桐生山野研究会

吾妻山

桐生みどり 

 吾妻山は桐生市街の北西に聳える雄峰であり、桐生を代表する山である。地形的には渡良瀬川東岸の足尾山地西南端に位置し、その末端は渡良瀬川に没している。地質は足尾層群(以前は秩父古生層と呼ばれていた)からなり、山頂付近と東面にチャートが分布し、その他の部分は凝灰岩からなる。
 植生的には常緑の照葉樹林帯であるが、元の植生は失われて大半がアカマツ・コナラ林などの二次林とスギの植林地になっている。東面にはミズナラの母種であるモンゴリナラが群生している。モンゴリナラはミズナラより葉が大きく、中国・モンゴル・ロシア極東に多い樹種で、日本が大陸の一部であった時に分布していたものが残存したと考えられている。貴重な植生があることから吾妻山東面緑地環境保全地域に指定されている。
 山名はあずまや(家)の形に似ていることから付けられたものだろう。現在は吾妻山と表記されるが、明治時代の公文書には四阿や吾嬬耶の記載がある。各地にある吾妻山の多くは家形が山名起源である。福島の吾妻山、上信の四阿(吾妻)山、利根郡の吾妻耶山などいずれも家形をしている。あずまやに吾妻の字を当てたことから『日本書紀』中の「景行紀」で日本武尊が東征の帰途、投身した妃弟橘姫の死を悲しみ「あずまはや」と嘆じた伝説が山名・地名の起源とされるが、実際は山の形から名付けられたものだ。上信の四阿(吾妻)山や利根郡の吾妻耶山には同じ伝説があり、桐生の吾妻山の祭神も倭健(日本武尊)と橘姫である。現在山頂には川内側東小倉村の社があるが、明治まで桐生側安楽土村の社もあった。安楽土村の社は山麓の白髭神社境内に遷座されている。東小倉村社の祭神は橘姫、安楽土村社の祭神は日本武尊である。
 吾妻山に関する文書を以下に列挙する。

上野國志(安永三年)
東權現 桐生の西北高山の上にあり、祭日本武尊

上野国郡村誌山田郡安樂土村(明治十一年)
四阿(アツマヤ)山
 高百十壱丈、村ノ西北ニ兀峙ス、ー山ニシテ其脈西北方ニ迤邐シテ小倉峠トナリ、山田郡諸山ニ連亘シ半邊東小倉村ニ属ス、山麓樹木薈蔚、登路東南ヨリス凡十八町、渓水四條、南方ニ発スルモノ三條、北方ニ発スルモノ一條、流レテ用水トナル、南麓ニ観音山アリ、四阿山脈ニシテ奇ー突兀、高三十三丈、登路字堂ノ前ヨリス、凡壱町半、樹木松ヲ生ス
四阿社 四阿山上にあり、祭神日本武尊、祭日四月十五日

上野国郡村誌山田郡東小倉村(明治十一年)
四阿山
 高九十三丈、村ノ東方ニアリ、嶺東ハ安樂土村ニ属シ嶺西ハ本村ニ属ス、山脈又南シテ小倉峠トナリ北シテ山田郡諸山ニ接ス、樹木薈蔚、登路一條、字吾妻沢ヨリ上ル高七町壱間 
吾妻社 村ノ東方ニアリ、祭神橘姫命

山田郡誌(昭和十四年)
吾妻山
 川内村大字東小倉字吾妻澤の東に峙立し、嶺東は桐生市に属す、鳴~山脈中の名山なり、海抜四八一米。山骨は古生層の珪岩より成り、山頂は所謂球状山頂にして頂上に石祠を存す。この石祠は上野國志に「東權現 桐生の西北高山の上にあり、祭日本武尊」とある吾妻神社なり、本社は明治三十年廃社となる。この山は桐生市の附近にては比較的高山なるを以てその名夙に著る、近時学生等の登山するもの年と共に多きを加ふ。登路は四條あり、西方川内村大字東小倉字吾妻澤より登るを本道とす、他は東方桐生市光明寺澤及村松よりするもの及南方小倉峠より尾根傳ふに上るものなり、この中につき東方光明寺澤より登る時は緩傾斜坂と急坂とを二囘重ねて頂上に達すべし、この急坂の所在は斷層崖を示すものならん。

 なお、鳴神山から吾妻山に至る山脈について上野国郡村誌では四阿山脈、山田郡誌では鳴神山脈と記載されている。地元には山脈名の呼称がなく、地誌編纂者が命名したことから違いが出たものと思われる。

吾妻山概念図

 登山道

 桐生市街地のすぐ上に聳える吾妻山は四季を通じて市民に親しまれており、平日でも人影が絶えない。市街地の近くにある山は多いが、吾妻山ほど市民に親しまれている山は稀である。吾妻山には二つの頂があり、頂上とされているのは破風形の横に長い頂(481㍍)である。北峰(484㍍)は地元で堂所(どどころ)山と呼んでいたが、近年は女(おんな)吾妻と呼ばれている。頂上には電波反射板があり、山頂より僅かに高い。
 主な登山道は山田郡誌に記載されているとおり四つある。登山者の大半は市街地に隣接する吾妻公園からの道を往復している。その他に川内側東禅寺からの道、村松沢から村松峠を経由する道、小倉峠付近から稜線伝いに登る道がある。
 ほかに堤町から万ヶ入沢を経由して小倉峠からの道に合流する登路や自然観察の森から鳴神山への縦走路に合流する道がある。ここでは吾妻公園から登って村松峠、川内の東禅寺から登って小倉峠、自然観察の森方面からの道、御嶽神社から万ヶ入沢に下る道を紹介する。

 吾妻公園から吾妻山、村松峠

 宮本町の吾妻公園入口から左折し、光明寺の脇を通ると公園の駐車場である。公園内には遊歩道が幾つもあるが、道標に従って公園を抜けて道路の上を陸橋で渡る。ここから岩が露出した急坂を登り切ると大きな岩の上に出る。昔は天狗岩と呼んでいたというが、いつの間にかトンビ岩になったらしい。岩の上からは眼下に桐生市街と仙人ヶ岳など桐生川対岸の山の展望が良い。ここからいったん傾斜が緩くなるが、再び岩が露出した急坂になる。この坂は登る人が増えて道が削られ、岩の露出が多くなった。直登する道に男坂、巻き道に女坂と書いてあるが、以前はまっ直ぐ登る道しかなく、男坂・女坂の名称は近年の呼称である。小倉峠からの稜線に出れば山頂はすぐだ。山頂には吾妻神社の石宮がある。
 江戸時代には神仏習合の吾妻権現が祀られていたが、明治の廃仏毀釈で神道形式の吾妻神社になった。吾妻権現の祭神は日本武尊だったが、本地仏が何であったかは判らない。その後、東小倉村の吾妻神社は明治40年に村社の赤城神社に合併され、安樂土村の四阿(吾嬬耶)神社は明治42年に村社の白髭神社に合併されて社も遷座してしまった。現在、山頂にあるのは東小倉村の社で川内側を向いている。また、山頂には江戸中期に造られた鐘があったというが、明治三十年以降に盗まれたと記録にある。眼下に桐生市街、北方には根本山を始めとする桐生川源流の山、南方遠くに奥秩父、その後方に富士山を望む。天気の良い日には都心のビル群を望むことができる。
 山頂から稜線伝いに北に下り、登り返すと堂所山だ。堂所の名は二つの頂の鞍部から南に流れる堂所沢から来ているらしい。現在は女吾妻と呼ばれているが、山頂を男吾妻とは呼んでいない。二つの頂を合わせた全体を吾妻山と呼んでいるので女吾妻は相応しい名前ではない。正確に呼べば本峰と北峰ということになるが、些か大袈裟な気がする。ここから下り切った鞍部が村松峠であり、西に下れば川内の釈迦堂に出るが、東に下って吾妻公園に周回するのが便利だ。峠から杉林を下ると村松沢の源流に出る。沢伝いに下り、石祠を右に見るとまもなく車道に出る。村松沢沿いの車道を行けば出発点の吾妻公園に戻れる。

 吾妻公園(20分)橋(40分)山頂(10分)堂所山(15分)村松峠(40分)吾妻公園

 東禅寺から吾妻山、小倉峠

 川内側の登路は現在では裏側といっていいが、山田郡誌では東禅寺から登るのを本道と記載している。ここでは東禅寺から吾妻山に登り、小倉峠に下って川内側に周回する道を紹介する。登山道は東禅寺の墓地東端から付いている。登山口近くの墓地内に桐生市指定重要文化財の角塔があるので見ていこう。この角塔は南北朝時代の建武5(1338)年造立の大変古いものだ。石段を登って鳥居を潜ると社がある。ここから山頂まで急な尾根を登る。桐生市街側はチャートが露出しているが、川内側は関東ローム層に被われており、赤土の露出した道になっている。赤土が抉れた溝の右側に道が付いている。溝は橇道の跡かもしれない。途中、鉱山の試掘跡と見られる小さな洞窟と古い石祠があり、一気に高度を上げ山頂に着く。
 帰途は青葉台方面の指導標に従って尾根通しに下る。424㍍の突起を越えて急な坂を下ると万ヶ入沢・御嶽神社を経て堤町に下る道を左に分ける。さらに尾根伝いに行き、川内方面への踏跡を右に二つ分けると青葉台と小倉峠の分岐に着く。右の川内方面に下ると尾根上に岩場がある。手前を右に下ると岩場の下に小倉山観音院がある。岩場伝いに踏跡を下ってもよい。小倉山観音院は東上州三十三観音霊場の三十三番目になっている。ここから参道を下ると石造物が並んでいる。この中に見事な如意輪観音像がある。これは月待供養塔で「享和二(1802)年歳次壬戌冬十一月吉日」と造立年月が刻まれている。車道を下ると小倉峠のすぐ北側で県道に出る。現在は県道の切り通しを小倉峠と呼んでいるが、小倉峠の旧道は稜線上の鞍部にあった。小倉峠の旧道について参考に掲げる。

上野国郡村誌山田郡安樂土村
 又桐生峠ト云、四阿山脈コヽニ至ッテ尽ク、高三十丈、村ノ西方ニアリ、半邊東小倉村ニ属ス、登路字坊谷戸ヨリス、凡五町三十間、山中樹木ヲセ生ス、溪水ナシ

山田郡誌
 又桐生峠とも云ひ、鳴神山脈の末端に在り。昔は桐生仁田山八郷間の主要交通なりしが、明治十七年渡良瀬川岸に懸崖を掘鑿して新道を開くに及びて廢道となれり、この峠の頂上に桐生の詩人佐鋳W齋曾て十山亭を建て景勝の地たるを示したり。

 東禅寺(40分)山頂(40分)小倉観音院(15分)県道

 崇禅寺から自然観察の森上部を経て吾妻山

 自然観察の森から吾妻山まで首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)が整備されている。自然観察の森から稜線までは階段の続く単調な道なので崇禅寺から稜線伝いに北斗七星を刻んだ妙見信仰の石塔を経由する道を紹介する。
 崇禅寺の参道を登り、本堂の西側から遊歩道を登る。遊歩道にはところどころ格言の碑が建てられている。登り切った山頂(342㍍)には小倉山と記載されているが、山麓の地名を採って花柄山とも呼ばれている。ここから稜線伝いに明瞭な道を行くとまもなく電波塔の立つ山頂(361㍍)に着く。「やまの町 桐生」では名久木側山麓の地名を採って笹久保山の仮称を用いている。電波塔を囲っている柵の中に古い石祠があり、施主及び山主と延享二丑年(1745)卯月吉日の造立年月が刻まれている。
 すぐ先にある360㍍の四等三角点を過ぎると妙見信仰の石塔がある。北斗七星の図柄の下に北斗七星を覗けるように北に向けて孔が開いており、全国的にも珍しい石造物である。正面には「霊符尊神」、側面に「天保四(1833)□在 癸巳六月吉日 當邨中」と刻まれている。ここから少し下ると峠になり、名久木坂と書かれた札が付いている。左が名久木、右を行くと自然観察の森に下る。まっすぐ尾根伝いに行くと自然観察の森から登ってくる遊歩道に合流する。ここから立派に整備された首都圏自然歩道になるが、過剰に整備された木の階段が煩わしく、かえって歩き難い。萱野山直下で鳴神山と吾妻山を結ぶ縦走路に合流する。この先で旧きのこ会館からの道に合流して村松峠に下る。村松峠と堂所山の間は稜線を境に東(市街地)側は檜の植林帯、西(川内)側は雑木林になっている。堂所山の頂上は檜林で展望がない。
 吾妻山頂から赤土の露出した尾根をまっすぐ下る。東禅寺の登山口まで標高差260㍍で30分とかからない。出発点の崇禅寺まで車を回収する場合はいったん車道を南に迂回し西小倉の道を辿る。途中に桐生市指定重要文化財になっている小倉の石幢がある。大永三(1523)年の造立で側面に七つの地蔵の彫刻がある。石幢は六地蔵信仰と結び付いた供養塔である。

 崇禅寺山門(30分)小倉(花柄)山(20分)電波塔の建つ山頂(5分)霊符尊神(20分)首都圏自然歩道合流点(1時間30分)吾妻山(25分)東禅寺(30分)崇禅寺

 宮本町御嶽神社から吾妻山、岩の入御嶽神社

 宮本町の御嶽神社周辺は御嶽信仰の石像が多くあり、山岳信仰や御嶽講に興味を持つ人には一見の価値がある。ここでは宮本町の御嶽神社から山頂に登り、万ヶ入沢に下って岩の入御嶽神社に下る道を紹介する。
 宮本町の御嶽橋から御嶽神社の参道を登る。参道の端には御嶽講の石造物が並んでいる。この中でも二童子を従えた不動尊と御嶽三座神の姿が目立つ。御嶽三座神の後ろには真っ赤な火炎を背にした愛染明王が鎮座しており、「安政四(1857)年十一月吉日 紺屋職人中」と刻まれている。愛染明王を染物に関係ある仏と考えて地元の染色業界が奉納したのだろう。神社から山頂までは道がなく、奉納された霊神碑や石造物を見ながら急斜面を這い登る。
 この山は御嶽山ではなく、観音山という。上野国郡村誌(山田郡安樂土村)にも記載されており、記述のとおり奇岩が突兀としている。山頂(200㍍)には二つの石宮が並んでおり、「桐心霊神」、「白山妙理大権現 千手観世音 土地護伽藍神」と刻まれている。桐心霊神は桐生出身御嶽講先達の霊神碑だろうか。観音山の名は千手観音に由来しているのかもしれない。ここからは道が付いており、反対側に少し下ると吾妻公園から登って来る道に合流する。
 吾妻山の山頂から尾根通しに下り、424㍍の突起を越えて急な坂を下ると万ヶ入沢の分岐に着く。御嶽神社・丸山下の道標があり、分岐のすぐ下に二つ石祠が並んでいる。元禄二(1689)年七月吉日と記載されており、江戸時代前期の古いものである。尾根を下った鞍部から道は右の沢に下って行く。下り切ると集落跡があり、平らな場所に石造物が1箇所に集められている。その中に聖観音像があり、「御月待供養 享保」と刻まれている。これは江戸中期の月待供養塔である。ここから万ヶ入沢沿いに荒れた車道を下ると御嶽神社がある。入口に大きな天狗像、奥に大きな観音像などがある。これらは最近造られたもので、入口に御嶽山白龍神社と記載されている。滝の脇に御嶽三座神の古い文字塔があり、岩の入御嶽神社と書かれている。岩の入は字名である。ここから堤町を経て上毛電鉄の丸山下駅方面に向かう。車の場合は堤町から車道を雷電山(水道山)に登り返し、遊歩道で吾妻公園に戻る。

 吾妻公園(10分)御嶽山神社(10分)観音山(1時間)吾妻山(40分)岩の入御嶽神社(40分)雷電山(15分)吾妻公園

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桐生大橋右岸側から吾妻山
中通大橋から吾妻山
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トンビ岩(天狗岩)
トンビ岩から桐生市街地
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吾妻山頂の石祠
白髭神社に合祀された
四阿(吾嬬耶)神社の祠
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川内側から吾妻山 東禅寺の角塔
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東禅寺登山口の鳥居と社
小倉山観音院
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如意輪観音像月待塔(小倉山観音院)
電波塔の脇にある石祠
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北斗七星を祀った霊符尊神石塔 御嶽神社参道
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二童子を従えた不動尊
御嶽三座神
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愛染明王
山頂付近の岩場に祀られている不動尊
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観音山の祠
万ヶ入沢下り口の石祠
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万ヶ入沢の聖観音像月待供養塔
岩の入御嶽神社の御嶽三座神文字塔

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