二渡村 忍山蕪丁を歩く その3

蕪丁の集落跡へ入山した尾根から小尾根で3つの尾根末端の昔は村の生活の道らしいあとをたどったら古いお墓があり、越塚家のお墓なのだろう。 お地蔵様。入山して2つ目の小尾根末端にあり、村の生活に使われたと思われるかすかな道らしいあとに在った。永いあいだ立ってるのはお疲れで、臥せてられたのだろう。 また村を見守っててくださいとお願いし定位置へ行っていただきました。
大規模な石垣があった。畑かなにかに使ったのだろう。 マムシが逃げてくれて助かった。お墓や廃墟あとの石垣などにはマムシいるのをうっかりしてたが逃げてくれたのでおお助かり。 また大規模な石垣があり、この村で一番大きかったろう。写真左側の平らな石垣が入り口に階段があり平地の奥行きが8尺くらいなのでここがもしかして山王社かもと推定した。
社のあとと思われるところへ入るところには昔は階段があったと思うが今では泥や草に埋まり階段は確認できなかった。これを入ると奥行きが8尺くらいで人家には無理だろうから此処が山王社かと思う。 新しいと思うお墓。30基くらいあったろうか、越塚家が殆どと思われた。 元禄時代の僧の墓だろうか。
墓所の全体をと思って写したが木が多くてわかり難い。 墓所をさらに東へ行くとこのようなコンクリで出来た水槽らしいものがあった。この山から清水がでたか横井戸でもあったのだろうか。 水槽らしき傍にはこのようなコンクリでできた物。何かに使った?何か洗ったのか自分のような若輩者には不明だ。
山王さまの御神体で現在では長泉寺にある。下の病に霊験があると言われ御神体は猿。お祭りの日は特に無く、願いをかけるときには、木で作った男根あげるから直してくださいと言うそうだ。また御神体は戦時中、女性の局部をだしてるのは風紀上よろしくないとの御触れで穴を掘り埋めたそうだが戦後また掘り出され蕪丁が廃村後、S40年頃と思うが里の寺を守ってる。以前はこの神様は御かけをかけていて局部を見るには前掛けを持ち上げて見たものだが今では人間様の女性などは肌を露出するのが平気なので神様も負けずに頑張ってる。山王社は明治維新になり神道が復活してから京都の吉田神道家から使いが来たそうで梅田では二渡神社とこの山中の山王社だそうだ。格式は高かったのだろう。
忍山川の近くの滝

山王社と思われるところへは途中で道の無いところから入らないで忍山川を渡って山道を稜線方へ歩き竹やぶが見える頃に二俣に分かれる道があり左へ入れば行ける。
以上で 押山 蕪町を歩くは終了。無事歩けた。誘ってくれたgokuraku氏に感謝します。今秋は唐松(枯松)集落、赤粉集落跡を歩く予定だ。

2007年6月4日 hisiyama

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