吾妻山に登る

 hisiyama

冬 菱4丁目から見た吾妻山 
仙人ヶ岳から観音山へ連なる尾根から
吾妻橋 堤町と宮本町を結ぶ道路が出来、この橋が架けられた。 天狗岩(鳶岩)への急登 石が露出してしまった。以前は殆ど石など見えず泥付きの急登だった。
今では当たり前になった鳶岩(とんびいわ)
此処は天狗の伝説があるので有名な場所。以前桐生図書館長だった小林氏は=天狗岩(鳶岩)=と表現して桐生市広報の桐生市民ハイクに書かれてる。
なお、江戸末期、水戸の天狗党が桐生へ来て桐生の豪商から軍資金を取り上げるのに境野の殿林に陣を置き、ここからこの天狗岩へ大砲を撃ったと言われるが当時の大砲は三海里以上まで飛ばないので桐生川をはさんで本然寺(ほんねんじ)の対岸の浅間山の崖へ砲を撃ったと言われてる。色々伝説や歴史的にもまだ他にもあるだろう。
天狗岩から登り、緩い下りを下がり、また緩い登りを登った真正面が下の権現と云われ、吾妻山の山開きには店も出たそうで大きな賑わいがあったのだろう。なお此処から上は女人禁制でこの先は男のみで女性は行けなかったでのなく、行かなかったそうだ。昭和20年代までその風習があったと聞く。 下の権現の参道で使った石が現在でもここで三個確認されてる。左右の道の傍らには昔大分撥ねたと聞くから掘れば未だ相当出るだろう。

同じ参道の石 渡良瀬川から運んだと思われる安山岩の石、吾妻山には無い石だ。 以上の三個の石が確認されてる。だれか道の傍らを探して有ったら現在の道へ置いてくれれば最高に歩き良くなるだろう。 ここが山頂への最後の急登 この坂もこの下の男坂と言われる場所も以前は石など露出してなかった。駆け足で降り、木に掴って降りた。なお男坂と言われるところには桐生では綺麗な鏡岩が露出してる。梅田の鏡岩はコケ等で磨きがたりないが此処は登山者が歩いて靴で磨けば大変良いだろう。
山頂 左が吾妻権現で右のベンチ下の平地が鐘撞堂跡、吾妻山の山頂に鐘があったそうだ。何時頃だったろうか忘れたが下の堤の万ヶ入で鐘を鋳造して上へ上げたそうだが、この吾妻山は伊勢崎藩酒井家の鬼門になり、古くから酒井家から崇められていたのでお姫様か奥方の簪の金などが一緒に鋳造され、兎に角良い音だったそうだ。明治30年ころ鐘泥棒が鐘を割って盗んで相当の金属が残ったようだ。残った金属も本然寺の鐘を作るのに使ったそうだが大東亜戦争で供出してしまい今では吾妻山の鐘の残りはさる方が持ってるだけだ。この方は今から25年くらい前に現地で(図書館である本を読み)破片を拾い10年くらい前に同じ場所で吊鐘の頭に近いところの擬宝珠の部分の破片を拾われたそうでほんとうに運の強い方です。なお昔は天狗岩(鳶)や女返しや山頂の平地では雨が大量に降ったあとなどに行けばよく鐚銭(びたせん)が拾えたそうだが今では山頂の平らの部分も殆ど侵食されて石などが露出してるので最近では拾った話は聞かない。尤も自分が殆ど登らないから聞けないのだろう。
図書館で読んだ本によると吾妻山の山頂に神鐘があって、登山者が撞き鳴らしていたが、明治30年頃盗賊が前後二回にわたって破壊して持ち去った=とあり、鐘の重量は百二十貫、キロにすると450キロなので盗まれた残りが八十三貫あったそうだ。でも自分の思うにはとてもこんな重い鐘を万ヶ入から上げるのは不可能だろうから話十倍で十二貫くらいと思う根本でも鳴神でも三峰でも何人かで担げる重さだったと思う。まー夢みたいな話も一興かと思う。
山頂から菱の山

山頂から太田足利方面を見る、桐生中心にある名山吾妻山からの感想でした。

以上は記憶なので間違いも多々あると思いますその際はご容赦を。

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