桐生山野研究会

氷室山

桐生みどり 

 氷室山について安蘇郡誌(明治四二年)には以下のとおり記載されている。(一部略字体に訂正)

 氷室村大字秋山に在り、海面より直立四千七百尺、大山祇命を祀る、弘化四(1847)年十二月十七日正一位宣旨あり、遠近崇敬の社として、参拝者殊に多し、神體は赤色の天狗、故に赤色兵衛といふ、又秋山黄いら原と永野村百川境に、尾出山あり、黄色兵衛と称す、上州澤入り黒ざかしの塞蟲山神は、青平なり、作原白岩山に白平あり、上州桐生の奥山地と、飛駒根本山の黒平とを合して、五つの山神、五色兵衛とも又五色天狗ともいふ

* 氷室山は火防の神として尊崇されており、葛生の氷室山神社里宮から参拝路が通じていた。氷室山神社には赤部天狗の伝説がある。それによると江戸の大火の際、下野国の江戸屋敷の火消しに大活躍した大男が安蘇の赤部と名乗って立ち去った。それが氷室山の赤部天狗ということが判り、朝廷に上申して氷室山神社に正一位の称号を贈られたという話である。この話は井伊家江戸屋敷を大火から救い、下野の黒弊と名乗って立ち去ったという根本山の黒弊天狗伝説と全く同じである。隣接する山に同じ天狗の伝説があり、赤部(赤兵衛)と黒弊(黒兵衛)と称しているのが興味深い。また、周辺には安蘇郡誌にあるように黄色兵衛、白兵衛、青兵衛の天狗を祀った山神があることから江戸時代末頃に四神思想と天狗を結び付けた信仰がこの地域で流行ったことも考えられる。残馬山にも白弊(白兵衛)宮が祀られている。

 「氷室」とは冬の氷を貯蔵しておくための室又は山陰の穴を指し、氷室があったことから氷室山と名付けられた例があり、榛名山にも氷室を語源とする氷室山がある。この氷室山では氷室の存在は寡聞にして知らない。異なる語義のヒムロの発音に氷室を宛てただけかもしれない。
 なお、氷室山とは氷室山神社のことであり、氷室山という頂はない。以前の地形図では宝生山(1154㍍)に氷室山と記載されていたが、現在は訂正されている。神社の裏山を山頂としている人がいるが、氷室山の山頂は存在しない。南にある十二山も同じで十二山神社を指しており、十二山という頂もない。

 登路

 葛生の氷室山神社里宮からの参拝路は荒れていて通る人は殆どいない。現在、登山者の大半は前日光広域基幹林道の大荷場(にんば)峠と十二山から稜線伝いに登っている。大荷場峠は葛生・粟野境界の稜線を林道が乗り越す地点で標高約950㍍、氷室山まで標高差150㍍に過ぎない。稜線に最も近い道なので山歩きには物足りないが、鉄砲撃ちや自転車の人がよく利用している。
 氷室山に最も近いのは黒坂石から林道作原沢入線を経由する道であるが、黒坂石側は裏道であり、「黒坂石川から氷室山」の項を参照のこと。三滝から大戸川沿いに登る道は美しい雑木林で氷室山に登る道の中では最も趣がある。ここには沢入と作原を結ぶ林道作原沢入線が建設中であり、工事は主稜線近くまで迫っている。計画では大戸川源流を通ることになっており、自然破壊が懸念される。政策転換による公共事業の見直しで中止になればいいのだが・・

 十二沢から氷室山

 桐生側から氷室山を目指すには、十二沢林道から十二山の北に出るか、根本山の中尾根から十二山を経由する。まず、不死熊橋から十二沢に沿って林道を行く道を紹介する。林道が十二沢を離れる標高九百㍍付近から沢に沿って歩道が付けられており、この道は通称十二沢登山道と呼ばれている。最初は杉林の中を行き、檜林に変わって沢伝いに行くと水が消失し、カラマツ林の斜面を登り詰めると稜線に出る。十二山の東方、氷室山と熊鷹山分岐のすぐ南である。巻道を左に行くと氷室山方面と根本山方面の分岐に着く。この分岐から十㍍ほどの山側に石祠があり、文化十二(1815)□九月と刻まれている。
 ここから氷室山に向かう稜線伝いの道は峠道の雰囲気がある。黒坂石の中ノ沢に下る道の分岐を過ぎ、しばらく行くと九丁と刻まれた石柱がある。氷室山神社まで根本山と同じように丁石があったらしい。宝生山を西から巻くと道祖神の文字塔がある。倒れて字も判読できなくなってきたが、道祖神があることからこの道が野上・秋山から足尾方面への街道(秋山道)だったことが判る。この先で西に黒坂石、東に三滝の道を分岐する。氷室山神社はすぐ先である。神社にある石祠は比較的新しく、「大正六年十月立 氷野沢金子常吉 葛生町石工塩田敏勝刻」と銘文がある。
 なお、九丁と刻まれた石柱付近から稜線伝いに西に登り、頂から建設中の林道作原沢入線に向かって北西に派生する尾根を下ると巨岩の上に祀られた石祠がある。1066㍍標高点手前の標高千百㍍付近である。石祠には不鮮明ながら「野上小戸村」と刻まれており、野上側で祀ったものらしい。

 不死熊橋(1時間)登山道入口(40分)稜線(40分)宝生山(10分)氷室山神社

 中尾根経由氷室山

 中尾根の道は起点の不死熊橋から山頂まで標高差六百㍍の登りである。十二沢林道を行き、すぐ左に分岐する根本沢林道に入る。登山道入口まで15分ほどである。檜の植林の中を電光形に登り、植林帯から雑木林の尾根道になると石祠に着く。この石祠は田沼町誌に根本山神社一の宮として記載されている。十二山神社の祠と同じ明和八(1771)年の造立で、中尾根が上州側から十二山根本山神社を目指す参詣路だったらしい。
 尾根の右(東)側を小さく巻き、植林帯を抜けて再びミズナラの雑木林になるとまもなく中尾根十字路に着く。ここから稜線のすぐ下を巻き、山頂から稜線伝いに来る道と合流するとすぐ十二山根本山神社に着く。神社から少し行くと氷室山方面と熊鷹山方面の分岐だ。

 不死熊橋(40分)石祠(50分)中尾根十字路(20分)十二山根本山神社(10分)熊鷹山分岐(50分)氷室山神社

 三滝から氷室山

 三滝から大戸川伝いの道には美しい雑木林がある。大戸川林道の終点は白ハゲ口広場と呼ばれ、古い屋根付の休憩所と便所が整備されている。ここから三滝の遊歩道に入る。左から来る白ハゲ沢を渡って沢伝いの遊歩道を行くと落差十㍍ほどのタイコオロシの滝がある。タイコを叩くような瀑音がするのでタイコオロシと名付けられたという説があるが、特に変わった音は聞こえない。ダイコオロシとの説もあり、語源は分からない。三滝は三段の滝で落差45㍍といわれているが、沢伝いには下段の滝までしか行けない。下段の落差は十㍍ほどである。戻って遊歩道で右岸(左側)を大きく巻くと展望台に出る。ここからは三滝の全貌が見えるが、2段目は樹林に隠されてよく見えない。水量は少ないが、付近で最大の落差を誇る名勝である。
 ここから少し登ると山回りの遊歩道と合わさり、西側の斜面をトラバースすると十二山に登る井戸尾根の分岐である。道はそのまま右岸斜面に付いている。左から井戸沢を合わせると道は沢伝いになる。大戸川は沢の美しさでは熊鷹山に源を発する小戸川に及ばないが、雑木林の美しさが魅力である。二俣で左に岩ゴケ沢を分岐し、沢伝いに登ると水が尽き、旗川源流の標識がある。この川は支流を分岐するともに旗川、野上川、大戸川と名を変えるが、この沢(越路館沢)が本流で旗川源流になる。ここから道標に従い右の斜面に付けられた道を斜めに登ると平坦地に出る。ここは越路(コージ)館と呼ばれており、峠道の館跡らしい。越路をコージと発音するのはほかに梅田と飛駒を結ぶ老越路(おいのこうじ)がある。ここで氷室山神社里宮から登ってくる旧道に合わさる。尾根伝いに登ると氷室山参道の灯篭がある。「文正□七甲申年九月七日 明治三十八年十月七日再建 再建者 大字作原横塚茂□ 大字秋山小平徳三郎」と刻まれている。文正という年号は室町時代にあるが、元年と二年だけで七年はなく、文正は文政の略だと思う。文政七(1824)年ならば干支は甲申で銘文と合致する。灯篭を過ぎると氷室山神社のすぐ南に出る。
 なお、岩ゴケ沢を分ける二俣の上流から尾根伝いに宝生山に登る道もある。二俣から右の本流伝いに行き、左から小沢が合流する地点から尾根に取り付く。取付点には目印が付いているので見逃さないようにしたい。尾根上に出ると道ははっきりしてくる。上部は岩が露出し、松が点在している。登り切ると宝生山の山頂に出る。

 白ハゲ口(20分)タイコオロシの滝(20分)井戸尾根分岐(1時間)旗川源流(20分)氷室山神社
 二俣(40分)宝生山

 井戸尾根から十二山

 三滝遊歩道の上流から井戸尾根を十二山に登る道は近年明瞭になり、桐生川上流と大戸川上流を結ぶ登下降路として利用できる。桐生から作原へは2つの峠を越えての大迂回となるので私は梅田側から十二沢を登って井戸尾根を下り大戸川に出ることが多い。
 三滝を沢伝いの道で越えると山回りの道と合流する。ここから氷室山方面の道標に従い斜面を横断すると井戸尾根の取付点になる。道標に従い左の尾根に取り付く。尾根は下生えが少なく、道ははっきりしていて登山道と言っても遜色ない。電光形に付けられた急な道を登るとやがて傾斜が緩くなり、熊鷹山と十二山を結ぶ稜線に出る。ここから右(北)に2分ほど行くと十二沢林道の分岐に着く。

 上り 井戸尾根取付(50分)稜線 下り 井戸尾根下降点(40分)尾根取付 

 白岩山神社

 安蘇郡誌に白平天狗と記載されている白岩山神社は天然檜に囲まれた岩峰で厳かな雰囲気がある。大戸川支流の白ハゲ沢から白岩山神社を経て茶立尾根を熊鷹山・十二山間の稜線に至る登路を紹介する。現在は訪れる人も殆どなく、茶立尾根に出るまで道のない急斜面が続き、針路選定が難しいうえに岩峰の登下降に多少の危険が伴う。
 白ハゲ口広場から三滝遊歩道を離れて白ハゲ沢沿いの道を辿る。この道は熊鷹山の登山道の一つになっているが、整備されておらず踏跡程度である。右に三滝展望台への道を分け、左岸の急斜面を横断する。ここは高度感があり、落ち葉が堆積している時は滑り易いので注意が必要だ。まもなく道は沢に下りて左岸沿いに続く。
 やがて、左岸(右手)から曲沢が合流する。その先で右手の斜面に取り付くが、道は全くない。木を手掛りに急斜面を登ると岩混じりの斜面となり、やがて岩場が現れる。古い鎖が懸かっているが、心もとない。片手で半分体重をかけ、一方の手で岩を掴んで登る。この鎖場は垂直に近いので鎖にすがりたくなるが、鎖が古いので全面的に体重をかけるのは危険である。支点はまだしっかりしているので、補助的に使用する程度なら使用に耐える。
 岩の頂に白岩山神社(白岩山神)が祀られている。ここだけ突き出た大岩で周囲は天然の檜に囲まれており、神が降臨した磐座に相応しい神域の雰囲気がある。祠の上に木の上屋が覆い、大きな鰐口が掛かっている。過去の記録を見ると石祠が天保三(1832)年、鰐口が文久三(1863)年、鎖が安政2(1855)年の奉納だという。
 神社の下りも急斜面であるが、木を手掛りに足場を選び何とか下れる。さらに木を手掛かりに雑木林の急斜面を登り切ると茶立尾根に出る。明瞭になった踏跡を行くと突起の上に石祠が祀られている。そのまま尾根上の踏跡を辿ると5分ほどで熊鷹山と十二山を結ぶ稜線に出る。

 白ハゲ口(30分)曲沢出合(30分)白岩山神社(30分)稜線(15分)十二沢下降点

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氷室分岐の石祠(文化十二年造立) 九丁の道標
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氷室山神社 氷室山黒坂石側枝尾根上の石祠
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タイコオロシの滝 三滝下段十㍍ 三滝
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大戸川源流の雑木林 氷室神社参道の常夜灯
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大戸川源流から宝生山への岩尾根 冬の宝生山山頂
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井戸尾根 白岩山神社(白岩山神)
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茶立尾根の石祠  建設中の林道作原沢入線 (作原側 )

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