桐生山野研究会

菱町の山中で平安時代の甕が出土

hisiyama

菱町の山中で、桐生市では超弩級(ドキュウ)クラス(昔の軍艦で言えば)の宝物が発見されました。
皆さん、特に桐生に興味がある方は如何思われますか。なかなかどうなるのやら、公的に発表されないので。

菱町西入りで発見された壷(甕)の写真です。

* * *
以下の写真の壷(甕)が発掘された穴。3月30日、発見者の掘ったままです。発見者はある会社に行かれてるそうですが、この時期は全てと言って良いくらいに一般会社は週休4日とか週休3日など普通で、毎日家に居ても体に良くないと思い、菱の山を歩いていて偶然発見され、その場で発掘し、家に持ち帰る時、偶然自分と遇いました。3月27日に発見者が発掘して、やまを歩いてきて疲れて歩いてる本人に、菱一色・坂下橋の道で会いました。 3月28日、発見者の家にて。このお宅からS談会の理事のA氏にTELで報告し、さらに教委B氏にTEL。B氏は、電話では何とも言えないので図書館へ持参して、とのことなので、本人と自分とでB氏に見てもらう。B氏は?的な部分が多かったが、B氏の一存ではなんとも言えないので、専門のC氏に見てもらうことで、その日C氏に用があるので夕方見てくれることで再度B氏に会う。C氏の鑑定は1450年代物との結果で、自分が本人に散歩中にあったときそれは戦国時代の物と言いましたので、少しは得意だったですが。その後4月3日、C氏を発見者と自分で現地へ案内。5月3日、B氏を現地へ案内。C氏は現地を良く見て、平安時代前期の甕で小泉焼との鑑定でした。本人に、市の方へと言われるが、本人は何れはの返事でした。B氏は現地を見た後、本人のお宅に行き、大きさや寸法などを鑑定されて、本人に市の方へ如何しますかとか、警察への拾得物の届けは、など言いましたが、良い返事はありません。それっきりになりました。これほどの桐生市宝にもなる物は、矢張り桐生市や菱町の文化祭とかなにか市の行事のあるときは展示していただければ、非常に桐生市民の目の保養にもなるし、さらに文化面での全国への広報にもつながると思います。
* * *
大きさの参考に眼鏡ケースを。 疵はこの縁の僅かが欠損してるだけ。このかけらはわからなかったそうです。 密教系の修験者が経文を入れて、この聖地に土中に埋めていったそうです。平安前期は11世紀〜12世紀なのだろうか。あまり古くてピンと年代がわからない。この穴は修験者が水抜きか何かでわざと空けたものだそうです。参考文献は桐生市菱町郷土史考古編(S45年2月)が図書館や古書店などにあり、多少参考になるかと思います。

2009/12/27
発掘地の写真4枚を追加します。

* *
作業道の西側の道を作った法面。ここから100Mも歩くと4M幅の道路となり、この道は県の防災道路と言われてる。防災道路を南へ向かうと遊歩道の東屋から下ってきて、又、西からコンクリの管理道路の合わさる地点の西入側にお寺が有ったところと言われ、地名は寺平(てらでーら)と言う。  
甕の発掘された斜面。発見のあと何度か行きましたが、あの穴の近辺が数箇所掘られてました。誰か行ったものと推察しました。
* *
作業道を登りながら発掘地と周辺を。ここは特に地名は無いようです(古い山仕事師が居なくなったので、今ではわかりません)。この写真の「お堂が在っただろう」は発掘地へ案内したC氏の、現地での周辺を良く調べての言葉でした。
矢印はこの山の陰に在ったと云われるお堂の跡。発掘地の展望の良い所からみた(東方向)堂平(地名:どうでーら)。西入林道で終点から手前200Mくらいの地点に右に分かれる作業道があり、この道は堂平線と云われます。こんな上の方にも昔はお堂があって、坊主が居たと聞きましたが、自分の思うには修行者が居たのでは?

inserted by FC2 system