すずき@東毛さんのブログ「上州東毛無軌道庵」とすずき@東毛さんから頂いたメールに触発されて、久し振りに菅塩沼から菅塩峠を経て天王山のコースを歩いてみました。その様子は後日菅塩沼の項に追加しますが、しばらく見ないうちに菅塩沼周辺が驚くほど変わっていました。悪い方に。

菅塩峠の前にサイト「北緯36度付近の中世の城郭」さんに掲載されていた薮塚の雷電山と惟喬親王宮に寄り道しました。一週前に天王山への登路が発見できなかったのでhisiyamaさんにご同行願いました。
惟喬親王宮は鳥居だけ確認すればよかったのですが、あえて登ってみたら別の宮様と勘違いしていたことが判明しました。石宮と碑文が設置されていて、碑文には“貞観14(872)年、第55代文徳天皇の第一王子として生誕された惟喬親王が上野太守に叙せられた折、この地に御所を構えられたと言い伝えられている。親王は常に京の都を偲び懐かしみ山河の名称を「天王山、愛宕山、東山、西山、加茂川」等々京都の地名を名付けて穏やかで静かな風習と敦厚な人柄を限りなく愛されたという。親王は寛平元年(897)二月二十日御年五十四歳で崩御される。当地のこの美しい由緒ある伝統と優れた歴史と人の心を永遠に伝えんとして有志が相図り協力してこの碑を建立する。
昭和57年5月吉日 西長岡を永遠に良くする会”と書かれていました。言い伝えですから、実際に惟喬親王がこの地に住んで亡くなられたかどうかはここでは措いておきます。惟喬親王は木地師の祖として各地に伝説や言い伝えを残している人です。この碑文によって籾山峠の西の山が御所山であることの信憑性が増したと思うのですが、いかがでしょうか。碑文に書かれている地名のうち天王山以外は残念ながらゴルフ場と化してしまったようです。
すずき@東毛さんによると、ゴルフ場に愛宕や加茂とつけられた施設があるそうです。

惟喬親王宮は桐生新田線で籾山峠を越え、双葉ゴルフ場の入口に色の醒めた鳥居が見えます。駐車スペースはないので、気を付けて。鳥居を潜るとすぐ左に馬頭観音、参道は舗装されています。石宮までで舗装はなくなり、道はまだ延びていますが、登り詰めてもゴルフ場のコースに出るだけです。ロストボールを発見したので石宮から先は危険かな。

雷電山です。「北緯36度付近の中世の城郭」さんによると、雷電様のお宮は群馬、栃木に多く、他ではあまりないそうです。そうか、気付かなかった。他でもこんなもんだと思っていたけど。確かにこのページでも雷電山はいくつもあります。
桐生新田線を薮塚方面に進み、一番高いところの切通しに雷電山の入口があります。ここは入口の反対側に駐車スペースがあります。最初は広い道ですが、すぐに薮に突入。今回も薮漕ぎです。笹薮の中に石を切り出した跡やら、石積みやら虎口めいたもの等が散見されます。頂上の下辺りに石祠があるということだったのですが、発見できませんでした。砦の雰囲気は残されています。近くを通りかかったら、お序でに登ってもよいかも。西山緑の会と書かれた柱のようなものが転がっていました。整備されていたことがあるのかしら。
山を登る我々は常に切り通された反対側にも目が向きます。当然178mのピークにも登りました。薮です。よい子はけして歩かないような薮の中を頂上らしき辺りまで登ると、スネークセンターの場内放送が聞こえてきます。戻って地図で確かめるとスネークセンターの裏山でした。

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