日本地質学会員の藤井光男さんの原稿を掲載できることになった。右は桐生山野研究会の「回峯」誌3号に掲載されたものを許可を得て採録した。
新しいものも順次掲載していきたい。

楚巒山楽会代表幹事

●地質の話 目次●

 ○郷土の生いたち 序
 ○吾妻山はなぜ高い
 ○古代の菱は鉄の里
 ○桐生地域の地質 1
 ○桐生地域の地質 2
 ○伝承地名から古代砂鉄供給地
     と砂鉄選鉱地跡を発見
 ○地学観察ハイキングの報告
 ○地質の会ニュースNo.18
 ○地質の会ニュースNo.19
 ○関東大震災と桐生の地震
   ―そのとき市民は―
 ○根本山丁石写真展

郷土の大地の生いたち 〜足尾山地の地質について〜
 
 私たちの郷土は、足尾山地のほぼ西部にあたり、また関東平野の北西端にもなっています。この私たちの郷土を形成している基盤の地質は、古い方では今からおよそ3億年前のもの、新しい方では今から数万年前に作られたばかりの地質です。私たちの郷土の地質は、長い歴史を経て、しかもそれぞれの過去を含み、現在の山があり平地や川があるのです。何気なく眺めてしまう路傍の崖や石ころにも、たくさんの歴史が凝縮されていて、必ず故あってそこに存在しているのです。
 さて、この地球上で、海に対するものは山であって、海と山とは相容れないもの、と思いがちです。特に私たち桐生のような海なし県に住んでいると、郷土と海とは関係ないと思いがちです。しかし、逆に山に行くと海を見ることができるのです。
たとえば、桐生川上流の凝灰岩の近くの石灰岩の崖から、サンゴやフズリナや海ユリやサメの歯などの化石を採集することができます。これらの化石生物は古生代の海だけに住んでいたものです。そこで、これらの崖を前にして、往時の様相を目に浮かべることができるわけです。 ―暖かい澄んだ海水の中、赤や緑のサンゴ礁の間には海ユリがゆらゆらと揺れ、底にはフズリナが砂をまき散らしたように散らばり、その上をサメがゆうゆうと泳いで行く。空を飛ぶ鳥の姿はまだなく、遠浅の静かな海面には白い雲が映り、遠くでは海底火山が真っ黒い煙をはいて、その近くに火山灰をつもらせている。― これが崖を通してみた2億5千万年前の桐生川上流地域の当時の海の姿です。
 このように、むしろ海に行っては見ることのできない海を、桐生の山の中・足尾山地ではっきりと見ることができるのです。ちょうど絵を描く作業のように、崖を前にして、発見した一つ一つの化石や地層の事実から、次々と海の景色を脳裏のキャンパスに描き加えていくことができるのです。
 一方、崖を前にもう一つ別のものを見ることができます。地層の重なり方から時間が読みとれるのです。たとえば、砂や泥が海底に堆積したとき、下の地層は上の地層よりも古いわけです。地層が削られたり、隆起したり、褶曲するのにも長い時間がかかります。断層ののび方からも、地層の新旧や重なり方がわかります。このように、地層の中には時間が閉じ込められているのです。また生物は、進化して時とともにその姿を変えるので、地層中の化石からは、より明瞭に時間が読みとれるのです。
 時間がなんであるかは、古来、哲学の根本課題だそうです。たしかに、時間そのものは誰にも見ることができません。しかし、地層や化石の事実から、時間は物質の変化・運動を表わすものであり、空間の広がりとしてその姿を現わすもの、と思えます。アインシュタインの相対性理論を担ぎだすまでもなく、元来時間と空間は融合しているのです。
 そもそも、この世に存在するのは物質だけであって、物質運動の表現として、時間と空間を人間が発明したにすぎないのです。地層を見て時間が読みとれるのも、腕時計を見て時間を知るのも、この意味から同じことなのではないでしょうか。ともに物質が空間的に時間を現わしているだけなのです。ただそれを見て、理論的に知るか、視覚的に知るかの違いではないでしょうか。
さてそれでは、私たちの郷土の大地の生いたちをこれから何回かに分けて見ていくことにいたしましょう。
石炭紀の桐生
 郷土の生いたちはおよそ3億年前までさかのぼることができます。梅田町と川内町の境にある鳴神山(979m)のチャート層から、今からおよそ3億年前の石炭紀と呼ばれる時代の化石が発見されています。この発見された化石はコノドントという1mmにみたない小さなものです。
一方、大間々町の八王子山および川面、高津戸峡の石灰岩からも同じ石炭紀のサンゴ化石が発見されています。今のところ、足尾山地で発見された石炭紀の化石はこれだけです。県内では他に、多野郡の関東山地からも石炭紀の地層が見つかっています。したがって、県内における最古の地層が存在するのはこの二地域だけです。
 ところで、この時代を石炭紀と呼ぶのは、この時代の当時の大陸にはリンボクやロボクといった大木が茂り、これが堆積してよく石炭層を作ったからです。イギリスのあの産業革命の原動力となった石炭も、実はこの石炭紀の石炭でした。
 ところが日本には、この時代の石炭はほとんどありません。というのは、当時の日本一帯はほとんど海域だったからです。そして、はるか中国大陸は、現在の日本海あたりまで広がっていた、と考えられています。しかし、この海も、しだいに陸化しかけていく時期にありました。
こうして、桐生周辺も、比較的深い海と浅い海がいりまじっていました。深めの海には、コノドントの化石を含んだチャート層が堆積しました。浅い海には、サンゴ礁ができ、石灰岩が堆積したのです。

藤井 光男 日本地質学会員


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