石尊山(丸山)

*さて本日の里山のハシゴもこれが最後。三島神社の前に車を置いたまま子聖大権現の看板を探します。県道の奥に見える、なんて書いてあるけれどもう見えませんぜ、代表幹事。ちょっと大回りしてしまいましたがまあ里山、裾を回って戻っても大したことはありません。

でも鳥居の前の看板は健在でした。石段を上がって着く古びたお堂には白い草蛙が奉納されています。格子の隙間から覗くとちんまりと子の聖が座ってらして前には打ち出の小槌。子の神社の場合ご祭神は大黒さまというのですから、鳥居もお堂も聖も小槌も神仏習合と思えば不思議はないのかも。足腰、ひいては旅行の守り神としてだけではなく、五穀豊穣、養蚕、縁組、商売繁盛、方災除けと守備範囲の広いありがたいお方です。もうお祭りは絶えてしまったそうですが、今でもお賽銭があがったりお詣りする方はいるとのこと。

お堂の右から生い茂った隈笹の中のあえかな踏み跡を辿ります。たいした距離ではありませんがほとんど笹の海を泳ぐような状態で、筆者ひとりなら絶対に入らない(入れない)道なき道です。
隈笹が尽きて少し開ける枯葉の中に火焔を背負ったお不動さまがすっくと立ってらして、両脇にはまだぴかぴか光る剣が幾本も供えてあり、お不動さまも祈れば必ず護ってくださる広大無辺の心の持主、やはり今でも崇敬する方々が訪れているようです。

ここからは篠竹と雑木の斜面を登ります。踏み跡は厚い枯葉に覆われていますが、小さな赤テープの目印を追えば足に確かな固さはあります。すぐ空が開けまずは小天狗の石祠、続いて右上に大天狗、その中央の少し上に瑟瑟座に組まれた石垣の上の石尊宮。代表幹事は出丸山を略して丸山と書いていましたし、このあたりの地名は丸山ではありますが、山名としてはやはり石尊山が相応しいのではないでしょうか。もっともすぐ麓の方はえっ名前がありましたっけ、と例によって裏山で済ませているようですが。
石尊宮のすぐ上の天辺はぼさぼさと雑木で覆われ展望はありません。この季節だから歩けるけれど筆者は夏には絶対来たくないな、いくら半袖でサンダル履きでも。
来た道の少し西側の斜面にはあの地震のせいでしょう、倒壊してしまった石祠が三基分、屋根や祠の部分や台座石があちこちに散らばって無惨な姿になっていました。こちらは高津戸村が建立した石尊さまと天狗たち。おや、石祠はひとつだけしっかり残っているので計四基、ということは中天狗でもいらしたのかしら。

キンキンに冷たい冬の日にちょっと山散歩を思い立たれたら、ぜひ一度この古い信仰の跡が満載の小さな里山を訪れてみてください。こんなにいらっしゃるんですもの、霊験、ご利益、きっとあらたかなはず。

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雲祥寺から見る石尊山
子聖大権現
草蛙が奉納されたお堂
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隈笹の中を泳ぐ
お不動さま
薮の中小さな目印が続く
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石尊宮(須永村)
崩れ落ちた石祠たち
天辺を振り返ればもう夕方の陽射し

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