高山彦九郎には寛政の三奇人の一人としての認識しかもっていませんでした。どんなことをやった人か具体的に知ったのは、みなもと太郎さんのコミック「風雲児たち」でした。
風雲児たちは幕末の志士の話を書くのに関ヶ原から始めるという、関ヶ原の敗戦が明治維新の底流になるという、お話の筋からいえば全くその通りなのですが、200年以上前のエピソードが、維新の原動力になったという書き起こしで、1982年に単行本第1巻が発行され、その後紆余曲折を経て(一時は完結することはないと思っていました)1999年に最終巻の第30巻(ここまで導入部)、現在やっと本題の幕末編に至っています。
高山彦九郎は風雲児たちの初期の頃から中程までに登場し、熱血漢です。滂沱の涙を流します。三奇人の一人林子平との絡みや地元の百姓一揆の話などが活写されています。その中で二子山という山の名前が出てきていましたが、はて二子山なんて山があったかしら。赤堀辺りの古墳かなぁ。
高山彦九郎は桐生にも足跡を残していて、その話はげきさかのぼるさんが「電撃!激坂調査隊が行く」で“高山彦九郎『忍山湯旅の記』の跡をたどる 往路編その2 松原の渡し〜忍山温泉”などで詳細な記事を書かれています。

高山神社は明治12年、郷土の産んだ勤王の志士を祀るために天神山の中腹に造営され、昭和7年に山頂に遷されました。
天神山ですから、もともとは天神様が祀られていたのでしょう。高山神社も学業成就の霊験があるそうで、天神様から引き継いだのかしら。風雲児たちでのキャラはあまり賢そうではありませんでしたが。

さて、われわれ山歩きをする身にとって、大事なのは天神山です。けして高山神社に行くとか、行ってきたとかはいいません。近くにある八幡山と同様です。八幡山の古墳も後から作られました。ここも山の方が先です。天神山は高山公園として整備されていて、ご近所の方の散歩コースになっています。受楽寺で金山ハイキングコースと連絡していますので、駐車はハイキングコースの駐車場がよいかも。
高山神社に先にお参りしてしまうと、天神山の山頂へは囲いを跨がなければいけません。本殿右手の踏み跡を進み、山頂であると納得できたら下ってゆくと道標があり、舗装道に出ると左手に受楽寺が見えます。山門の左側に金山ハイキングコースがありますが、尾根にある踏み跡を進みます。ハイキングコ−スを左手下に見てゆくとすぐに群馬テレビの塔のあるピーク金網にそって進んでゆくとちょっとした崖の上に出ます。

金山から南、ほとんど太田の市街地で、山を二つ見つけてしまいました。天神山は金山丘陵の一部ですね。金山丘陵以外にも太田市内には山と名前のつくものがありますが、古墳と呼ばれていても上記の八幡山のように山がもとからあって、古代の方がそこに勝手にお墓を作ってしまったものは当然山です。古墳ではありません。古代の人が盛り土をして古墳を作り、◯◯山古墳といわれているものを山に交ぜてよいものかどうか。

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