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菱・御嶽山

桐生みどり 

 菱の御岳山(380㍍)について下野国地誌編材取調書黒川村の項には以下のとおり記載されている。

御嶽山ハ本村ノ東南部ニアリテ其高サ壱百丈頂上ニ御嶽社ノ祠アリ

 足利郡菱村郷土誌もほぼ同様の記述である。御嶽山の名は小俣・米沢方面の呼び名であり、小友側では姥穴山又は障子山と呼んでいる。山頂部が平坦な山容で桐生市街地から富士山の形に見えることから桐生富士の別名もある。御嶽山の名は幕末の文久年間に小俣の大川繁右衛門を中心とする真精講によって木曽の御嶽山が勧請されて以来の名称である。米沢からの参道には御嶽三座神の石像や御嶽講の先達を祀った霊神碑があり、御嶽講や石像に関心のある人にとっては一見の価値がある。
 しかし、残念なことに八海山大頭羅神王と三笠山刀利天宮の石像は破損してしまい、完全な形で残っているのは山頂の御嶽山座王大権現像のみである。また、参道の入口がゴルフ場になり、柵で囲われて簡単に入れなくなってしまった。そのためにこちらから入る人はなく、旧参道は荒れている。昔はお祭りの日にご馳走を持参して登ったが、今では全く登らなくなってしまったと地元の人から聞いた。
 まともな道は白葉峠から尾根伝いの道だけである。山名の由来になった姥穴を経て小友側から登る道は全くなくなってしまった。以前は群大の運動場南側にある墓地の裏から又は堰堤を越えて沢伝いに登ったが、今は下部の篠藪が酷く、小友からの姥穴山(御嶽山)は勧められない。

御嶽山概念図 白葉峠から

 白葉峠の切り通しの端に山道があり、稜線伝いに雑木林を登る。突起を越えると城山への道を分ける。山頂の登りは落ち葉の堆積した急斜面になっており、登高の補助用に固定ロープが張ってある。急斜面を登り詰めると山頂である。衣冠束帯姿の御嶽山座王大権現像と御嶽山の銘の入った石祠がある。石祠には文久二(1862)年四月鎮座、大正十三年十月遷宮と刻まれている。

 白葉峠(40分)山頂(25分)白葉峠

 米沢旧参道から

 ゴルフ場から参道には柵があって入れず、初めに訪れたときは白葉峠から山頂に登ってゴルフ場の柵まで下って元に戻った。柵には鍵があるのであらかじめ通告すれば開けて貰えると思うが、公道ならいつでも出入りできるはずであり、公道を塞いでしまったことには異議がある。柵を乗り越えた先は藪になっており、もはや登山道とは呼べないが、参考までに紹介する。
 米沢の奥からゴルフ場の手前を左に分岐する道を行くと門扉があり、開けてゴルフ場内に入る。場内の分岐を左に登って行くと端に不動尊がある。像容は鮮明で凛々しい不動尊である。隣に龍の頭があり、以前は流水が口から落ちていたことが判る。傍らに五丁と刻まれた丁石があり、ここから頂上まで五丁の道のりであることを示している。この先に鍵のかかった門扉がある。門扉を強引に乗り越え、藪を漕いで尾根上に出ると旧参道になる。
 少し登ると四丁の丁石があり、石像の台座と「一心霊神」の霊神碑がある。次の石像の台座を過ぎると金毘羅神社の石碑がある。石碑には明治四年の記銘があった。幕末の文久年間に御嶽が勧請されてすぐに明治になり、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。修験道は禁止され、国家神道の強制で御嶽講は修験道から神道形式の御嶽神社に転向を余儀なくされた。ここの石像物はそのような時代背景を現している。さらに進むと八海山大頭羅神王(八海山大神)が岩の上にある。石像は頭が欠けて台座の上に寝かされている。二十年前の記録で完全な形だったこの石像は落ちて破損してしまった。貴重な文化財が失われてしまったことは残念である。
 頂上近くなると三笠山刀利天宮が岩の上にある。頭が欠けて台座の上に寝ている。こちらは二十年前にはすでに破損していたと記録にある。傍らにある石碑に「三笠山大神」と刻まれている。廃仏毀釈で権現号を廃し、大神を称したことからこの石碑が立てられたのは明治になってからだ。奉納者の住所が東京であることからも確認できる。道が左に曲がったところに「火産神社」の石碑がある。ここが五千分の一地図に御兵様と記載されている場所らしいが、ほかにそれらしいものは何もない。ここから下った鞍部に「大江女護神」の石碑があり、「武尊大権現」の石碑を見るとまもなく頂上だ。ここの御嶽山座王大権現は烏帽子ではなく、山伏が被る兜巾姿だ。
 御嶽山の石祠には講元大川繁右衛門らの名前が刻まれている。小俣にある大川家の当主は代々、大川繁右衛門を襲名している。日光大真名子山には御嶽三座神の青銅製像があり、真精講と大川繁右衛門の名が刻まれており、どちらも二代目で上州・野州(群馬・栃木)における真精講の中心人物だったらしい。
 同じ道を下るのでは変化がないので城山(小俣城址)を経て周回したことがあるので参考に紹介する。山頂から急斜面を白葉峠方面に下り、道標に従って鞍部付近から東に向かう。登り切った頂には327㍍の表示がある。山仕事の人はここを烏ヶ寝処(からすがねど)と呼んでいるが、烏ヶ寝処は白葉峠方面に向かう小友側山腹の地名でこの山頂に同じ名前を付けたものだ。雑木林の稜線を行き、鞍部から叶花カタクリの里への道を分ける。南側はゴルフ場がすぐ近くまで上がってきている。鞍部から下って柵を超えてゴルフ場に戻ることもできる。鞍部から登り着いた所でゴルフ場入口の北にある宝珠坊橋に下る道が分岐している。
 城山(305㍍)の頂上部は小俣城址になっている。斜面を切り取った堀切の形状など城郭跡の雰囲気を感じるが、確たる構造物は残っていない。山頂が本丸で東端に石祠が1基ある。ここまではしっかりした道が通じているが、ここからゴルフ場に下る道はない。藪を漕いで西の尾根を下る。下り始めは藪がうるさく感じられる。途中から尾根を離れゴルフ場目指して右手に向かい、杉林になると藪がなくなって歩き易くなる。柵を強引に乗り越えてゴルフ場内に入ると登り始めた地点はまもなくだ。ゴルフ場の出口近くに霊場巡拝塔が建っており、「坂東西国秩父四国百八十八 天明七年丁未十一月建」と刻まれている。
 なお、米沢には黒暗沢合戦場跡の標柱と解説板があり、上杉勢が北条方の小俣城を攻めた際、黒暗沢の攻防戦が帰趨を決めたことが書いてある。戦いの最中に突然天候が悪化して真っ暗になり、劣勢だった小俣側は落城を免れたという。

 ゴルフ場(50分)御嶽山(1時間)城山(30分)ゴルフ場

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不動尊と龍の頭 登山口の不動尊
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一心霊神 金比羅神社 八海山大頭羅神王
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三笠山刀利天宮 火産神社 大江女護神
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武尊大権現 御嶽山頂上
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御嶽山座王大権現 御嶽山石祠
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城山への稜線から御嶽山 城山山頂
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城山山頂の石祠 ゴルフ場内の石造物
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板東西国秩父四国百八十八霊場巡拝碑 小友への下りから市街地と吾妻山遠望

 小俣側の道

 小俣側から城山方面に2つの登路がある。道はどちらも明瞭である。ここでは叶花から御嶽山と城山の鞍部に登り、城山から宝珠坊橋に下る経路を紹介する。叶花の石尊山登山口から小俣川を渡ってカタクリの里に向かう。ここから沢伝いに登り詰めると鞍部に出る。標高差百㍍、20分ほどで着く。最後は登高の補助にロープが固定されている。鞍部から城山山頂までは20分ほどの稜線歩きだ。頂上から少し戻った所に宝珠坊橋への道標がある。尾根を下ると途中、岩の下に古い石祠が祀られている。そのまま尾根伝いに下ると宝珠坊橋のすぐ袂に着く。標高差二百㍍、30分ほどの下りだ。

宝珠坊橋分岐
宝珠坊橋から城山登山道の石祠

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