榛東村で“ろうばいの里”として整備し、観光スポットとして売り出し中です。200本のろうばいが植えられているそうです。
参道入口の鳥居には、山神十二社、正徳3年(1713)と刻まれています。大山祇神社の由緒書きによると“この社は笹熊地区の氏神として笹熊の民の平和と幸を願い見守り続けて幾歳月、笹熊地区北西の高台、前橋、高崎方面を一望する非常に眺望の良い丘陵地に奉祀されている。参道の老松老杉が春夏秋冬、榛東村の玄関口にふさわしい景勝地として四季折々の風情を添えている。”とあります。眺望の良い丘陵地には特に名前がないようなので十二山あるいは笹熊山と呼ぼうと思うのですがいかがでしょうか。

実はこの山というか丘は、私が山から遠ざかっていた10年間に登った唯一の山(丘)なので、是非名前をつけていただきたい。せっかく山頂に三角点もあることだし。点名は新井です。2003年の夏に、楚巒山楽会の会長と何となく高峰山に登ったのが、山歩きを再開するきっかけだったのですが、その前にも山(丘)に登っていたよといいたいので、命名をよろしく。(どなたにいっているんでしょう。)

毎年、春か夏に軽井沢に楚巒山楽会の名誉顧問のご機嫌ご奉伺のため会員が集まっていました。名誉顧問は軽井沢で木工房ばおばぶを営まれています。私達は、昼からお酒を飲んで、ただただ飲んで、温泉に浸かって解散という、実になんというか、素敵滅法な集まりで、私も楚巒山楽会3代目会長も、どっぷりと浸っていて、毎年、毎年、その頃になると、参加者を募ってただ、ただ、集まって、ただただ飲んでいました。たまには、中国地方に居を移された、初代会長のご来臨もあり、後輩である私達は、先輩方の武勇伝を拝聴していました。中でも名誉顧問のJR中央線K円寺駅での目覚ましいお働きは、楚巒山楽会の伝説となった逸話で毎年繰り替えし語られ、毎年称賛を浴びていました。そのうちに現会長と代表幹事である私は、オジさんたちはもう山登りはできない。でも我々は、オジさんたちよりも、ず〜っと、ず〜っと若い我々は、まだ登れるんじゃないか、このままオジさんたちと一緒に朽ちていかなくてもいいんじゃないかと。よし明日早起きして取り敢えず高峰山に登ってみよう。というわけで翌年は離山、その翌年は籠ノ登山登頂と、山の会らしい集いになりました。

え〜、十二山あるいは笹熊山ですが、ろうばいの頃は、いいよということで、(写真がなくて恐縮ですが、榛東村のHPにはありますので、そちらをご覧ください)紹介にかえさせていただきます。

楚巒山楽会メンバー紹介
左の写真 横尾から徳沢あたりか
左 代表幹事 中 現会長 右 初代会長

右の写真 大樺沢あたりか
左 代表幹事 女性会員二人 中 現会長 
女性会員 右 名誉顧問

ン十年も前の写真です。昔は皆さんお若い。
初代会長、名誉顧問 山にいきましょ。


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