだ。
 この縦走路は日光を開山した勝道上人が修行し、以後一千年以上にわたって回峰行者(禅頂行者)が辿った由緒ある道である。細尾峠発8時25分。薬師岳までは自転車を転がすか担ぐかの急な登りだ。薬師岳からやっと乗ることができたが、慣れていないので地蔵岳までの区間で走行できたのは半分以下である。禅頂行者により造立された石仏を拝してから、地蔵岳の急な下りは自転車を転がした。途中から電光型の道をハガタテまで必死に制動しながら下る。最初は車輪がロックして転倒しそうになったが、だんだん制動の要領が分かってきた。唐梨子山は自転車を担いで登ったが、足場が悪く滑り易い。この先は小さい登り下りが多く、半分以下しか走行できないが、行者岳から古峰ヶ原峠までは緩い下りが続き、快適な山道の走行を楽しむことができた。峠着13時45分。 
 ここから足尾まで8kmの都沢林道の下りでは自転車走行の醍醐味を満喫し、30分で着いた。足尾市街から出発点の細尾峠までは距離で14km、標高差600mの国道走行だが、最後の地蔵坂の登りに苦しめられ、暗くなり始めた16時50分にやっと峠に帰り着いた。
1992年12月5日

桐生山野研究会 泙川(たにがわ)

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