二渡村 忍山蕪丁を歩く その1

hisiyamaとgokurakuさんの二人で歩く。私は蕪町は何度か訪れていたが、今回は桐生へ帰ってきて桐生の何でも吸収しようと言われる極楽さんと意見が合って行くことになった。

二万五千図の荷場から上流へ道が狭くなるあたりで、左の大山祇神社を過ぎ間もなく右側の川中に岩の島があり、それを弁天島と言い厳島神社が祀られてる。 これは弁天滝。梅田村史には“忍山川ノ注下スルモノニシテ大字二渡村ノ中央ナル字荷場ニ在リ 高十尺巾七尺下流は盤渦ヲナシ夫ヨリ南流ス瀑布ノ傍ニ厳島神ヲ祭ル故ニ弁天ノ瀧ト云フ 風景最モ美ナリ”と山田郡誌は“大字二渡字荷場にあり、同村字上の原より忍山鉱泉に至る途中なり この滝亦忍山川の流路にかかる、高三米潤ニ米 瀑布の傍に厳島神社を祭る、故にこの弁天滝の称あり。”とある梅田の名瀑。滝の上の丸太は古い材木出しで使った橋だが現在は朽ちてしまった。梅田の林業Nさんのお話では近い内に架け替えになるそうだ。橋ができれば蕪丁の探索ももっと詳しくできるだろう。まー充分滝に落ちないように歩こう。

道路から見た蕪丁入り口の滝 今の時期は水が少ないので滝壺は静かだ。
弁天滝はこの澱みの左に落ちてる。
川を渡って岸に上がると庚申塔があり、この左には石仏や庚申もある。蕪丁への最初の一歩の場所。
蕪丁へ最初に取り付く場所あたりから来た方を見る。お茶の木が見え始めたら入っても良い。 小平地をいくつか過ぎて登ったらお宮の跡が在った。ここが山神宮か山王社か不明。明日にでもS29年、最後にこの邑を出られたS氏に聞いてみようと思う。
お宮の屋根が右 中央が本体 左木の下が基台と思われた。

2007年6月4日 hisiyama

その2へ

誰一人いない深い山中に突然現われるたくさんの住居跡。過疎の果てに廃墟となった山が梅田町忍山地区にある。通称蕪丁と呼ばれている一帯である。

(中略)蕪丁に行くには忍山温泉湯本の1キロほど手前の木橋を右に入っていく。この木橋、蕪丁に民家があったときには必ず通らなければならない橋として役立ったのだろうが、今はめったに通る人もいないらしく、青ゴケにおおわれ、もう半ば朽ち果てている。川を越え沢を登っていくと両側の山の斜面が旧角度に迫ってくる。しばらくするとうっそうとした杉林である。
この真直ぐにのびた杉木立の間のあちこちに、正確に積まれた石垣が見えてくる。住居の跡である。梅の木やシュロなどの庭木、畑の跡や道もほぼ完全に残り、杉林の中に不思議な空間をつくり出している。

(中略)ここには家が七軒あったと言う。この山中には、蕪丁に住んでいた人たちの信仰を集めたと思われる山王社の小祠が残されている。中には山王神猿の像が安置されていたが、昭和45年に梅田町四丁目の橋詰めの長泉寺に移されている。
誰もいない山中に、生活の痕跡が生々しく残っている。杉は廃墟になってから植えたものだ。

再発見シリーズ桐生の山(桐生広域新聞社)より(採録 楚巒山楽会代表幹事)

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