経塚山からの尾根が里に向かって下る途中で二つに分れ、最後に二つのピークをもたげます。一つは四等三角点のある和田山(地元では灰汁(あく)山とも)、もう一つは山麓に園田(智明)上人のお墓のある園田山です。お椀形の優しい山容で、頂上の群馬テレビの電波塔がアクセントになっています。

山名のもとになった園田上人に関しては、経塚山の項で若干書いていますが、京の都から川内仁田山に戻るまでの道中で、薮塚の牛の塔、相生町の如来堂に足跡を残しています。法然上人から授かった阿弥陀如来像を牛の背に載せて、薮塚まできたところ、重い荷に耐えかねた牛が死んでしまいました。牛の供養のためにその地に宝筺印塔を建てました。不幸は続くもので、渡良瀬川が増水して対岸の仁田山に渡ることができません。やむなく如来像を安置する堂を建てた場所が如来堂になりました。13世紀のはじめのことです。阿弥陀如来像は園田家の菩提寺である崇禅寺の本尊となっています。

赤城神社から小倉遊歩道を進み、経塚山への登り口を見送って、道標に従って遊歩道を外れ、智明上人の墓を目指します。この参道は園田成家(智明上人)直系の子孫の方々が作る智明上人奉讃会が整備したものです。上人の墓のある園田家の墓地の手前、左手にある真直ぐ登る道が園田山への山道です。電波中継塔のために篠薮の中に開かれた道はなだらかな尾根上を一直線に頂上まで続いています。頂上からは様子の良い経塚山を右に見上げながら尾根を進みます。歩く人が結構いるようで、道はしっかりと踏まれています。空き缶や空き瓶が散見され、桐生の山を歩く人のマナーが偲ばれます。登るともなく進んでいくと、赤城神社から登ってくる主尾根に出会います。主尾根から園田山に向かうときには立木の赤ペンキが目印になります。

ここからはバリエーションルートとして県道駒形大間々線への道を紹介します。
園田山からの尾根とのジャンクションから少し赤城神社方面に下ると、右手に明瞭な山道が現れます。立木に布テープが巻かれているので、注意していれば発見できると思います。谷間に刻まれた道は緩く左にカーブしていきます。下っていくと県道が見えます。県道が近くなってくる辺でも山道は山裾にそって進んでいるようですが、密薮と倒木の中に消えていきます。低い石垣を下り、放棄された植樹地を潜ると県道です。

※園田山の山名に関しては園田成家のご子孫の方々にお話を伺いました。

2007/4/8 園田山に山名標設置。
 縦走路を整備され、立派な道標を設置されている方々には及ぶべくもありませんが、この山域の素晴らしさを知って頂きたいと念じつつ。縦走路には下の写真のような結構な物件もあります。

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